南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島算数ワークショップ

2007年11月30日 | ミクロネシアの小学校
今日は、僕たち隊員3人がローカルの教育局の算数スペシャリストと共同で進めている算数ワークショップ当日。

昨年4度開催し、今年は南の島を一週回ってしまう計画をスペシャリストが立てて、「おいおいそれ本当にできるの?」って突っ込みいれたくなりますが、ローカルがやる気を出してくれているんだから、やるしかない。

いつも問題?になるのが、リフレシュメント。
つまり休憩時間に食べてもらう軽食。(ハンバーガー・サンドイッチ・果物・スナック・ココナッツなどなど)
これは僕たちは学校側に必要ないし、その費用は僕たちが援助することができないと言っていますが、いつも当日には、山のようなリフレシュメント。

これは南の島の習慣なので、僕たちはいらないと思うといい続けることしかできません。

またマラマルといってきた人の頭に飾る、花飾りも歓迎の意味には欠かせません。
今回は子どもたちが来た先生にかけるなど、子ども主体?

この学校は凄く自由感があります。先生の人柄そのもの。

授業は生徒も緊張していたみたいけど、ものさしが一人ずつないこの南の島で定規を印刷機でコピーして使うという授業はかなり受けました。

これからは、これをまねて、授業で定規を使って実際の大きさを意識して授業を行ってくれればなあと思います。

今回は討議でなかなか意見がでないので、こちらから今日の授業をうけて、他にもこんなやり方がありますよってかなりいろいろな授業アイデアをプッシュしました。

まだまだどんなやり方がどんなアプローチがこの南の島の先生の心を捉えるのか試行錯誤しながら考えていきます。

常に進化するワークショップを目指してね。
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南の島のワークショップ前日

2007年11月29日 | ミクロネシアの小学校
今日はワークショップ前日。

毎日、町の向こうの村の学校へ通うのも慣れてきました。
今日はその学校に着くと、いつも草がぼうぼう生えているところを数名の人が草刈機で刈っていました。もちろん、明日のワークショップのために。
この南の島でワークショップを開くのは、その学校の名誉がかかっているので、学校も綺麗になるしいいことだからかな?
まあ、日本でも研究会があると、研究会前の大掃除があるから同じかな?世界共通かも。
日本では流石に前の日に草刈はしないけれど。

明日の授業を想定してローカル教員が一度授業をしてみました。
凄く明るい先生で、この南の島では珍しいくらい前向きでいつもポジティブです。
だから子どもたちも明るいし、クラスの中に自由な雰囲気が流れています。

今日はダイビングのライセンスの写真を取りに行ったり(この南の島では証明写真は図書館で撮ってくれます)クリスマスバケーションの旅行のチケットを買いに行ったりしました。

またクリスマスバケーションの旅行については日を改めて。
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南の島で子どもと再会

2007年11月28日 | ミクロネシアの小学校
毎日午前中は幼稚園を村と町の交互に行き、午後からは算数ワークショップのために僕の住む村から町を越えて、奥の村に行っています。
金曜日に開く算数ワークショップの授業公開クラスが今回はその町を越えた村にあるからです。
その学校の今度公開授業をするクラスには、なんと昨年僕の村の併設している学校で昨年度に隊員がクラスを受けもち、公開授業をした子どもが引越しをして偶然いました。

向こうの子どもも覚えていてくれて嬉しかったです。
彼はこの島でまだ6回しか開かれていない公開授業に2回も参加することになります。

そして今日授業中に「Hiro」って呼ぶので、行ってみるとプリントに隊員が教えてくれたカタカナで「ジョンシン」って書いて「これで合っているか?」って。
子どもにとって日本人や日本語との出会いは、本当に私たちが考えている以上に心に残っているのだなあと実感しました。

そんな子ども達の心にいつまでもいい意味で残る活動をしていかないといけないなあって、彼の書くカタカナの名前から改めて誓いました。
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南の島のお母さんが帰ってきた

2007年11月27日 | ミクロネシアの家族
今日で一安心。
僕のホームステイ先のお母さんがハワイから帰ってきました。
娘さんがハワイに住んでいて、出産の手伝いに行っていました。2ヶ月家を留守にされたので、その間、毎日とはいかないまでも、できるだけ家事の手伝いをしようと、料理作りに精を出しました。その間にだんだん町に出かけると、自然とスーパーで食料品に目がいき、買ってしまっている自分がいました。

家族は僕の料理美味しい派と野菜がいっぱい入っているから余り好きでない派に分かれたような・・・

子どもを9人育てていつも懸命に働いているお母さんがハワイで出産の手伝いとはいえ、この南の島の日常から解放されて、凄く爽やかな顔で帰ってきました。

やはり、日常を離れて生活することって誰にとっても必要なのだ、ハワイにお母さんがいけてよかったと思いました。
僕がお母さんは、前に僕が家族のみんな全員にTシャツを買ってきたので、今回は僕にTシャツを買ってきてくれました。Lサイズだけど。

家族のみんなのお母さんが帰ってきて、顔がほころんでいました。
今は養子に行ってしまったほかの家に住む子どももお母さんがいない間はずっと家に来なかったけど、みんな顔を揃えていました。

僕の家族の支柱が戻ってきてくれたことで以前の家に戻ったような気がします。

あと120日を切った生活。お母さんやこの家族と最後まで楽しく暮らしたいなあと改めて思いました。
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南の島の休み時間の合図

2007年11月26日 | ミクロネシアの小学校
南の島の学校の合図は、日本のようにチャイムではありません。もちろん。

基本は鐘。それも戦前の日本のように(正確には生きていないのでわかりませんが)大きな鐘やそれに代用するものを金槌で叩いたりします。

そして、それは校長の裁量などによって鳴らされるので、時差があります。

最近は 学校全体も少しだれ気味で、本来20分くらいの休み時間が40分くらいに延長。そして今日は12時前後(あくまで前後であって、丁度ではありません)になるはずの鐘が11時40分には鳴って、昼休みに突入。

きっと校長先生に昼休みに大切な用事があったのかもしれません。

幼稚園も10時過ぎの休み時間はその鐘が影響しますが、12時のベルは鳴ろうが鳴るまいが、子どもが給食を食べ終えて、歯ブラシが終わらないといけません。

日本ではチャイムは正確でなければいけませんが、時間を正確に知らせる鐘までゆったりとしています。
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南の島のマラソン&ダイビング

2007年11月25日 | ミクロネシアの生活
この週末は、凄く運動しました。

昨日は朝6時から開始予定(南の島の場合あくまで予定です)のFUN RUN(短距離マラソン)にでました。距離は5キロ。
この南の島では、いろいろなFUN RUNがあります。

目的や主旨は様々で、今回はフィリピン人の方々(この南の島にはたくさんのフィリピン人の方が貴重な勤勉労働者となり、この国の労働力として島を支えてくれています)
が主催するもので、エイズに関するもの。

今年の1月くらいにマラソンに参加して以来遠ざかっていたのですが、久しぶりに参加しました。目標は止まらず走り続けること。足を怪我しないこと。(凄くレベルが低いですが)

結果はどうにか30分を切って、ゴールすることができました。
まえより5分以上遅くなっていました。普段全く運動していないので。

そして今日は朝からダイビングの免許取得のための実技(もっと簡単に言えばダイビングをする)です。

今日の実技で免許取得の運びとなります。

ダイビングで一番に最初に取るのがオープン・ウォーターその次がアドバンスです。

今日は外海でのダイビング。
この南の島で言う外海とは、リーフの外にある海のことです。

前にも話したかもしれませんが、この南の島は島全体をリーフに囲まれて、リーフと島の間の海はいつでも穏やかですし、水の循環もあまりない。つまり言い換えれば、皆さんがイメージする南の島の海ほど青くないというのが実情。

でも一歩リーフの外に出れば、状況は変わります。
今日も最近降り続いている雨や強く風の影響で、雨風をうけながら船に乗り込みダイビングスポットにいくという状況でしたが、海の中はまさに別世界。

珊瑚に色とりどりの魚が見られました。ベストな環境ではなくても、こんな体験なかなか日本ではできないのだろうなあと。
僕もダイビングなんて日本では全く興味がありませんでした。

でもせっかく南の島に来ているのだから、南の島でしか出来ない経験。
それは本来活動の中で見つけるべきものですが、それ以外の休暇を利用しての南の島らしい生活。その一つがダイビングなのかもしれません。

もちろん、お金もかかるし、一歩間違えれば命取りですから、慎重にしなくてはなりません。そして、そのチャンスの日々あるわけではないのですが。
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南の島の感謝祭

2007年11月24日 | 青年海外協力隊
23日は、感謝祭。
日本ではなじみがないですが、この南の島でも馴染みはありません。

でも最近感謝祭の習慣がこの島にも。

その習慣とは単に七面鳥を食べること。

僕たちは、この間の「南の島に集まるボランティア」で述べたようにワールドティーチというボランティアが集まって感謝祭をするというので、参加しました。

一品持ち寄りなので、僕は最近凝っているチャーハンにしました。

僕の村に住むワールドティーチは、一軒家を借りて、凄く優雅。
同じボランティアだけど、かなり生活形態は違うみたい。
彼は自動車を持って、自動車運転しているし。
こちらは常に歩きか、タクシーで、ホームステイだし。

でもそんないろいろな環境の仲間が集まって、集えて楽しかったです。

なかなか日本では食べられないターキー(七面鳥)も食べられたし。

南の島との生活も大切だし、この島でしか出会えない人との出会いも大切にしたいです。
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南の島の日本食

2007年11月23日 | ミクロネシアの生活
今日は町の幼稚園の仕事の日。

数字の勉強の他に、今日はテレビを見て授業をするってことなので、テレビを見に行きました。

でも最初は鳥を見るって話だったのですが、当然のことながらその番組はやっておらず、普通の番組を見ていました。

でも村で普段過ごしている僕にとっては、びっくり。

テレビを授業に使うなんて凄い。

僕が提案した数字の数量の感覚を重視したアクテビィーもちゃんと今日も授業として行いました。僕が授業を進めながら、ローカル教員もちゃんと一緒に手伝ってくれました。

いろいろと新展開の毎日です。


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南の島の珍味 その1

2007年11月22日 | ミクロネシアの生活
南の島には、様々な珍味?があります。

その筆頭がやはり犬の丸焼き。
こちらでは、日本と異なり、犬はあまり可愛がられることはなく、番犬として飼うのが一般的。

そして、南の人はその犬を食べるのも好きです。
今日はチャーハン、豚と白菜の炒め物を家族の分も含めて10名分いつものように作っていましたが、「今日は犬もあるよ」って家族が出してくれました。

前にも何度か食べたことはありますが、チキンのような味です。
尻尾も足の裏もリアルでした。

内臓少し食べてみましたが、焼きすぎなのか?ちょっとスカスカした味でした。

僕と一緒に暮らすおじいさんは、犬を食べるのが嫌いで「犬は人間が賢く育てたら凄く役に立つ動物なのに、食べるなんて馬鹿だ」って怒ります。

今までおじいさんにこっそり食べていたけど、「わしは食べない、横で食べているのを見ても食べる気がしない」と話されているおじいさんの横で犬にかじりついてました。

また機会ありましたら、他に珍味も紹介します。


ちなみに同じこのミクロネシア地域のパラオでは、コウモリを食します。
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南の島のナイトダイブ

2007年11月21日 | ミクロネシアの生活
今日もダイビングのアドバンス免許取得のための潜りました。海に

今日はナイトダイブ。

そのために防水50メートルの懐中電灯を買って臨みました。

夜の南の海は、昼とは違ってたくさんウニがいたり、いつも以上に魚が活動していました。

今日困ったことは、普段この南の島ではダイビングスーツを着なくてダイビングをする事もあるのですが、今日は夜なので着用して潜るとダイビングスーツの浮力でなかなか潜れなかったこと。

潜れないダイビングは辛い。
インストラクターの方に錘をお借りしてどうにか沈みました。いや潜りました。

写真がないのが残念ですが、9メートくらいの浅瀬を50分に渡って潜り楽しみました。
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南の島に集まるボランティア

2007年11月20日 | ミクロネシアの生活
僕たち協力隊のほかに、この南の島には様々なボランティアが集まっています。

まず、この島で一番有名なアメリカ人の協力隊ピースコ(平和部隊)。

この南の島では外国人のボランティアを総称してピースコって呼ぶくらい、歴史があり、広く認識されています。僕らもジャパニーズピースコと呼ばれるくらい。

他にアメリカでもピースコと異なり、教育部門に特化したワールドティーチ、またキリスト教関係のボランティアで来ている欧米人もいます。

僕の村に、教育局で働くワールドティーチのボランティアが住んでいます。
彼は、巧みな英語力を生かし、村に家を借りて、町に毎日出勤します。

その離れ業(なぜ離れ業なのか?それは僕らがそれをしようと思うと毎日タクシーを捕まえるのに苦労して、出勤が定刻通りには無理だから)ができるのは、彼らは車を持つことも、運転することも許されています。
もちろん僕たち協力隊は運転不可です。

そんな彼が町を歩いていると「今から帰るの?」と言って、わざわざ僕の買い物を待って、一緒に村まで彼の車で送ってくれました。本当に感謝。時間的にも金銭的にも。

これから同じ村で暮らすボランティアとして仲良く出来たらいいなあと思っている今日この頃です。
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南の島の格言

2007年11月19日 | ミクロネシアの幼稚園
今日から新しい週のスタート。

今週から2つの幼稚園をどちらも週2-3回ペースで回ることにし、午後から小学校教員対象の算数ワークショップ開催の小学校の授業を見て、準備をする、または大学の幼稚園教諭免許取得コースの授業に参加して授業を受けるという予定。

でも、これだけたくさん詰め込めば、予定が狂うのもまた常識。

今日は朝幼稚園に行き、子どもたちと社会見学で歯医者さんに行きました。

南の島の幼稚園も歯医者さんに見学に行くなんてかなり進んでいるでしょ?

行く場所などは、各幼稚園に任されていますが。

無事仕事も済み、タクシーを捕まえ(これが一仕事、正確には待つ)町まで行き、算数ワークショップの村へ行くはずでしたが、行くことが出来ませんでした。

教育局の車がなく、授業開始の時間が来てしまったため。

この南の島、いや開発途上国では、「1日1つ用事ができればいい」という心掛けで仕事をすること。それが精神衛生上大切です。
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南の島での免許取得

2007年11月18日 | ミクロネシアの生活
今日から免許取得をすることにしました。

ダイビングの免許。長い間読んでくださっている方は「あれ、前に潜ったって言っていたよね」って覚えていてくれていたかもしれませんが、今度は1ランク上の免許をとります。

ダイビングは最初はオープンウォーター、その次アドバンス、そしてレスキューとランクがありますが、今回はアドバンス取得です。

オープンウォーターを取ってから4ダイブをしましたが、なかなか上手にはならないので、南の島の思い出にきっと日本ではしないであろうダイビングの免許をとっておこなうかな?と。

今回はいつも行っている場所だったこと、インストラクターに受験生は2名という小クラス制、もちろん先生は日本人なので、かなりしっかり教えてもらえそうです。

急に決まったことなので、バタバタ受験ですが、まだこれからクリスマスバケーションにに潜るチャンスもあるかもしれないので、とっておくことにしました。

皆さんが思っているほど、この南の島ではダイビングは盛んではないのですが。
日本では、まずすることがないので。
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南の島の鍋

2007年11月17日 | ミクロネシアの生活
今日は、隊員でフットサルをして、その後にテニスをして、隊員が釣りで釣ってきた日本では1キロ1万円するといわれる高級魚「くえなべ」を食しました。

あっさりとした中にも深みある味わい。最高です。

最後は雑炊にして、南の島でまるで日本のような食卓。

南の島で高級魚鍋、なんか不思議な取り合わせだけど、最高に美味しかったです。

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南の島の僕の家族が新聞記事になりました。

2007年11月16日 | ミクロネシアの生活
南の島の僕の家族が日本の新聞に載りました。
いや、載せました。

新聞は朝日小学生新聞。11月8日(木曜日)版です。もし今からでもごらんになれる方は見てください。

僕が実は記事を投稿したのですが、紆余曲折がありましたがどうにか記事になるに至りました。

おじいさんにおじいさんのことが新聞になりますよって話したのですが実現できてよかったです。

インターネットライブに続き、僕の南の島の家族のメディア露出が強まっています。
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