南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

どんなことにも理由がある。

2006年09月28日 | ミクロネシアの生活
どんなことにも理由がある。

僕のホストファミリーのお孫さんの長男(つまりお祖父さんのひ孫さん)は、17歳くらいですが、結婚しています。(僕がホームステイをはじめた翌日に結婚式をあげました)
だけど、高校も卒業したのか、していないのかよくわかりません。

いつも僕に声を掛けてくれる気持ちの良い青年です。
でも仕事はしていないみたいです。奥さんはコロニアで働いていますが。

家もちゃんとおばさん家族と一緒ですが、家から歩いて5分くらいの所に与えてもらって
いるし、車も持っています。

ちょっと息子さんに甘いのでは?と思っていると、今日お祖父さんのお孫さんのお嫁さん(つまり花婿のお母さん)
と話をしていると訳があるのだと分かりました。

ちょうど息子さんが7歳の時に、車にはねられて入院をして、1年間学校にいけなかったそうです。今はどうかわかりませんが、直後は少しダメージが残ったようです。

いつもとてもしっかりした考え方で子どもさんを育てておられるのに、何故長男さんにはそんなに厳しくないのかな?と端から見て思っていたのですが、やはりそんな理由があったようです。

働き者のお父さんとお母さん、可愛い子ども達と幸せいっぱいに見える中にも様々な苦労を乗り越えて来られていることがわかりました。

そして、「あれ、なぜ?」と思うことには、必ずその人にしか分からない理由があるということも。すぐに「おかしい」と断定せずに「なにか理由があるのかな」という目で納得でき物事一つ一つを見ていきたいと思います。
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伝えることは、なかなか難しい

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
今日はほとんどメインで授業をすることなく終了しました。

今、子どもに教えているのは「げんこつ山のたぬきさん」です。
こちらでも日本語でそのまま歌われています。
ただ最後の「また明日」の部分が「またくれよ」という歌詞になっていて、「それはサカナカン(よくない)ので、ちゃんとまた明日」と歌っています。

今日は2人組になってジャンケンをすることを楽しもうと思いましたが、2人組という言葉は「パートナー」という英語しかなく、ポンペイ語には存在しませんでした。

もちろん、子ども達にとって2人組になることは、初めての経験でなかなか上手くくめないこともありました。今日は2人組になること自体を楽しめるようにすれば良かったのだと反省しました。

目の前の子どもを見て、常に自分のしていることが子どもにどう感じたかを確認していかないといけないと思います。

自分自身がしっかりと反省しないと、同僚に「こうした方がいいよ」とは言えませんから。

今日、げんこつ山をしたのは、子どもが待ちの状態だったので。
今日は用意が十分に出来ていなかったようです。
昨日は、給料日で「早く帰る」と言って、僕以外の人は先に家に帰ってしまったので。

そして、黒板に1・2・3・4と書き、白紙紙を配って、これを書きなさいとはじめました。そして数人がどうにか理解して書く以外は、お手上げ状態です。

やはり、もっと教材プリントを作る段階で伝えていかないといけないと思いました。
後で聞くと「準備ができていなかったから」と話してくれたので、「なんで準備していないの?」と言いたいところを「そうか準備していないと難しいね」と話しました。

今は僕が「それはだめでしょう」と言ってしまうのではなく、本人が「準備しないといけないなあ」と少しでも感じてもらうことを期待したいと思います。

終わってから、やはりせめて紙に線を引いておいて、子どもがどこに書くか分かるようにするとどんなときも便利で子どもにとって良いことだと話しました。

そこで「じゃあ僕が作っておくよ」とは決して言わず、彼女が作ろうとするのを待ちたいと思います。

いつも思うことは、自分でやれば、すぐにできると思うことでいっぱいです。
でもそこでいかに自分だけでせずに、同僚に興味を持ってもらって自分自身からやろうと思ってもらえるかです。

昨日、数字の書き方の英語の本を見せてもらうと、筆順のことが載っていたので、最初にどこから書けばいいかをわかりやすいように1・2・3・4が書けるプリントを作りました。
明日は1・2・3・4を中心にやります。そこに子どもの実感が伴うようにしていきながら。

昼から職員会議。議題はスポーツアクティビティーでどの競技に参加するということ。
校長先生は「野球はグローブを持っていないからだめかな」というので、僕は「子どもと夕方に練習するときたくさんの子どもが自分のグローブを持っていますよ」というと、「それならできるかな」と野球も出来ることになりました。もちろん担当コーチは僕です。

実は日本で可愛い甥っ子のために小学校の野球チームのコーチをしていたので、一番教えやすいですし、最も好きなスポーツなので。

人選などまだ分からないことがありますが、小学校の子ども達と楽しく一緒に過ごせる機会になればと思っています。

24人全員がそろったので、記念に写真を撮りました。
カラカル(暑い)ので子どもも大変でしたが、後ろは海と離島です。
24の瞳ならぬ、48の瞳、今の僕にとって一番大切な子ども達です。

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参観日?

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
参観日?

昨日は、スタッフの方、教育局に勤めている先輩隊員が僕の幼稚園(ECE)に授業の様子を見に来てくれました。
子供たちに「日本人が二人来るよ」と話していると、「違うよ、3人だよ」というので、「なんで」と聞くと「車から降りる日本人3人の姿」。
なんとスタッフのトップの方まで来てくださいました。

毎日ECEで僕が教える時間は決まっていませんが、朝一番の出席やカレンダーのカウントはしたことがなかったので、緊張しました。

いつも他の先生が教える今日のカレンダーと僕が判子を押す出席カードのタイミングがずれるのですが、今日は両方自分でしたので、子供の意識の中でも今日という日は、自分が幼稚園に来た日だということがわかりやすかったように思います。

その後はステップ。昨日コロニアで延長コードを仕入れて、子供の真ん中でキーボードが弾けるようになり、断然子供の姿が見やすくなりました。

ステップはやっとスキップができるようになってきました。
まだまだギャロップになっている子供もいますが、だんだんとスキップのリズムがつかめてくる子供を見ると嬉しくなってきます。

授業が終わって、給食を食べに行くときに思わずスキップをしている子供を見ると、大げさですが、その子供に新たな楽しさが伝えることが出来た喜びを持つことができます。

そして、見てもらおうと思ったカウンティング。ECEでたくさんの勉強をしている現状を参観した仲間に知ってもらうためにも。

今週は4(パーヨ)です。何度も貝を使いながら4を数えました。子供はカウンティングのみを訓練されている部分もあるので、最後の数はエイシック(10)という癖がつきかけている子供もいて、改めてたくさん詰め込んで教える弊害が出ているなあと思います。
やはり、じっくりじっくり一つのことを教えていかなければならないと感じました。

貝は自分で数を数えるだけでなく、たくさんある貝の中から見つけてくる遊びなども取り入れてみました。一斉に狭い貝入れに取りに行くと、どうなるだろうと思って子供にさせてみると案の定。とんでもない数を取ってくる子供がいて、少し子供を使って遊んでしまいました。

そして、朝食をとり、歯ブラシをして、今日は「4」という数字を書くことと、「4」は、ものが4つあるという概念を伝えるため、先ほどの貝に続いて、「4」と書いた横に丸を4つ書くことにしました。

子供は一昨日から見違えるほど、数字を書くのがうまくなっています。
それは、同じ敷地にある小学校に勤める仲間から「シュタイナーを読んだのですが、子供には鉛筆よりクレパスの方がいいのでは?」と教えてもらったのです。

子供が鉛筆を使うことで書きにくいことは理解していたのですが、「こうして使い慣れていくしかないのかな?」という思いとまた使う道具のことで同僚と衝突したくないという気持ちがあったことも事実です。

でも仲間が後押しをしてくれました。本当にありがたいです。

終わったら、やはり汗が諾々。長年やっていてもこの程度?って思われたかもしれませんが、自分が伝えたいことを(今の段階で)こどもと一緒に遊びながら伝えることはやはり気持ちいいです。

やはり先生は、子供と生でぶつかってこそだと改めて思いしました。

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BEST FRIEND&FOCUS

2006年09月28日 | ミクロネシアの小学校
昨日は参観に来てくれた方たちと一緒に隣のサラダック小学校に仲間の隊員の算数の授業を見に行きました。

8年生の算数です。(ミクロネシアの小学校は8年間あります)
最初は昨日したテストの答えあわせから。
テキパキしたスピードで、堂々と教えるのでびっくり。
何せ、彼は今年大学を卒業したばかりなのですから。

その後、素数などを教えていました。

彼はまだ年齢は22歳でスポーツ大好きの本当に爽やかな奴です。
ちゃんと大人とも話ができるし、でも子どもみたいにいつも現地の子どもと一緒に走り回って遊んでいます。

今度もスポーツアクティビティーも一緒に協力し合いますし、算数プロジェクトも一緒、ついでにウクレレも一緒に練習し、週末も一緒にいることが多いから、今一番多くの時間を一緒に過ごしている仲間です。

いつも元気いっぱいで、そして常に前向きで、「僕が22歳のときはこんなに人間ができていなかったなあ」と思わせてくれます。

年は違うけど、僕にとってBEST FRIENDです。
お互い経験や年齢が違うことで、変に競うことがなく、互いに言いたいことが言えるように思います。

でもそのすがすがしい授業の中にもきっとたくさんの彼の努力があるのだろうと思います。

なかなか人の授業を見ることはありませんが、とてもいい刺激になります。
また、今行っている算数プログラムのいい資料にもなります。

例えばポンペイの子供たちが行っている算数の教科書は英語です。
文章問題も英語ですし、そこに出てくる事例はアメリカ人には理解できても、ポンペイの子供には理解しにくいというか実感が伴わないものです。

それをポンペイのサカオやバナナ、大好きなバスケットやビー玉に置き換えると子供はすぐにわかります。

それこそ、今僕たちが取り組んでいる「FOCUS」

つまり、当たり前のことですが、教えることを焦点化すること。
それ以外の部分は、教師が臨機応援に取り除き、シンプルにじっくり教えるというスタイルです。とてもシンプルですが、教師がしっかりと意識で取り組まないと「FOCUS」できません。ねらいという風に捉えてモラルといいかもしれません。

これからも仲間と互いに刺激しあって、また協力し合って互いに高めあいたいと思います。

尊敬という言葉とは少し違うのかもしれませんが、互いに高めあえる、互いに思いが感じあえる友、きっとこの協力隊でしか、感じられない思いをたくさんこれからも共有していきたいと思います。そんな気持ちをいっぱい持たせてくれる、とても素敵な仲間です。

そんな仲間とこのポンペイでもそしてこれから一生の友になれればと思っています。


ポンペイ算数プログラム。

問題はいっぱいあります。
例えばポンペイの子供たちが行っている算数の教科書は英語です。
文章問題も英語ですし、そこに出てくる事例はアメリカ人には理解できても、ポンペイの子供には理解しにくいというか実感が伴わないものです。

例えば問題の問いをポンペイのサカオやバナナ、大好きなバスケットやビー玉に置き換えると子供はすぐにわかります。

それこそ、今僕たちが取り組んでいる「FOCUS」

つまり、当たり前のことですが、教えることを焦点化すること。
それ以外の部分は、教師が臨機応援に取り除き、シンプルにじっくり教えるというスタイルです。とてもシンプルですが、教師がしっかりと意識で取り組まないと「FOCUS」できません。ねらいという風に捉えてモラルといいかもしれません。

これからも仲間と互いに刺激しあって、また協力し合って互いに高めあいたいと思います。
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尊敬すべき存在

2006年09月28日 | ミクロネシアの生活
ポンペイで尊敬すべき日本人

昨日参観に来てくださった事務所の方は、僕が尊敬しているポンペイの日本人の一人です。

私よりもちろん年上ですが、きっとたくさんのご苦労をされながらお仕事をされてきたこと、しかし、それをすべてご自分の大きな財産として大切にされておられるのが、ひしひしと伝わってきます。

先日はテニスが大好きなので、ご一緒させていただき、練習をしました。
僕の苦手なボレーを集中的に教えてくださいました。途中で汗がだらだら滴り落ちてきて、「すいません、水をください」と言いたかったのですが、言えずに練習し続けました。
(決して、怖い方ではないので)

そして我々にお話をしてくださる時に、いつも心に残る言葉を下さいます。
歓迎会では、「君たちは、日本の代表としてここに来て活動している誇りをわすれずいてください」と言われました。そして「時々でいいから、ここに何をしに来たのかを思い出しながら活動してください」と。

このミクロネシアは、本当に快適な場所です。常に緊張を必要とするような伝染病や治安の悪さもないですし、肉食・缶詰中心の食事ですが、日本食さえ口にすることもできる。決して豊富とはいえませんが、自分が生きていくために必要なものは、適正価格で手に入れることができる、反日感情が皆無に等しいなどなど。ともすれば、赴任していることを忘れてしまいそうです
そんな私たちの心を察して、「時々思い出してください」と話してくださったのだと思います。

また「誇り」という言葉もとても心に染み入りました。今私たちは、日本で「誇り」という言葉を意識することがあるでしょうか?自分を振り返るとなかなか思いを持ちにくい言葉だったように思います。僕には幼稚園の先生としての「誇り」は常に持っているつもりですが。
しかし、海外に特に開発途上国に行くとその誇りは特に意識する必要があると思います。

それは、欧米では日本人でいる自分をともすれば卑下してしまうこともあります。(勝手な妄想にすぎませんが)しかし、我々が活動する任国では日本人は一種の憧れの存在です。
それに甘んじるという意味ではなく、そういう対象であるからこそ、しっかりと現地の人の気持ちを汲んで行動する必要があるという意味に捉えました。
そして所長はたくさんの厳しい環境の開発途上国で仕事をされてきたのですが、「君たちは苦労していない、私のころは大変だったんだよ」というような自分の経験をひけらかしたりされることは決してありません。

いつも、我々の目線まで降りながら、的確に高所から見守っていてくださっているように思います。

私は幼稚園という職場で長年勤めている関係で魅力的な女性にはたくさんで会える機会があるのですが、なかなか素敵な経験をつまれた男性と出会えるチャンスはありません。
ですので、この任国でたくさんお話を聞かせて頂き、自分も少しでも所長に近づけるようになりたいと思います。

尊敬すべき人は大切です。私は人間とは真似ることから学習すると思っています。子供の時はもちろん、大人になってもからも。具体的にこんな人になりたいと憧れる事、そしてその人から実際の行動や言動から学ぶことで人間は成長できると信じています。
尊敬すべき人から学ぶ、そしてそんな尊敬すべき人多くの人と出会えるようにしたいと思います。
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