南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

協力隊の忘年会

2008年12月27日 | 青年海外協力隊
今日は、僕が住む県の青年海外協力隊OB・OG教員経験者の会があり、出席しました。
なりゆきで、春の会では僕が報告をすることになってしまいました。

その後、県のOB・OGの大忘年会。総勢30-40名は、いたのかな?

今年は、南の島にいたときの仲間4人で忘年会&クリスマスをしただけだったので、こんなにぎやかな忘年会は久しぶり。

協力隊の忘年会は、日本でも正直かなり浮いている?

今からシニアとして再び海外に行く人、任期を短縮してしまいもう一度チャレンジする人などなど、海外への熱い思いを持った人の集まりだから。

季節は寒いけど、四季のある日本に帰ってきても、南の島のように協力隊の仲間は
やはり、熱い。
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南の島の新たなカウンターパート

2007年12月04日 | 青年海外協力隊
何度もこのブログに出てくるカウンターパートとは職場の同僚のことであり、
僕たちが技術移転の対象としているローカルの人(僕の場合は先生)です。

協力隊って言うとすぐに「井戸掘りに行くの?」って言われますが、カウンターパートがいなくて、ローカルの人々全般を対象にする場合もありますが、多くの場合は技術移転が目的です。

技術移転とは?

つまり日本などで隊員が培った技術を現地の状況を把握しながら、その国に必要なものを技術としてつたえていくもの。

だから僕の場合南の島の子どもに教えることが目的ではなく、南の島の子どもに授業をしながら、南の島の先生にそのよさを感じてもらい、いろいろなスキルや考え方を伝えていくというものです。

今まで僕には村の幼稚園に二人のカウンターパートがいました。

でもそれだけでは十分に伝えきれないので、新たに町の幼稚園に行き、新たな先生を見つけ村の幼稚園と並行しながら今活動しています。
つまりカウンタパートが増えたわけです。

そして来週にこの南の島ではじめての幼稚園のオープンクラス型のワークショップをするにあたって、カウンターパートと打ち合わせをしました。

僕がまだラフな段階での授業展開とそれにリンクさせた形のプレゼンの内容と説明しました。

前にも村のカウンターパートとワークショップをしたことがあるのですが、そのときは、突っ込んだ話になるとローカルの先生は「???」だったり、それはあなたに任せるって言われてしまっていたけど、今度は一つ一つ一緒に考えたり、それについて感想や意見を言ってくれます。もちろん英語なのですべてがわかりあえるわけではないですが、こうしてワークショップに向けてローカル教員と突っ込んだ話ができること自体がうれしいです。

まだまだ安心はできないけど、こうして当日の結果だけでなく、日々の過程を大切にしていきたいと思います。
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南の島の感謝祭

2007年11月24日 | 青年海外協力隊
23日は、感謝祭。
日本ではなじみがないですが、この南の島でも馴染みはありません。

でも最近感謝祭の習慣がこの島にも。

その習慣とは単に七面鳥を食べること。

僕たちは、この間の「南の島に集まるボランティア」で述べたようにワールドティーチというボランティアが集まって感謝祭をするというので、参加しました。

一品持ち寄りなので、僕は最近凝っているチャーハンにしました。

僕の村に住むワールドティーチは、一軒家を借りて、凄く優雅。
同じボランティアだけど、かなり生活形態は違うみたい。
彼は自動車を持って、自動車運転しているし。
こちらは常に歩きか、タクシーで、ホームステイだし。

でもそんないろいろな環境の仲間が集まって、集えて楽しかったです。

なかなか日本では食べられないターキー(七面鳥)も食べられたし。

南の島との生活も大切だし、この島でしか出会えない人との出会いも大切にしたいです。
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南の島のインターネットライブ大成功

2007年11月10日 | 青年海外協力隊
日本の大学際と南の島の子ども達を結ぶインターネットライブ。

こちらの出し物として、教会の歌・ココナッツのジュースつくり、コブラ削りをみてもらうので、その素材集め。
おじいさんの指揮のもと、孫たちが雨の中にココナッツの木に登って取ってくれました。

当日は4時スタートなので、2時に家に集合して出発して町の事務所に行く予定でしたが、予定していた子どもが(おじいさんのお孫さん)一人家を出たのにまだこちら到着しない。家の人が車で見つけに行ってくれて無事集合。

予定していた子が一人来ないので、急遽家にいた男の子も連れて行くことにしてタクシーに乗り込みました。タクシーが教会で結婚式があるのに、スムーズに来てくれて助かりました。

事務所では隊員が到着してパソコンの設定をしてくれていました。
会場も「ポスター貼ったほうがいいよ」など、たくさんいるといろいろなアイデアが出てきます。

試験交信の反省を生かして、音声をスピーカーでつなぎ、マイクも動きやすいものにして、日本の画面もプロジェクターを使って大きく写すことにしました。

開始直前にも交信をしましたが順調そのもの。

これだけ順調にいってきて、「本番だけつながらなかったら最悪だな」なんて嫌なことが頭をもたげましたが。

日本時間で午後2時こちらの時間で午後4時(南の島は日本より2時間の時差です)スタート。

大学のサイトで大学祭の会場が映っているのがインターネット上で見ることができました。
しかし、会場にどれだけいるのか不明で誰もいないのでは?と心配してしまいました。

今回はアフガニスタン・南アフリカとこの南の島をつなぎます。

流石に1時間30分も待った子どもたちは退屈そうでしたが、選りすぐり?の家族をつれてきたので、落ち着いています。

そしていよいよ出番。

まず僕がこの南の島について紹介しました。
・ 雨が多い島であること
・ 日本の文化や言語が残っていることなどなど

そのあと、子ども達の自己紹介も緊張しながらも一人ひとりが日本の方に向けて名前を言いました。

その後トラブル発生。音声が聞こえない。日本側も僕たちの声が聞こえない。
インターネットライブにトラブルはつきものらしいですが、やはり慌てます。

マイクを交換してうまくいき、再開。

こちらからは出し物として、南の島の人が大好きな教会で歌っている歌、いつも木に登って取った実を飲むジュースを子どもがナイフを使って切り口を切る、またコブラ(ココナッツの古くなったもの)の中身を削るところもみてもらいました。

僕の住む南の島には伝統的なダンスや歌があまり残っていないので、こういう形式の派フォーマンスをすることに。でも家の手伝いをよくする子どもたちというテーマで紹介したので、思った以上に日本側に映像を通して南の島の様子が伝わったように思います。

そして、こちらからは「学校の名前は?」「学校で好きな科目は?」「大好きなスポーツは?」という質問をしました。

そしてこちらから最後にメッセージ。
地図でも見えない小さな南の島に、日本人のことが大好きな子どもや昔南の島に日本人が住んでいて日本ことを懐かしいなあって思っているおじいさんがいることを知ってください。そして私が今現地で現地の人と触れ合いながらたくさんのことを学んだように、これから旅行など様々な形で海外に行くときも、現地の人とふれあい、そこでしか感じられないことを大切にしてくださいと。

かなり焦りましたが、大成功でした。日本側からも南の島の子ども達のよさが伝わりましたと言っていただきました。

さあ帰ろうかってタクシーを呼ぶこと2時間。
まあ今日はインターネットライブが成功したから、これはしょうがないなあって。

今日は帰りのタクシーが早く来て、インターネットがつながらないよりずっといいから。

人生プラスマイナスゼロなので、いいことにプラスを使って、どっちでもいいことにマイナスが使えるように、またそういう風に考えていかないとね。
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南の島のすき焼き委員会

2007年10月19日 | 青年海外協力隊
今日は、隊員に声をかけてドミトリーですき焼きをしようと声をかけました。

牛肉の薄切りがスーパーにあると買いためて、南の島で貴重な野菜(白菜)が入れば会に走り、こまめにスーパーをチェックして、生卵を買ってすき焼きが食べられるように願っているとネギまで手に入れることができました。

すき焼き委員会と名づけて、メールを送って隊員に集まってもらいました。

集まってくれた隊員は、みんな美味しいねといって食べてくれました。
全国各地から集まっている隊員ですが、なぜか今日は西日本出身者ばかりで、関西風すき焼きが一番だよねって語り合いました。

日本ではいつでも食べようと思えば食べられる食材がある。
味はきっと日本で食べたほうが美味しいけど、なかなか食べられないものが食べられる喜びが美味しく感じられるのだと思います。

空腹が何よりのご馳走。
食材が手に入らないことがなによりのご馳走って感じです。

そんな環境だからこそ感じられる喜びを感じたいですし、これからも大切にしたいと思います。
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またもや名所めぐり

2007年09月30日 | 青年海外協力隊
今日は、いや今日もナンマドール遺跡・ケプロイの滝に行ってきました。

今日も言うのは、先週は昨日ポンペイを去ったスタッフの方と、そして今日は、新しく来た隊員を連れて。

ポンペイには素敵なところがたくさんありますが、観光名所といえば、やはりこの二つなので、去る人、来る人どちらの方とも一緒に行ってしまいました。

新隊員たちが明日あさってとポンペイを去るにあたって、ポンペイの思い出作りのお手伝いができたのなら光栄です。

車のない僕たちがこういう風に団体(今日は総勢12名)で、観光に行くのには、タクシーが必要です。それもそれぞれの場所でタクシーを乗り降りしていては、タクシーはなかなか来てくれずに日が暮れてしまうかも?
なので、僕たちはタクシーを借り切って出かけます。
旅行者の日本人だと高くなりがちですが、ローカル料金に準じた価格で乗せてもらえます。

それもいつも村のタクシーを利用していて、僕たちのことを知ってくれているからこそ。
まあ、僕たちもそのタクシーがあるから、町に行くことができるのですが・・・

明日は、ミクロネシアの大学に行って、幼稚園教諭育成コースの授業を見せてもらう予定です。それもこの国の教員の質向上にどう結びついていくか、またこれからどんなアプローチをしていくのがいいのかを考えるいい材料になればと思います。
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この胸の中に

2007年09月29日 | 青年海外協力隊
今日は1年3ヶ月赴任してからずっとお世話になったスタッフが帰国される日でした。

送別会の時に歌を作ってプレゼントしましたが、どうも納得できず、新たに曲を作り直して、メンバーで練習して、旅立つ間際に歌いました。

どのメンバーが去ることも寂しいですが、長い時間を一緒に同じ目的に向かって歩んできてくださったスタッフだったので、その思いを伝えようと。

ウクレレバンドのメンバーにこの曲を作って聞いてもらったときに「この曲ってラブソングみたいですね」って言われましたが、それだけ思い入れが深いのかな?と自分で思いました。

見送った後に、夕方仲間から電話があり、見送ったはずの飛行機が飛び立たず、エンジントラブルで5時間待ちになり、一度空港から戻ってきて夕食を一緒に食べるというハプニングつきでした。

飛行機が飛ばなかったのは、きっとそのスタッフのこの島への思いが重すぎて飛ばなかったのかもしれません。

歌を聞いて、もちろん涙してくださいました。

歌は「この胸の中に」
                                     

さよならは いつもさびしいね  でも僕らの

楽しい   思い出は胸に    いつまでも

ポンペイで過ごした   2年の月日の中で

たくさんの勇気と    元気もらったよ
        

ありがとう  君のこと   忘れやしないよ
        
いつの日か  会えるね  このままの僕らで
      
ありがとう ポンペイに  君がいてくれて

いつまでも 思い出は   この胸の中に

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つながっているから

2007年09月28日 | 青年海外協力隊
今週は、ウクレレライブが3回というアーティスト並みの?出演回数。
火曜日に日本人会、金曜日が新隊員歓迎会、土曜日がスタッフが帰国されます。
誰から頼まれているわけでもなく、全くの自己満足で、自作の曲を仲間と一緒に歌っているだけなのですが・・・

今日は、午前中の授業では、カウンターパートが昨日聞いたCDから自分で選んで、CDを使って自分も自ら体を動かして、子どもを指導してくれました。「すごいいい教え方だったよ」というと「今日は金曜日だから、頑張れるよ」との答え。
まあ、それでも十分です。毎日これなら金曜日でもいいのになあ。

その後も、僕が授業でしたゲームを生かして、自分の授業でもゲーム的な要素を取り入れて形の同じものを探す授業をしようとしてくれたので、急いで教材を作り、その後に効果的なワークシートも子どもが給食を食べている間に急いで作り提案しました。こうして前向きにカウンターパートがなっているときを逃さずにいきたいと。

昼からは併設されている小学校の保護者会に出席して、その後は教育局に行って、算数ワークショップの打ち合わせ。今年初の会議でしたがいい方向に進んでいきそうです。

そして、新隊員の歓迎会。今回は4つ州それぞれに隊員がいるので、仲のいいみんなの思いがずっとつながり続けていけるようにという願い、そしてポンペイに戻ってきてくれた短期隊員と後輩隊員との再会を喜びたいなあと思い、作りました。

恒例になったウクレレの時間に、芸能人並みにフラッシュを浴びて、完全に勘違いしながら、ウクレレで思いを伝えました。
新しい隊員がこれから初心を忘れず、元気に任期終了までこの島で活動できますように。
詩を紹介します。

   「つながっているから  ~Welcome to NEW & OLD Friends~」

                       

夢や希望と  いう名の荷物 背負って  遥か日本からやってきた 新しい仲間

夢や希望を  見失わないで      ミクロの太陽のように  輝き続けよう

コスラエ、ポンペイ、チュークにヤップ    離れ離れになっても

君たちの熱い思いは     つながっているから

南の海、越えて        いつまでもいつまでも


おかえりなさい  待っていたんだ   君がいないポンペイは 寂しすぎるから

おかえりなさい  君を待ってたのは  ポンペイの人も同じさ 新しい始まり

音楽教育・食品加工  仕事は違うけれど

僕たちの熱い思いは  つながっているから

南のポンペイで    これからもずっと

みんなで明るく  元気に   楽しく

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新しい仲間到着

2007年09月26日 | 青年海外協力隊
先日、スタッフの送別会をしたとお伝えしましたが、今日は、新しい隊員がポンペイに到着しました。全部で8名。

ミクネシアは、4つの島(州)に分かれるので、他の島に赴任される方は、僕はもう任期中に会うことはないのですが。

実は、今回8名の隊員が来るので、welcomeで出迎えるときのマラマル(花の頭の飾り)が足りない。空港で売っているのですが、その数を確保するには飛行機にのるひとたちより早く空港に行かないと売り切れるので、今日は朝に自分の授業を全部まとめて、早めに村を出て、空港にむかいました。

どうにか、8つゲットできて一安心。
でも当然のように早く到着しすぎて、時間をもてあまし、ウクレレ弾いていると子どもが集まってくるし、日本に行ったことのある人と日本の懐かしのメロディーをポンペイ人の歌、日本人のウクレレでジョイントしました。
本当に音楽は国境を越えます。

いろいろな人にウクレレいつも持っているねと言われますが、ウクレレがあることでどれだけたくさんの人とコミュニケーションがとれたことか。

まさにウクレレさまさまです。

これからもウクレレだけでなく、いろいろなコミュニケーション能力を発揮して、
残り少ない活動を有意義にしたいと思います。
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welcome back my frineds

2007年09月21日 | 青年海外協力隊
今日は、午前中の授業が終わると急いで空港に。

今日は2名のWelcomeです。
一度任期満了で帰国した仲の良かった隊員が今度は短期派遣の隊員として戻ってくることになりました。
またもうひとりは病気療養で一時帰国していた仲間が無事元気になって戻ってきてくれました。
ホームステイをしている彼の家族も心待ちに空港でマラマル(花輪)を持って舞ってくれていました。

仲の良かった隊員が6月・7月と続けて帰国してとても寂しかったのですが、こうして元気に仲間と再会できて、またポンペイで一緒に活動ができると思うと、うれしさがこみ上げてきます。

今日は教育局でMEETINGがあったのですが、行ってみると担当のローカル職員が離島に出張とのこと。

まあたまに、いや時々、そういうこともあります。

今日は仲間も着たので、何でもokかな?

協力隊では、2年の間にたくさんの出会いと別れが繰り返されます。
そしてそのひとりひとりと狭い島で一緒に暮らし、力を合わせた喜びがあります。

そんな、かけがえのないひととの出会いや別れを大切にしていかないといけないと思います。
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現職教員派遣制度

2007年08月07日 | 青年海外協力隊
今日はこのブログを読んでくれている中学生の疑問?を膨らませて、
協力隊について。

協力隊には、現職教員参加制度というのがあります。

これは、公立教員を対象にしたもので、目的としては、教員の資質向上、海外経験を踏んで教育現場で国際感覚を発揮するなどなどあります。

今まで現職の教員は、なかなか協力隊に参加しにくかったのですが、この制度ができて、仕事を休職したままで参加しやすくなりました。

年間で80人くらいの人がこの制度を利用して、協力隊に参加しています。

この制度は、職場への配慮もあり、日本の学校の始業時期を意識しています。

協力隊の参加年次もそのため、春募集の1次隊(協力隊は4月から訓練開始の1次隊から7月の2次隊、10月からの3次隊 1月からの4次隊があります)に限られます。

協力隊には派遣される前に駒ヶ根訓練所(長野)二本松(福島)の2カ所に分かれて訓練を行います。

僕の時は72日、現在60数日訓練に合格して、初めて協力隊員になります。

教員の場合はこの訓練の期間も入れて2年間休職させてもらい参加するので、任国での活動期間は6月~1年9ヶ月後の3月までとなります。
同期の隊員は、訓練後2年間の派遣なので6月に派遣されれば2年後の6月まで。

もちろん、訓練の前には協力隊の試験があり、それに合格しないといけません。

よく試験に合格して、「協力隊合格おめでとう」と言われるのですが、正式には試験に合格して、協力隊候補生になるのです。訓練後はじめて協力隊員になれます。

以上、現職教員参加制度について。

この制度のお陰で帰国後に大好きな仕事に復帰できます。
僕はきっとこの制度がなければ、参加することはなかったと思います。

今の教員という仕事がもちろん大好きだから。
日本に早く帰りたいとは、思わないけど、日本で仕事したいって気持ちはふつふつと。でも南の島で暮らしていて、復帰できるか心配です。正直。
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ホームステイ開始

2006年07月10日 | 青年海外協力隊
金曜日からホームステイが始まりました。

ここにカトリックの教会があります。僕がお世話になるホームステイ先は教会の横に流れる川をはさんだ家です。


ホストファミリーならぬ、ホストファザーは、84歳のおじいさんです。職業は教会で司祭の次の役職の助祭をされています。

なんと日本語がとてもお上手です。だから僕が家でしゃべるのはもっぱら日本語です。

おじいさんと一緒に生活して、日本の統治時代のことなどおじいさんが体験してこられたことをたくさん学びたいと思います。

土曜日はおじいさんのひ孫の結婚式がありました。曾孫さんはなんと17歳。
結婚式には300名くらいの人が来られました。

呼んでいなくても、近くの人がお祝い来てくれます。

お祝いの品もたくさん届きます。なぜか枕が非常に多かったのですが、送りたいものを送ればいいとおじいさんは言っていました。

その夜は当然サカオです。
サカオとは木の根っこを使って石でたたき水を加えてしぼった液体をみんなで飲みます。
飲むと不思議なことにだんだん気持ちが沈んで静かになる鎮静作用があります。

もちろん最初に飲むのはおじいさんです。一番偉い人から飲むのだそうです。

そのあとに食事をしようと思ったら食事がなくておじいさんが電話をされて、ご馳走が届きました。(もうそのときはご飯とツナのを済ませていたので少ししかたべれませんでしたが)


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サラダック訪問

2006年07月06日 | 青年海外協力隊
今日は仲間の小学校教員の隊員が働く同じウー村のサラダック小学校に行ってきました。小学校に行くと学校で校長先生が娘さんと娘さんの子どもさん(お孫さん)と教室を掃除されていました。

私たちが着くと、到着してはじめて会う隊員のことを歓迎してくださいました。
そして同じ村に赴任する私にも「僕の所にも来てほしいなあ」「また日本人で一緒に活動すればいいよ」ととても好意的に迎えてくれました。

どこの国に行っても、いい人は顔にも行動にもしっかりとでているし、やっぱり働き者だなあと思いました。

帰りにポンペイの幼稚園を統括している事務所に顔を出しました。まだ詳細はわかりませんが、事務所があり独立して運営されているなど、ミクロネシアは幼稚園組織がしっかりとしているようです。現地の日本人の方も「幼稚園の人はとてもがんばって活動されていますよ」と話を伺い楽しみです。

今日はトップの方が不在で連絡も付かないために失礼しました。
幼稚園は8月1日まで職員も休みのようなので、それまでにポンペイのいろいろな幼稚園を見せて貰ったり、この事務所に通って幼稚園のカリキュラムとか、目指している教育、現状などを感じ取りたいと思っています。

明日会う約束ができたので、明日良い方向に向かうことを楽しみにしています。
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教員研修

2006年07月05日 | 青年海外協力隊
今日は、ミクロネシア・ポンペイ島の現地の教員研修に参加しました。

昨日教育委員会に行くと、今研修が実施されていることがわかり、調整員の方が「行って見たらいいよ」とおっしゃってくださったので参加しました。

場所は教育委員会の前にある幼稚園です。
幼稚園は芝生の庭があり、園舎は素足で歩けるように床がなっており、とてもきれいな感じがしました。飾りも数字などが英語で標記してありました。

そこで地べたに座りながら話を聞きました。最初に「この研修はポンペイ語でしますか?」と聞いたら「英語がいいなら英語でしますよ」と言ってくださって英語での研修になりました。

内容はクラスマネーネジメントです。正直英語の力不足でまだ十分に理解できるまでには至りませんでした。フィーリングと標記で補った感じです。

9時集合だったのですが、始まったのは30分以上遅くなり、これがポンペイタイムなのかな?と思いました。

今日のビックニュース?は、空が晴れていること。
ポンペイに来て、正直ほとんど雨で、やはりポンペイは雨ばかりなのかな?と思っていましたが、会う人と会う人に「こんなに天気が悪いのは珍しい」と言われました。

昼からは語学訓練です。ポンペイ語は英語に比べると文法は簡単ですが、それでも
一人称の所有格・二人称の所有格に加えて飲み物に使う所有格など所有する名詞によって所有格がかわる難しさがあります。

しかし、depeという言葉を使うとHOW MANYにもれなくなるし、BE動詞はないので、英語ほど苦戦することはなさそうです。
現地の人に言わせると言葉の数は3000語くらいだとそうです。

がんばって覚えないといけないと思いつつ、記憶力の低下がかなり痛いです。

2年間使う言葉ですし、これが商売道具だと思うとモチベーションはあがります。



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今日からポンペイ語訓練開始

2006年07月03日 | 青年海外協力隊
今日からポンペイ語の語学訓練が始まりました。

今はドミトリーといって、ミクロネシアにあるJICAが協力隊のために用意してくださった宿泊所にとまっています。一軒家をかりきって使っています。ここは、ホームステイを始めても仲間が集まったり、土日にホームステイから離れて自分の時間をすごす貴重な場所にもなります。

そのドミトリーで語学の先生を招いて3時間授業をします。女性の先生で、とても親切です。今までカセレリア(こんにちは)しか知らなかったのですが、対話形式でするなど楽しくします。また後半はミクロネシアの習慣について。

ミクロネシアでは同姓の友達同士が兄弟の契りを結ぶことがあり、それはプロミスブラザーというそうです。そこでの決まりは、その義兄弟の姉や妹とは結婚できないそうです。血はつながっていないけど、契りを結んだのだからその本当の兄弟ももちろん血がつながっているという論理みたいです。

また、結婚したいとき女性は、好きな人のことをお兄さんには伝えないんだそうです。つまりプロポーズする男性も女性のお兄さんにはそのことを伝えないみたいです。

国が変わればいろいろな物事の基準が大きく変わるのだなと思います。

今日はミクロのメンバーの一人がヤップという違う島に行くので最後の夜になりました。次に会うのは一年後です。お互い一年後に笑顔で自分の活動が振り返られるようにしたいと思います。
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