南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島の人間冥利に尽きる教え子からのメッセージ!

2024年11月23日 | 帰国後
教師冥利、いや人間冥利?につきます。

今日、青年海外協力隊時代に南の島ミクロネシアで教えた元幼児から、メッセンジャーが。

今、留学生として日本に住んでいます。
ぜひ僕に会いたいと。

ありがたいことに私は彼女にとり、Amazing teacher で、
今の私があるのはあなたがいたから。と。
良いように訳しすぎている?

一部彼女のメッセージを引用
 it would be great to meet you and personally thank you bcos(becouse) if it weren’t for amazing teachers like you, I wouldn’t be where I am today!

ありがたいしかない。
以前にも協力隊の現地で出会った日本の中学生がずっと私のことを思ってくれて、仲間に「〇〇県の〇〇さんに憧れて協力隊員になった」という話を聞いた時もめちゃくちゃ感動したけど。

協力隊時代に現地の大人や家族にはめちゃくちゃ感動したけど、こんな10数年の時空を超えて。

最近、自分の力のなさを嘆くことも多いので、本当に元気貰いました。

ささやかな花でいい、大袈裟でなくていい。
ただあなにとって価値があればいい

誰も気づかない。ありふれた一輪いい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい

最近ずっと心に語り掛けるKing Gnuのねっこの歌詞が
現実になったようで驚いています。

この作品わたしが大好きでモットーにしてる 宮沢賢治さんの雨にも負けず〜デクノボウになりたいの世界観なんだなあ。

写真の48の瞳の他の23人は
みんな元気かなあ?

彼女のメッセージ全文
(彼女の許可はとっています)

Kaselel Hiroyuki! Im not sure if you still remember me, but I hope all is well on your end. I moved to Japan for graduate school & I’m living in Tokyo! If ever you’re in the city, please let me know. I would love to see you again!! Regards!

i was looking through old photos on fb and saw the old class photo outside of the school. Yes! I’m in Tokyo, and will be here for at least two years. it would be great to meet you and personally thank you bcos if it weren’t for amazing teachers like you, I wouldn’t be where I am today!

こちらのら当時のブログが訪問者1日200人超えました。

たまにめちゃくちゃいいことある。
生きていてよかった。

これからも花になり、ねっこ
が生まれるように。
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南の島のちょっとドラマのような話

2018年12月01日 | 帰国後
ちょっとだけドラマのような話。
  私が12年前南の島で青年海外協力隊をしていた時に 日本から南の島に交換留学として小学生が1週間滞在していました。南の島で青年海外協力隊に興味を持ったその小学生が12年の時を経て 青年海外協力隊として活動していることが分かりました。
 彼女は日本に帰国後も私のこのブログを通しコメントでやり取りをしていました。12年経ってもその気持ちは変わらずなんと今、国や島こそ違いますが南の島で協力隊として活躍してくれているとのことです。

 そして そのことを私が知ったのは、 この春 協力隊の壮行会で私が話をした派遣予定の隊員がその小学生だった隊員と同じ訓練班になり、なぜ協力隊になろうと思ったかと元小学生に聞くとなんと私の名前を告げてくれたそうです。告げてくれたこともすごいですが、その派遣予定隊員が、私の事もすごく、とてもすごいことが2つ重なり、このドラマのような話を私が知り得たわけです。なんと写真も持ってくれていました。協力隊やっていいことがいっぱいありましたが、間違いなくこの話もその一つになりました。
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南の島へ緊急帰国

2012年10月15日 | ミクロネシアの生活
帰国してから、毎年のように夏休みを利用して南の島の家族の所に行っている私ですが、一度だけ緊急帰国したことがありました。それは、帰国して一年目の2009年3月の年度末の忙しい時期でした。急に南の島から国際電話で、お爺さんが「OOさん、体調が悪いんだ、ハワイ

の息子達ら、家族はみんな帰ってきたけど、まだ帰ってきてないのはOOさんだけなんだ」と。言葉に詰まってしまいました。お爺さんに早く会いたい、でも年度末は休むことはせめて1日くらい。南の島には行き帰りで4日必要な事が多い。それに休みをくださいと自分も職場もそん

な状態じゃない。いろいろと検索して、木曜日の深夜に飛行機でグアムに行き、朝グアムから南の島に行き、金・土と現地で寝泊まりし、日曜日の深夜便でグアムに戻り、月曜日の朝に日本に戻るというスケジュールが咲いたんでした。これから木曜日は仕事ができるから、金曜日とげ

月曜日の午前中休みを取れれば、空港2泊、現地2泊の滞在が可能です。園長先生に話をすると「こんな忙しい時期にも行きたいと思う家族が2年でできたこと、それほど現地の人に大切にされる関係を作れたのって凄いね」と快く休みを取ることを許してもらいました。


 いざ南の島に戻ると、お爺さんの顔色は元気な時なほどではありませんでしたが、危篤とはほど遠いほど回復し、現地の人に「OOさんが帰ってきたからだ」と言われるほどでした。病院からも退院されていて、お爺さんの娘さんがベットの横で毎晩布団を引いて寝ておられました。

現地の村の人も、僕が帰ってきたことを聞くと「本当に帰ってきたんだ」「日本から戻ってきた」「すごい」と驚いてくれたそうです。僕には正直大変でもあった2回目の帰国でしたが、家族の一員として迎えてもらい、元気になってくれたお爺さんと再会できた実り多い帰国となりま

した。
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南の島の寝言

2012年10月14日 | ミクロネシアの生活
 
 今日テレビ番組を観ていて、寝言のことが話題になっていた。

 僕が南の島で暮らしていて、ドミトリーで仲間と寝ていたら「OOさんの寝言って現地語ですね」と驚かれてしまったことがありました。

 仲間に「夢ま南の島で現地語なんて、どんだけ好きなんですか?」って言われたような。

 もう帰国してかなり経つけど、現地語は簡単な言葉だけど、忘れない隊員魂の表れの一つなのかな?
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南の島関連で首相官邸

2011年03月31日 | 日本の日常
今年度も終わろうとしています。

 いろいろニュースがあるのですが、4月にお知らせします。

 今年度もいろいろありましたが、そのひとつに首相官邸に協力隊として行ってきました。
 今は見るも無残な支持率ですが、僕が訪れた就任直後はかなり高い支持率を誇っていた管内閣。首相官邸で、コックさんから「管首相は焼き魚が好きですよ」など

 裏話を教えてもらい、写真のようにミーハー丸出しで、閣僚の記念撮影の場所で記念

 撮影。閣僚になることないから、せめて写真だけでも。

 赤坂御所・首相官邸を制覇したから、後は皇居だな。

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南の島から連絡の打診

2011年03月30日 | 僕のミクロネシア

 隊員仲間からメールがありました。

 内容は、仲間の知り合いが先日僕が住んでいた南の島に行き、そこで、今まさに「南

の島で幼稚園の先生になろう」を実践している隊員に会い、僕と連絡を取りたいのでメ

ールを教えてほしいと頼まれたそうです。

 僕の住んでいた南の島は、本州と四国の間にある兵庫県の淡路島の3分の2くらいの

大きさという、とても曖昧で微妙な大きさの島なのですが、交通手段は車しかありませ

ん。僕たち隊員の多くは島でひとつしかない町で住み活動しているのですが、僕のよう

に村で住み、活動している隊員もたまにいます。そんな村の隊員の交通手段は、車の運

転ができないので、タクシーです。

 なぜ、このように交通手段の話をするのかというと、今連絡を取りたがっている隊員

は、タクシーも通らない町に自力でなかなか行けない隊員で、なぜその場所で活動する

ようになったかという理由が僕にあるからです。

 連絡を取りたがっている隊員が働いている幼稚園の先生が僕が南の島にいた時に、僕

の幼稚園の授業方法を凄く気に行ってくれて、「一度村に来てくれ」と頼まれていたの

ですが、いろいろ諸事情があって行くことができなかったのです。しかし、その幼稚園

の先生は、そこで諦めず、僕がボランティアがほしいならJICA事務所に行ってボラ

ンティアが欲しいと申請すればいいと教えたことを本当に実行して、ボランティア要請

を出し、そこに採用されたのが、今僕と連絡を取りたがっている隊員なのです。

 協力隊は、要請主義で現地の人が日本の協力隊に来てほしいという要請をあげて初め

て成り立つのですが、なかなか現地の人が実際にオフィースに来て、要請をあげること

はないのが実情ですが、彼女はそれを見事にしてくれたやる気のある人です。僕も正

直、自分の活動や僕の後任の活動を見て、要請をあげてくれたことをとても嬉しく思っ

ています。

 今、南の島で活動している仲間が何を話したいのか?よくわからないですが、自分

も関わりがある以上、南の島での活動がうまくいくように連絡をとりあって、自分が少

しでもサポートできればと思います。

 最近、にわかに南の島関連の情報が僕のもとにきて、嬉しいやら懐かしいやら、ブロ

グのネタができるやらです。

 こうして、帰国して3年経っても、南の島とつながっていられることに感謝です。

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南の島の笑顔から

2011年03月29日 | 僕のミクロネシア
土曜日は、僕が所属する青年海外協力隊の教員OV会の集まりがありました。

そこで、今回は、僕と入れ違いで南の島に行って帰ってきた隊員(現在教員)の

活動中のいろいろな失敗という題で話を聞いてきました。

活動を聞きながら、自分の南の島の生活がリンクして、よみがえってきました。

最後に南の島で流したというビデオを見せてもらい、僕が知っている南の島の笑顔が見

られて、とても幸せな気持ちになりました。

日本って今は特に笑顔が消えているなあって。

そして、日本で子どもと接したくさんの笑顔を接しながら、日本では子どもの笑顔は見

れるけど、大人、自分自身が笑顔かな?って思いました。

単に笑顔というだけでなく、人生楽しく生きているかな?って。

南の島の人は、物はないけど、心は豊かで笑顔いっぱいでした。

だから、津波の日本のことを心配してくれる優しさ、生きる上で余裕があるのかな?

こうしてブログを3日も続けているのは、今は春休みで仕事は毎日あるけど、家に帰っ

てまで仕事がないから、できることって、それって豊かかな?

自分を振り返られない毎日に反省です。

今年度は、笑顔が僕のキーワードに。

自分が笑顔でいるか、周りの人を子どもも大人も笑顔にさせられるか?


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南の島へ安否の連絡

2011年03月28日 | 日本の日常
 先日の隊員からのメールを受けて、南の島のホームステイ先に電話しました。

 なかなか電話をしても誰もでず、おじいさん病気で入院しているのかな?なんて

 最近の日本の光の見えないネガティブモードになっていると、ハワイにいるはずの

 おじいさんの息子さんが出て、今教会に行っているよって言ってくれ、再度かけなお

 して、おじいさんと話ができました。

 おじいさんは津波のニュースを知った日からずっと僕のことを心配してくれていて、

 僕が無事ですっていうと安心してくれ、家族の人は大丈夫か?と。

 日本が津波だと聞くと、南の島の人の感覚からすると、みんな被害にあったとい

 う感覚になることを改めて感じ、もっと早く連絡すればよかったと反省。

 帰国して3年が過ぎましたが、僕とおじいさんはずっとつながっています。

 教会にも行けるほど(家の川の向こうが教会なんだけど)元気になられて、

 本当によかった。南の島リターンズ5も近かったりして。
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南の島から緊急メール

2011年03月27日 | 日本の日常
 今、僕の赴任地で活動している隊員からメールが届きました。

 内容は、僕が2年間お世話になった南の島のホームステイの家族が日本の津波で僕のことを 心配しているので、至急おじいさんに連絡してほしいとのことでした。

 そのことを隊員に伝えてくれたのは、おじいさんのお孫さんで僕と同じくらいの歳の一緒に おじいさんの家で過ごした、お世話になった方です。

 南の島でも一時津波で非難していましたが、今では日本への募金活動を行っていること。

 本当に南の島の家族といい、南の島のみんなといい、協力隊から帰国して3年経っても、

 僕のことを、そして日本のことを忘れずにいてくださることに本当に感謝です。
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鳩山首相退陣で予定変更

2010年06月04日 | 日本の日常
今日は、日本中は鳩山首相退陣で大騒ぎ。

日本にとっては大きな出来事だが、僕にとっては関係ないはずが、実は関係ありあり。

数日前、協力隊員OB100名ほどが、首相官邸で鳩山首相とお会いする機会があるので、

東京に来てくださいと打診がありました。

首相官邸なんて行くことないし、天皇皇后両陛下・皇太子殿下・フィリピン元アキノ大統領と会って、話をさせていただいたミーハーな僕は、すぐに行きますといったものの、この情勢なので、延期や中止もありえますとのこと。

まあ、この政情だから8割ないかな?と思っていたら、案の定今日の退陣。

今は仕事が超忙しい時期なので、予定がなくなり、ちょっとほっとした気分。

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