南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

複雑な初の家庭訪問

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は「子どもが泣いた日」所で話したように子どもが悲しくなり、家に途中で連れて帰りました。
夕方になり、迷ったあげくアブサレムの家に行ってみることにしました。
バスでしか行ったことがないのですが・・・・

彼の家は私の家より少しコロニア側の道を山へ向かってずっとあがっていきます。
途中からは、アスファルトはなく、地道を歩きます。

途中で何人かに声を掛けられ、おばあさんからも「どこから来たの?」と聞かれたので「日本から」と答えると「ああアワックの先生ね」と言ってもらいました。

かなり急な坂でしたが、彼の家はすぐに見つかりました。
周りは山々、竹や木々に囲まれています。そこで元気に走り回っていました。

アブサレムのお母さんが僕を見つけてくれて、すわって会いに来たことを伝えました。
「今日はこの子は給食食べたの?」など核心には触れずに。

アブサレムは僕が呼ぶとちょこんと僕の膝に座りました。
いつも保育室でするように。

丁度夕食準備で、外で薪を使ってご飯を炊かれていました。
親戚の方が「先生ご飯が炊けるから食べて言ってよ」と言ってくれました。

家族に何も言ってなかったので「家族が心配するから今日は帰ります」と伝えました。

正直私のホストファミリーの家とは比べられないくらいナチュラルな生活です。
いつもメインの道沿いしか目に入らないけど、山に登っていくとこのように暮らされている方がたくさんミクロネシアにはおられるし、僕は「こういう方々と肩寄せ合ったり、一緒に悩みを共有したりするために来たのだ」と改めて原点を見たように思います。

そして彼がいつもちょんちょんとはね回っているのは彼の普段のこうした竹や木々に囲まれた中で自然相手に暮らしているからなのだと思いました。
子どものバックグランドをしっかりと掴み、子どもの心に近づく、子どもを理解することの大切さを改めて感じました。

家に帰るとお祖父さんが「どこに行っていたの?」と聞かれたので、子どもの所に行ってきたことを告げました。

僕が「まだまだナチュラルな暮らしをしている方がたくさんいるんですね」と話すと「そうだよ」と話されました。

そして僕が今日心配だったこと、今日のようなことを機会に信頼関係を少しずつ作っていることの大切さを話しました。

アブサレムは元気そうで、安心しましたが、豊かで便利なこのポンペイの生活の中で自分が何をするためにここに来たのかを考えさせてくれる良い機会になりました。

やはり、迷ったときはとりあえず動いてから考えることが大切ですし、動けば何かが学べます。
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子どもが泣いた日。僕には何が出来るか?

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
朝からうれしいこと。
それはいつも朝幼稚園に来ると僕が窓ガラスをあけるのですが、カリーナがそれをみて自分から窓を開けてくれたこと。
やはり、大人がしている姿をしっかりと子どもは見ていると改めて思いました。

あとうれしかったのは、歯磨きのとき、手伝ってくれたお母さんがいつもは「ブラシブラシ」というだけだったのに今日は「ooちゃん上手」とたくさん褒めてくれたことです。
もしかしてちょっと僕の影響受けてくれている?と勝手に自己満足していました。

今日は、僕は「3」という数字を子どもに教える日です。
その前にココナッツの実の殻に今日は貝殻を4つ入れて、ひとつずつ取り出して「これは1、これは2」と数えたり、また僕が「1」といって子どもがその数を聞いて貝殻を出す遊びをしました。

その後に好きな遊びになり、その後に「3」を教えることに。

日本人の発想で「そうだ、好きな遊びの前に机を子ども全員が黒板のほうを見れる風に配置しておくと時間が有効だ」と思いましたが、思い留まりました。

やはり子ども達が集中して遊ぶには、部屋に入ってからウォーミングアップが必要だと。
「はいこれをしますよ」といって子どもはすぐに集中することは難しいということをこちらの先生にも分かってほしいと思います。僕が地道に活動しながら。

教え方も大切ですが、子ども達に学ぶ準備が十分にできているかも大切であることを知ってほしいです。もちろん学ぶためだけにステップなどがあるわけでは当然ありませんが。

ステップは最近毎日しているので子どもたちも楽しみにしています。
要因のひとつには、それ以外に教室でアクティブな活動が行われないこともあります。

そして流れが分かって自分がどうしたいということが分かってきたことも大きな要因です。

友達がしていると手拍子をしたり、自分の番になることを楽しみにしたりしています。

今日は二人ずつギャロップをして次の人にタッチをしてかわるという遊びにしました。
「3」を教えるのはゆっくりまず、指文字で何度も書いて、その後配った紙の上に指でなぞってから鉛筆で書きました。
ゆっくりな子がいたり、点線の上はなぞれても、自由に書くと形が十分に認識できていない子どもいますが、とても集中して取り組んでいることがうれしかったです。

ほとんど終わりかけたとき、アブサレムといういつもなかなか気持ちが落ち着かない子どもが突然泣き出しました。

理由は、自分ではできたと思っていたプリントを先生にもう一度違う紙を使って書きなさいといわれ、泣いてもされられたことで外に出て「お母さん、お父さんに会いたい」と言って泣きやまなくなりました。

前から彼のことは気になっていました。きっと利発な子どもなのでしょうが、家でもじっっくりと抱かれたりする経験など不足しているようです。

そして彼はこの幼稚園一番の正直者なので、面白くないと寝転がったり部屋の中を動いたりします。僕は彼を見ながら、彼が保育、教えることのバロメーターなのだと感じています。彼が面白ければ多くのみんなも面白く感じているはずです。

これはほかの教育でも一緒です。もちろん全員の心を読み取っていくのですが、「この子どもが分かっていればみんなもわかっている」といった子どもがクラスには必ずいます。

しかし、その子どもは大抵クラスの先生からすれば「どうしてあの子どもはいうことを聞かないの」「あの子どもが悪い」「あの子どもの能力の問題」とだと位置づけます。

僕は日本で常に子どもに個性はあるが、保育がうまくいかないのは先生の責任だと常に教えてきてもらいました。なので、保育や授業がうまくいかないのは常に教師に責任があると思っています。理解できないのは子どもが悪いのではなく、教え方が悪いのだと。
だからそのために教師はもっと努力をして、どうしたら子どもが分かるか、楽しくなるかを常に考えなくてはならないと思っています。もちろんなかなかうまくはいきませんが


結局アブサレムは、給食を食べずに僕とドライバーと彼のお兄さんがバスに乗って送っていきました。
彼を怒った先生は、バスにも乗らないし、帰ってきても僕の方から彼の家に行ってきたことをつげなければなりませんでした。

なにかやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

でもこれはECE全員の問題だし、今日のことが少しでも心に引っかかってくれればと期待したいです。

今はあまり気にしていないと思われる先生のことも非難する気持ちはありません。
何か物事が起こると誰かの責任にすることはとても簡単ですが。
きっと彼女も心の中で振り返っていることを願います。

数字や文字を教えることが大切ではなく、まず子どもの心を受け止めること、信頼関係なしに子どもに怒っても子どもには気持ちは伝わらず、何も解決しないこと、子どもと心と心で向かい合うこと、そしてその大切さを僕自身が保育で実践することが何より大切だと思います。
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空港拡大決定 何が今必要か、その答えは見つからないけど

2006年09月14日 | ミクロネシアの生活
今もしかすると、ポンペイ最大の関心事は、現在ある国際空港の滑走路拡大問題です。
この前まで、調査の方が来られて、作る必要性やコストなどを調べていかれたそうです。

そしておじいさんが「11月になると空港の拡張工事が始まるよ」と教えてくださいました。
総額は1兆円だったか1000億だったか忘れましたが巨額です。

これをつくることで、今まで大型のジャンボが着陸できなかったことが解消されて大型ジェット機も着陸できます。そのことでミクロネシアの航空機を独占運送していた航空会社も他社との競争にさらされるかもしれません。何しろ今は、とても飛行機代が高くて、ヤップという同じ国の違う島に行く方が、日本に帰るより飛行機代が高くなるほどです。

空港が拡張されると独占状態から脱して、競争が生まれより安い価格で快適に旅をすることができます。
それはしいては、ミクロネシア特にポンペイに日本の観光客が来やすくなるということです。

今は、日本からポンペイに来るためには、ポンペイに日曜日の深夜に到着する以外の便を利用する場合は、グアムで一泊してからでないとポンペイには来れません。
つまり日本からポンペイに来るのに2日、またポンペイから日本に帰るのに2日かかる計算になります。
それでは休みが取りにくい日本人にとってかなりハードルが高い旅行地になってしまいます。

でもそれだけで今のポンペイが活性化するほど観光開発がされているわけではなく、そのために僕の仲間も現在、観光業の技術移転をしているためにがんばっています。

また、以前おじいさんの息子さんが「空港が拡張されると新たな仕事がもらえる」と話しておられました。

僕も息子さんと仲良しなので彼に新たな仕事が入ることはうれしいです。

しかし、空港の拡張だけをしても、ポンペイの発展にはつながりませんし、僕の知り合いが仕事を新たに得るというだけでは、多額の資金が有効に使われたとはいいきることはできません。

僕は教育者としてきているのですが、一人の日本人としてどうすればポンペイがいい意味で発展し、観光資源が生かせるかを考えて、仲間などに提案できればと思います。

また、こうして開発途上国に住むことで、何が国際協力として大事なのか、何が援助なのかを深く考える、また自分の生活、周りの人の様子を見ながら感じることができる貴重な機会にもなります。
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敬語や漁業の話

2006年09月14日 | ミクロネシアのおじいちゃん
おじいさんとの話

朝、お祖父さんが少し怪訝そうに教会から帰ってきました。
内容は、ポンペイでは朝の挨拶は友達など
親しい人には「メイセン(朝)」
目上の人やリスペクト(尊敬)を表すときは「メイセン(朝)・マウ(良い)」
わかりやすく言えば、友達にはモーニング 丁寧に言えばグッド・モーニング
と言うのと一緒です。

それがお祖父さんに対して「メイセン」という人がいると。
それは僕も感じます。
現地の人からすれば、単なる日本人ですが、小学校の生徒も僕のことを先生と分かっているのに、ぼくが「メイセン・マウ」といっても、子どもは「メイセン」と返してきます。
前にも学校で敬語のレクチャーがありました。
とても難しいと先生達は言っておられました。
ポンペイには日本から影響を受けた素晴らしい年長者を敬うという文化があるのですが、
日本同様少しずつ言葉だけでなく、心の変化も見られるのかなと思って心配しています。

いつものように昼ごはんを食べに家に帰ります。
学校から家までは歩いて1-2分です。

お孫さんのコスタンさんはコロニアへ、そのお嫁さんは釣りに行っているので留守です。
お嫁さんは釣が上手だし、いつもその後においしい魚を作ってくれるので楽しみです。

2種類の魚のフライです。ひとつは鰯です。

鰯の話をおじいさんとしていると、「これは魚が大好きで、よくえさにして大きな魚を釣るんだ」と話してくれました。

そして、昔日本人がいたときは、漁船がたくさん出て、毎日たくさんの魚を取ってきていたことも。
まず、朝に鰯など鰹のえさになる魚をとって、それから9時か10時ごろ漁に出て夕方に帰ってきていたと。そして船が帰ってくるときには汽笛がなって、その音が聞こえると村の皆が一斉に漁船が帰ってくるところに集まると。

汽笛の音の回数によって、大漁かどうかも分かるようになっていて、1回の汽笛で100匹、2回で200匹。昔は多くて600匹、少なくても200匹くらいは取れていたそうです。

そして船に子ども達が集まると、魚の頭を切ってくれて、それを家に持って帰ることができたそうです。
お祖父さん曰く「鰹の頭もおいしかったよ」と

もちろん、鰹節なども作っていたそうです。

こんな風に昔の話をするときは、おじいさんは魚の大きさを表すのも手を広げて大きなジェスチャーと笑顔で話してくださいます。

敬語のことにしても、鰹節のことにしても昔の大切な文化を伝え、継承することが日本でもポンペイでも難しくなってきているのだと思いますが、しっかりお祖父さんとお話しする機会を自分の肥やしにしたいと思います。
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昼ご飯を子供と作る

2006年09月14日 | ミクロネシアの生活
今ホストファミリーのお父さん(おじいさんのお孫さん)が夏休みなので、普段できない買い物などにお母さんと一緒に出かけて、昼ごはんの時、おじいさんしかいません。
そこで昨日は、ふりかけを出して子どもが「これおいしいよ」というので、それをご飯にかけて食べました。今日もお母さんは留守。子どもたちは(小学4年生)卵を焼いていました。「HIROも食べる?」と聞くので、「味噌汁を作るよ」と(僕のほうが簡単なのですが)ジョイントして作って食べました。子どもたちが「一緒に食べよう」というので、いつもはおじいさんと僕はテーブルとイスで食べるのですが、子どもたちがいつもしているように一緒に床に座って食べました。一緒に食べるのはおいしいです。
前に一度夜に子供達だけが家に残っていてさびしそうにしていたのに僕が気がつかないことがありました。
それを思い出して、「I CAN HELP YOU」と話しておきました。すると今日は大きく頷いてくれました。

やはり何かを一緒にする、それは料理を作ることでも食べることでも、困難を体験することでも乗り越えることでも、もっと身近なことでも、一緒に体験し、共通の思いをもつことがなによりも人の心を近づけてくれるのだと思いました。
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