南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

家族第一 空港へ見送りへ

2006年09月01日 | ミクロネシアの生活
今日は、幼稚園を子どもが歯ブラシを終えて帰ると同時に出ました。

理由は、家族が(おじいさんのお嫁さんとお孫さん)ハワイに旅立つから。
朝校長先生や同僚にそのことを話すと「いいよ行っておいで」と行ってくれましたし、仕事の途中でジュディーが「まだ時間大丈夫なの?」と聞いてくれました。

こんなこと日本では許されないけど、ポンペイでは当たり前のことのようです。

誰かが話していました。
日本では「仕事が1番」のことが多いけど、
ポンペイでは「家族が1番、友達が2番、仕事は3番くらいかも」と

全く違う文化と習慣なのでどちらがいいのかなんていう判断は出来ませんが、今はいい加減にすると言う意味ではなく、自分の今の気持ちに正直に子どもが帰ったらお世話になった家族の見送りを優先したいと思います。

家の子ども達も午前中の授業が終わったらみんな学校前のタクシー基地(本社のようなもの)に集合になっていました。
12時に行くと丁度もう家族は出た後で、急いでタクシーでおいかけました。

お嫁さんの息子さん一家はもちろん、お嫁さんの孫もで、家を出た夫婦などたくさんのひとがきていました。空港はとても小さいのですが、飛行機に乗る人より、送る人・出迎える人でごった返します。(まあ35000人くらいの島なのでそんなにすごいことはないですが、小さい国際空港なので)


税関にはいりかけて、知り合いの人がおばあさんにCDを渡し損ねて、そのままいってしまい、周りの人が困っていたので、僕がこそこそっておばあさん所に行って渡しました。
終わってから「あれって日本人だからできるんだよね」と言われました。
日本人だからしてはいけないことを堂々としてはいけないですが、法律に違反しているわけではないので、家族の為って事で許してください。

仕事をおろそかにすることはいけないことですが、家族のことを第一に考える生き方は、日本ではまだまだ認められにくいですが、本当に人間らしい生き方だなと思います。
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机の配置

2006年09月01日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の幼稚園のメインは、一枚の紙に点線で丸・三角・四角・ハート型が書いてあります。それに線を上からなぞって、色をつけるという遊びです。

シニータが最初からしていましたが、いつも調子で「HIRO、テーブルの上に紙を置いて」と言われ、おいおい「Please」つけてくれよと思いつつ、これを良い機会に、机の配置を換えてしまおうと思いました。子ども達は丸い机1つ・長い四角の机を3つ使って、これらの遊びをするのですが、丸い机なら丸い部分を全部、四角の机なら四角の辺を全部使うので先生が説明するときによく見えません。そこで先生の立ち位置を決めて、全員がその立ち位置が自然と見えるような配置に換えて紙を置きました。

先生は案の定?ぼくが考えたのと反対の場所に立って説明しようとしましたが、「こっちにたって説明してよ、みんなが見えるから」というと動いてみんなに説明してくれました。
こんなことを一回したからすぐに何かが変わるというのではないのですが、なんでも「何で紙を僕が置かないといけないの?自分で置いてよ」と考えてしまうのではなく、「紙を置くことによって、どうしたら自分の考えや子どものよりより指導にどうつなげていけるかだと思います。

また、今朝僕が昨日作ったリンゴの木の一部がはずれていて、パートナーの先生に「HIROはずれている」と言われました。いい方はいつものようにぶっきらぼうですが。
それって「僕がしたことにきっと興味を持ってくれているからはずれたことに気づいてくれているんだ」とできるだけ、物事を良い方向に取っていきたいと思います。

ちなみに今日の給食はお刺身でした。
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教師の全部を子どもにぶつける

2006年09月01日 | ミクロネシアのおじいちゃん
今日夕食をお祖父さんと一緒に食べているときに、たくさんの子どもがまわりにいました。
その中に学校では見かけない子どもがいました。
お祖父さんに「彼は学校では見ない子ですね」というと、「彼はコロニアのカソリックスクール(プライベートスクール)に行っているんだ」と言いました。
「カソリックスクールに行く子どもが多いですけど、どうしてですか?」と聞くと「あそこは先生が良いんだ」と答えてくれました。

そして少し経ってから、現地の学校に勤める僕のことを気遣って「それはカソリックスクールの先生は、子どものために一生懸命って事なんだ。自分の持っている全てを子どもに教えようとしているから」と話してくれました。

その時私はハッとしました。
そうだ。私はその子どもに懸命に教えることの大切さを伝えに来たんだった。
どんなHOW TO よりも大切な先生として大切なことは何かと言うことを。
それがまさしく今必要なのだと。
それは現地だけではなく、日本の子ども(今まで教えてきた子ども)に世界に出て行くこと、いろいろな人生があることを伝える為に僕が今このミクロネシアにいるんだったと。

ともすれば、現地の人に馴染むため、また合わせるために日本人として大切な勤勉さや教師というプロとして心構えが欠けていたのではないだろうか?

もちろん自分一人周りを見ずに突っ走ってしまうのはいけませんが、自分が懸命に働き、子どもに向かう姿こそ、何にも勝る活動なのだと。

お祖父さんの言葉の中から自分の原点を学ばせてもらいました。
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「さよなわは別れの言葉ではなくて」

2006年09月01日 | ミクロネシアの家族
これからブログを種類ごとにもっとはっきり分けます。
家族のことなど生活分野と仕事などの幼稚園・小学校分野にカテゴリーをわけて書いていくことにします。1日に2-3つブログを書いていることがありますので、興味のある分野だけでもご覧ください。

「さよならは、別れの言葉じゃなくて」
このタイトルは昔、来生たかおの「夢の途中」&薬師丸ひろこ{セーラー服と機関銃}の歌の歌詞に出てくるもので、この続きは「再び会うまでの遠い約束」と続きます。

こちらではあまり「Good Bye」といはいわず、「Bye」という軽い挨拶か「See You」
です。僕もこの「See You」という言葉が大好きです。

なにか「See You」という短い言葉には、「またね」だけではなく、「今度会うまでに元気でいろよ」「僕もがんばるよ」みたいな気持ちが入っているように思えるからです。

前置きが長くなりましたが、明日はポンペイで始めての家族との別れです。

僕がお世話になっているホストファミリーは、教会で助祭をされている84歳のおじいさんただ一人ですが、他にもおじいさんのお孫さんの家族5人がいます(正確にはもう少しいますが話がややこしいので)

そしてその他におじいさんのお嫁さんが今まで僕がホームステイを始めてからずっと一緒にいてくださいました。一緒に住んでいるお孫さんのお母さんでもあります。

しかし、彼女のご主人はハワイで働いておられ、何人かの息子さんたちも同じくハワイにいます。そのため彼女はハワイに帰らなくてなりません。
ずっとチケットが取れなかったのですが、とうとう明日帰ることが決まりました。

一緒にブレッドという息子もハワイに連れて行きます。(彼はハワイは初めてで向こうのハイスクールに通います)
ブレッドは、お嫁さんの本当は孫なのですが、戸籍上は息子(こちらでは孫を戸籍上養子にして子どもにすることがあるそうです。

本当にお嫁さんにはよくしてもらいました。
いつもおじいさんと僕が日本語でしゃべっていると「あなたはポンペイの人なんだからポンペイ語を話さないとだめだ」「もっと食べなさいよ」「もうご飯食べた」「気を悪くしたらごめんね」などなど、いつも時には厳しく温かく接してもらいました。とても良識のあるかたで、時間や物事にルーズなことがあると「これはおかしい」とポンペイやポンペイ人対しても
そしておじいさんやお孫さん夫婦とのいいパイプ役でもあり、おじいさんのことを気遣いながら本当に体も心も「BIG MAMA」でした。

「来年は来られますか?」聞くと「わからないけど、再来年は主人がリタイアするからそしたらポンペイに戻ってくるよ」と話してくれました。

前にもブログで書きましたが、彼女がいなくなると本当に少し不安ですし、僕たち家族の明るい火がひとつ消えそうです。

でも「See You」といって明るく別れ彼女のハワイでの幸せ、また僕のポンペイでのがんばりを誓いたいと思います。
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わかっていることを教える難しさ

2006年09月01日 | ミクロネシアの幼稚園
「わかっていることを、わからない人に教える難しさ」

もちろん、教えるということはすべて自分がわかっていることを人に教えることに尽きるのですが、自分が考えるまでもなく当たり前のこととしてわかっていることで、子どもがまったくその意味や原理など生活になかったことを理解してもらうことは、最も難しいことだと感じています。それは単に覚えさせるということではなく、真に物事の道理を教えるという意味で。

しかし、それを乗り越えたときに教えること、また子どもから学ぶことがたくさんあるのです。

今日は、なかなか文字や色を塗ることができにくい子どもを特に教えました。
はさみを使って自分で色塗りをした四角を切ることにしても、初めて使う子どももいて、戸惑っていました。

このようなときの導入が課題のように思います。
四角を教えることがメインなのでしょうが、はさみを使うことへの導入、つまりはさみがどんなふうに切ればよく切れるか、扱い方、またどんなに便利なものなのかを「こうしますよ」ではなく、遊びながら感じさせることが少ないように思います。

また今日の内容も四角が書いてある紙に色で塗り込む、そして切る、終わった子は違う髪に「A・I」など簡単な文字を書くと四角と簡単な文字と関連性がないものを急に二人するので時々子どもは混乱します。子どもが混乱しても、わからなくても、この教え方はまずかったのではないか?といった反省につながることの有無に対して疑問を感じてしまいます。

私もなんの準備もなく、私に教えていく中で、子どもにはさみやAを書くといったことに夢中、いや意地になってしまいました。教え込もう、またこれはこういうものなんだという風に教えるともう子どもの気持ちとずれてしまってだめになりそうでした。

私は今までこのような数字や文字といったことを窓口に保育をせずに遊びや歌などから子ども自らが気づいて考えることをメインにしてきたので、このような保育は苦手です。

しかし、今このミクロネシアに遊びを通して学ぶ幼児教育をしたいというニーズもなく、今の保育をいかによくしていくかと考えておられるわけですから、今の保育がよりよくなっていく方向を探っていく必要があります。
子どもが飽きない、まただれもが興味を持てる、もっとやってみたいと思える意欲が高まり、自分で次を考えようとするやり方を考えていきたいと思います。
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いよいよPE開始?

2006年09月01日 | ミクロネシアの小学校
今の僕の仕事はECE(EARLY CHILD EDUCATION)の先生ですが、学校でもうひとつ任務があります。
それはPEつまりPHYSICAL EDUCATION TEACHERです。

このアワック小学校隊員の先輩と一緒に授業をすることになっています。

先輩のほうに子どもから「PE」をしてほしいというリクエストがあり、校長先生に話をすると「担任の先生がOKならかまわない」とのこと。

これから担任の先生と交渉です。

そのため?今日は昼休みに子どもに混じってバレーボールをしました。
輪になってするバレーでしたが、カウンティングしていくつまで続けられるかをするとすごくエキサイトしました。
そして、勝手に打ったらだめだとか、いつもボールを見ている、相手がかえしやすいボールを打つなどたくさんの学びとなる要素があると思いました。

最初はとりあえず、子どもにいろいろな体育の楽しさを教えればいいと思いましたが、それだけではあまりにもその場しのぎだし、教育だとは言えません。

やはり教育には「こういう風にしたい、こういう気持ちを感じ取ってほしい」という教師の願い、そして目的がはっきりとなくてはなりません。

とりあえず、今できそうなことをわすれないように案として考え見ました。
またほかにもアイデアがあったら教えてください。

写真は国旗を降ろすときにひっかかり、さすがみんな登れるので、のぼってとっていました。
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