南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

掃除

2006年07月31日 | 僕のミクロネシア
今日は事情により画像ありません。

まず朝学校にいくと幼稚園のメインの先生に会うことができました。

最初は誰もいなかったので帰ろうかなと思いましたが、待っていてよかったです。

掃除をしていると「あいて」窓ガラスを拭いているとガラスで右手の人差し指をかなり深く切ってしまいました。

治療していると、校長先生が全員招集。
今から教育委員会の地区を統括している人がくるとのこと。
ポンペイ語で話すのでほとんどわかりませんが。

席を準備して時間があるので折角みんな職員がいるのでウクレレで国歌とかを弾いていると実はもう地区の責任者の人が来ていました。
ウクレレの演奏をしていたときに拍手してくれた人がそうでした。

あとでみんなに演奏よかったよと言ってもらい。これは日本なら始末書ものだなと
思いました。

昼から仲間が迎えに来てくれてコロニアに。
実は今日は交換学生の最後の夜でパーティーに招待されているのですが、携帯が村ではずっと圏外で困っていました。

そしてパーティー会場に。
国歌を歌うときにウクレレで演奏することに。

みんな歌が早くなり、かなりやばかったです。
こちらのパーティーはかなり洗練されていて、村よりかなり都会的?

歌が次々にカラオケと共に歌われて大合唱。
途中で歌っている現地の人に紛れて歌いました。かなり現地の人には受けていました。

そして時間がかなりおしていたけど、島人ね宝を強引に歌いました。3番は替え歌にして。

やはり、迷ったらやってみる精神が大切だと思いました。
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家族サービス?

2006年07月30日 | 僕のミクロネシア
今日は久しぶりの家での生活なので、家族のためにいろいろなことしようと。
まずは朝教会に行って、サラダックの校長先生に会いました。
他にも村の長老?話していると8月5日(土)にどうやら村の集まりがあるらしくて、
僕も遊びに来いと誘われました。日本人会の集まりがあると言っても「そんなのいいから、
ウクレレも弾いたらいいよ」と。うーん。どうしようかな?

家に帰って、布団を干しました。あと残っていた洗濯物も。
前から気になっていたトイレのマットも洗いました。そしたらトイレも洗った方が良いかなと思い、トイレもごしごしこすりました。
あとおじいさんが食堂で使うマットも気になって3枚まとめて洗いました。

やっと一息すると、隣に住むおじいさんの息子のお嫁さんや子ども達や友達がビートルナッツの実を担いできました。
なんと一つの実で5セント。つまり20個で1ドル。一つの枝に200個はついているから全部で60-70ドルになるらしいです。
あとポンペイペッパーを発見。
なんとおじいさんの山になっているそうで、干して売ると1ポンド20ドルで売れるそうです。
あのビレッジのポンペイペッパーも実はおじいさんの家で作っているそうです。
自分の家で作っているペッパーをビレッジで嬉しそうに食べていました。

後お祖父さんと久しぶりにゆっくり話せました。
コロニアから村までは狭い道しかなくて、方法は自転車だけだったこと。
村に大きな荷物を運ぶのは船だったこと。昔船は家で造っていたこと。
山に大砲があり、それは日露戦争で使ったものを丸太をひいて日本人が運んだこと。
大砲を使ったのは終戦10日前だったこと。
昔お祖父さんは猟に出るのが好きで鹿とかを捕まえていたことなどなど。

時間があったので、今日の夕食は「僕が作るから」と宣言して、コロニアに。(今日は一日、村にいたかったけど)
タクシーはやはりなかなか来なくて、家の隣のタクシーの基地までいって待っていました。
昨日の2時間かかって村に帰ったことも話した甲斐があったのか、行きは二人でコロニアに、お店も3軒も回ってくれました。
そして帰りも同じタクシーが乗せてくれて、これまた2人で。
クレームのお陰かな?

買い物は苦戦しました。
メインの野菜がジャガイモしかありませんでした。

家ではお祖父さんの孫達が興味津々でカレーを作るのを見ていて、手伝ってくれました。
孫達の友達もちょっと恥ずかしがりながらもカレーを混ぜるのを手伝ってくれました。

なぜか本来の家族はあまり集まらず、いつも来ない友達がたくさん来ました。
子ども達が友達を呼んだのか?日本人が何か作っているから遊びにおいでみたいなノリで。

失敗はお肉を牛肉の骨付きにしてしまったこと。ちょっと危ないかも。
味は前回の失敗を生かして早めに作りました。
みんな「ヨウ」(おいしい)といっておかわりをしてくれました。

こんな風に家族と一緒に過ごしたり、家の仕事をみつけてすることもたいせつにしていかなくてはと思いました。
子ども達もまた一つ仲良くなれました。
一歩ずつ一歩ずつミクロネシアの国に、そして家族と分かりあいたいと思います。
まず自分から動くことを大切にしながら。
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ナンマドール

2006年07月30日 | 僕のミクロネシア

7月29日(土)
小学生の旅にまたまたついていて、ポンペイ一のスポットのマンマドールという遺跡に行ってきました。車でコロニアから一時間くらいです。
石が何重にも積み重ねてあってお墓や街が形成されていて、まさにマジック。
何も現地の人に聞いてもミステリーの一言で片付けられてしまいます。

一度ドイツの人が本格的に調査しようとすると途中で謎の死によって亡くなり、それ以後そういうことはタブーとなっているようです。
そんな不思議さを伝説も含めてきっちり伝えたり、旅行者の方に魅力の一つとして感じ取ってもらえるようになればいいなあと思いました。

セイさんという日本人の方が経営されている農場でもおいしいフルーツや鶏肉、カレーなどをごちそうになりました。
豚を割くだけしてある広い敷地に放し飼いにしてあるのがおもしろかったです。

今日は本当の仲間の誕生日で電話でお祝いしました。
自分が嬉しいと思うことをすることはやはり大切。
誕生を祝ってもらって嫌な人はいません。

そして、小学生の一人が今日誕生日で僕たちはサプライズとして子ども達が食事をしている間ずっと待っていて、食べ終わって登場。
ウクレレでHAPPY BIRTHDAYを歌って盛り上げました。
僕たちって何でこんな事喜んでしているの?って他の人が思うくらいの勢いでしています。

デモ良いです。喜んでくれる人がいる限り。

夜はタクシーで一悶着いや勉強になりました。
タクシーを呼んで待つこと40分。やっとついて二人で乗り込むといつもように全く違うところに連れて行かれて。そこまではあたりまえ。しかし、知らないお店につくと、運転手も店の片付けを手伝って、まだおわらないからと40分待ちました。
僕たちがどうなっているの?と聞いても「このタクシーに乗るから」みたいなことで。
この島ならではの助けあいの精神なのでしょうが、正直「ちょっと怒っているよ」と伝えました。感情の見せ所は非常にデリケートで難しいです。
こういう事が一つ一つ体験して学ぶことなのでしょうね。
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さよならナラップ

2006年07月30日 | 僕のミクロネシア
7月28日(金)
ナラップ島最終日。桟橋から離れて子ども達も潜りました。
歌を練習したり。
帰りは豪雨を見舞われそうでしたが。
見舞われたのは僕の肌。
目に見えない位の小さい蚊に30カ所くらい刺されました。

無事子ども達を送り届けて、ドミにかえってUUCの仲間が誕生日だから3時間粘って電話したけどかからずじまいでした。
よく考えると誕生日は明日でした。
3時間かなり疲れました。
やはり物事確認が大切です。
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ナラップで小学生と遊ぼう

2006年07月30日 | 僕のミクロネシア
7月27日
仲間と朝早起きして朝焼けを見ました。かなり感動です。
やはり島の景色は、違います。

朝には、桟橋からの潜って魚を見ました。
島を歩いて植物などを教えてもらったり、昼から子ども達と一緒にゴミ拾いをしました。
時間が空くととりあえずウクレレをしていました。子ども達も「それなにと」いって興味を持って集まります。島人ぬの宝も時には一緒に歌いながら。

夕方キャンプファイアーの準備を現地の人がしています。
子ども達も昨日から始めたバレーや縄跳びなどで自然と現地の子どもと仲良くなっています。
やはり子ども同士、体でぶつかって感じあるのが一番ですね。
キャンプファイアーでは子ども達と仲良くなった現地の子どもがフラダンスを披露してくれました。ミクロと日本の挨拶が重要だったので、僕らの出番はありませんでした。
なので終了後に
子ども達には、またまた贈る言葉の替え歌で「電気はないけど、月の光を楽しもう」みたいな歌詞で歌いました。スタッフに「泣けてきました」とかなりよいしょも入っているけど言われました。
やはり、人の喜ぶことをしようとこれからも思います。自分が無理するのではなく、自分の喜びをして感じられるように。

夕方、知事の息子と仲良くなって、船で沖まで連れて行って釣りを見せてくれました。
どこの国もやはり同じような光景です。
どこにでもいますドラ息子は。
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日本の小学生といざナラップ島へ 7月26日

2006年07月30日 | 僕のミクロネシア
7月26日 前日からミクロのチュックに住む仲間と一緒にビレッジに泊まって一年後の再会を互いに楽しみしたいと思いました。
朝電話があって、27日の予定だった日本の小学生のナラップ島でのキャンプが急遽、今日になったと連絡がありました。急いで用意をしようと思いましたが、総会などがあり家にちゃんと帰ってなかったので、家族が鰯の鱗を取るのを手伝ったりしながら、またおじさんが言うにはおじいさんのお嫁さんが僕とおじいさんが「日本語ばかりしゃべるので怒っている」と言っていました。それで少しコミュニケーションも取っていました。
小学生は24名で日本からスタッフが8名いました。最初はポンペイ州の知事への表敬の挨拶です。かなり長くて子ども達も疲れ気味でした。

たくさん雨が降っていると知事は「これはWELLCOME RAINです」と言っていました。そうです。雨の多いポンペイでは訪れた人が雨に出会うとそういいます。僕も到着したときはかなり歓迎されました。

ナラップ島にはバスで30分。その後小さな船に乗って10分くらいです。
島を歩いても5分もかかりません。砂浜があり、島の近くにはラグーンがあるので大きな波が島の近くまで来ているので、ポンペイ島とはかなり様子が違います。

そこで、さっそく砂浜の近くで子ども達は泳ぎ、いや水に浸かりました。
夜は雨で、天体観測はなかったようです。
僕は仲間と一緒にウクレレの練習に励みました。「島人ぬの宝」は弾けそうです。
夜は仲間と二人で少し離れた二人寝るのが精一杯の小屋で寝ました。
蚊よけに蚊取り線香を初めてたきました。

画像は一人で早起きして、レストランでぼっとしていたときに撮りました。
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昨日 大使公邸に行きました。

2006年07月25日 | 僕のミクロネシア
昨日は、隊員総会の個人発表で先輩がこの半年に活動してきたことをパソコンを使って発表しました。4島のそれぞれの活動はなかなか普段見ることができないので、とても楽しかったです。
今ミクロネシアには、僕のような教育関係として高校教師(主に日本語教師)小学校教諭がいます。他には村落教育・パソコン関係の部署で働く人もいます。

そして夕方からミクロネシアの大使公邸にご招待を受けて行ってきました。
服装は制服しかもっておらず、家に戻るのも大変だったので、コロニアでアロハを調達しました。(ハワイらしきもので18ドルでした)
アロハを買うときもポイントは、これ派手かなと思うくらいもので丁度良いと言うことです。

そしていよいよ大使公邸。
今まで見たこともないような、大きな家でしたし、庭や家から眺める夕日も最高でした。
NANPOUMARUという日本の船の名前がついた地名にあります。

お庭でウエルカムドリンクを頂き、食事を食べました。
いなり寿司や巻きずし、ピザなどもありとてもおいしく頂きました。

JICAの方からアドバイスを頂き、大使と積極的に話しました。
今のミクロネシアの現状、中国のミクロネシアでの台頭、アフリカのこと、ミクロネシアに今も根付く日本文化について、そして国際協力について。
一つ一つの話題にとても丁寧にお話しいただきました。

そして私の中ではメインイベント。
先日結成したUUC(ウー村・ウクレレ・サークル)の第一回の発表です。
曲は贈る言葉の替え歌で「贈る言葉~コロニアを振り返らない~」です。

贈る言葉 ウー村編(コロニアを振り返らない)
1番
暮れなずむ村の 光と陰の中、 去りゆくコロニア 田舎暮らし
(暮れなずむ街の 光と陰の中 去りゆくあなたへ贈る言葉)

都会を惜しんで 暮らすよりも 田舎のいいとこ 見つけて暮らそう
(悲しみこらえて ほほえむよりも 涙枯れるまで なく方が良い)

人は買い物、レストランに行くの、 村で暮らすのは、大変と言うけれど
(人は悲しみが多いほど     人には優しくできるのだから)

うらやむだけでは さびしすぎるから  ウー村の暮らし 楽しむのさ
(さよならだけでは さびしすぎるから あいするあなたへ 贈る言葉)

2番
海が見えるアワック 木々に囲まれるサラダック 言葉で言えない ウー村の自然
(夕暮れの風に 途切れけれど       終わりまで聞いて 贈る言葉)

海から浮かぶ 朝日に照らされ   木々から聞こえる小鳥のさえずり
(信じられぬと 嘆くよりも    人を信じて 傷つく方がいい)

時間がとまったビレッジの景色 決してコロニアでは味わえないのだから
(求めないで優しさなんて   臆病者の言い訳だから)

ウー村愛した 私たちだから  心から楽しむ ウー村 LIFE
( 初めて愛したあなたの為に  終わりも告げずに贈る言葉)


みんな緊張していましたが、練習でメリハリもつけてかなり感じ良くできました。
仲間がビデオに撮ってくれていたので後で見ると、みんなとても雰囲気で見てくれていました。もちろん大使も。

これからこんな風に行事を節目にいろいろと活動が広がっていければと思います。
まずミクロネシアで楽しいことをいっぱい作ってそこから人間関係をより密接にまた広げたいと思います。
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アンツ 海解禁

2006年07月23日 | 僕のミクロネシア
今日は待ちに待った?
初! 海の日です。
ミクロネシアに来て24日。やっと海に行くことができました。
今まではあまり赴任当初に海に遊びに行くことは慎むようにとお話があり、控えていましたが、とうとう解禁です。

場所はアンツ。
ポンペイ島には人口のビーチ以外にビーチはありません。
そして環礁に囲まれているため、島の海は穏やかな反面、皆さんが想像されているような真っ青な海ではありません。

しかしそこは南の島。船を借りて1時間もいけば、パラダイスのような島に行くことができます。
そんなわれわれにとっても身近なのがアンツです。(なかなかいけず、先輩の方も一年で一回行っただけの方もおられるようです)

船も漁船のような船を借りていきます。
一時間経つとそこは、別世界です。

そして無人島に降り立った我々はローカルのドライバーが島に住むカニを教えてくれて、一緒に取りに行きました。

木の実がなる木の上に上り、木の実を落として食べる習性があるので、木に登っているのを見つけると、木の下から煙りだし、あぶり出して降りてくるところを捕まえます。
そして焼くとなんとおいしいのでしょう。
もちろん、椰子の実のジュースは飲み放題です。

シュノーケリングも真っ青な海の中で珊瑚を見つけると色とりどりの魚たちが自由に私に気兼ねすることなく、泳ぎ続けます。

でも気をつけることが。それは南の島の海に浮かぶ小さな島に照られれる太陽光線。
上半身裸は禁物。僕はとても日焼けしやすいので、Tシャツを2枚重ねて泳ぎました。

あと夢中になったのが、貝拾い。もちろん食べられるものです。
貝のお吸い物を食べたいとみんな夢中になって探しました。

他には今はまっているウクレレをしたり、ただ海を眺めたりと幸せな時間を過ごしました。

夕食は、同じ船を使って釣りをされていた方から頂いた60-70センチくらいのマグロを仲間が料理をしてくれて、お刺身などにして食べました。

滅多にない経験ですが、時にはこういう贅沢な時間を過ごして、良い意味でリラックスしたり、南の島の良さを実感したいと思います。

今週は総会が引き続きあったり、他の幼稚園を視察したり、日本から来る交換留学の小学生のお世話をしたりする予定です。
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昨日のこと 村の集まり&総会

2006年07月23日 | 僕のミクロネシア
昨日は、まず朝起きるとおじいさんが「今日時間があったら村の集まりに行ってきなさい」と話されました。
月に二回、私のウー村では村のことを決める重要な会議が開かれます。
もちろん場所はナンマルキハウス。
ナンマルキとはポンペイ島に今も残る酋長制度です。
ナンマルキとは酋長のことで、村のみんなから尊敬される立場です。
ナンマルキのことも詳しく述べる時間はありませんが、このポンペイでは、政治とは別のコミュニティーが大きな力を持っているのです。

もちろん、ナンマルキの家では豚の丸焼きが置かれ、私の家もみんなで食べる食べ物をもっていき、渡した後参加しました。

もちろん、ポンペイ人が大好きなサカオも用意されていました。

昨日は、年に一度の総会がありました。
世界各地で国ごとに隊員全員が集まり、健康診断や話し合いを行います。

ミクロネシアは、島国のために全員が会えるのは、この総会以外にはありません。
もちろん、他州の方(ミクロネシアは4州になっており、ポンペイ州からみると他のヤップ・チューク・コスラエは他州にあたります)と会うのは初めてです。

事務所より安全について考える機会を頂き、先日の台風で津波が予想され避難をした隊員だったらあなたはどうするか?ということで話し合いました。
また州の警察や大使館員のかたからミクロネシアの現状を交えて話がありました。

そして、ミクロネシアで最も心配されるのが、海での事故です。
現地で長年ダイバーとして指導に当たられている方から、水上事故を未然に防ぐことやもしなってしまったときの対処法などを教えてもらいました。

そしてみんなでの食事会。
なんとフィリピン料理でした。

このミクロネシアではたくさんのフィリピン人が貴重な労働力として働いています。
僕は今まで9回、フィリピンに行き、ボランティアをしてきていたのですが、なんとそこのお店の人と話をすると、その方の故郷も私が活動していたANGELES CITYだということがわかり大喜びしました。

そして宿泊はコロニアにあるドミトリーに泊まりました。
ドミトリーとは私たちが休憩したり、連絡したりするために使うことができる各国に共通してある施設で泊まることも可能です。

他州の方も泊まられているので、一緒に川の字のようになって話しました。
なんだか修学旅行のようで楽しかったです。
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ワークショップで先生してしまいました。

2006年07月21日 | 僕のミクロネシア
今日は一週間通ったワークショップ最終日。

講師の先生はいつも「君どう思う」と言ってくれたり、ワークショップ後に「君経験あるんだろ、明日やってみてよ」と話しかけてくれていました。

今日は、ボールを使ってバスケットの延長のような遊びを展開し、体育館で実際に僕たちも動きながらしました。

準備体操の段階で「日本人の先生、みんなに見せて」と言いだし、とりあえずラジオ体操を織り交ぜて、曲げたり伸ばしたりするポイント伝えながらしました。

そしてバスケットボールの遊び最中も「やってみて」と僕が先生になって30人くらいの先生達を相手にボールを投げたり、ドリブルするなどいろいろなバリエーションを組み合わせて紹介しました。約40-50分。

何も考えいなかったので正直、やっつけ仕事でしたが、やはり人前に立つのは心躍る気分です。

最後に自己紹介をして、僕と一緒の学校の仲間と、違う学校の仲間と3人いるのでなんでも注文してくれたら学校に出向きますと話すとどこに電話したら良いんだという声が返ってきました。

正直赴任して3週間でワークショップしてしまっていいのかな?と思いつつ、これからもどん欲に自分ができることをミクロネシアの人々に分かる形で表現したいと思います。

昼は日本人の仲間三人を新しい校長先生が食事に連れて行ってくれました。
僕の誕生日もかねて。

夜は昔戦前にミクロネシアに居住していた方が10名くらい近くの家に来られて、
お食事を頂きました。

毎日ブログで書ききれないことが起こります。
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I DON’T FORGET BIRTHDAY

2006年07月20日 | 僕のミクロネシア
今日は、一生で忘れられない誕生日になりました。

朝からいつものようにワークショップに行き、すぐ村に戻って違うワークショップに参加しました。
そこでラッキーなことに僕がこれから勤める幼稚園の先生とこれからのラフ・スケジュールについて話し合いを持つことができました。

そして同じ小学校で一緒に働く先輩隊員と掃除や本の片付けをしました。そのことはまた後ほどに。

今日は日本人の仲間が誕生日を祝いましょうと言ってくれて、とても嬉しかったです。
昨日、同じ村に住む仲間が「明日誕生日ですよね」とちゃんと覚えていてくれて、本当にいい仲間に囲まれて僕は幸せです。

おじいさんもだいぶん前から「7月20日は君の誕生日だよね」と言ってくれたり、息子さんの一人も「君の誕生日はローカル料理を作るからね」と言ってくれていて、どんなふうになるか楽しみでした。

同じ村に住む、昨日紹介したUUC(ウー村・ウクレレ・サークル)の仲間にも来てもらい、ました。料理ができるまで、僕の部屋で第一回の集まりを持ち、今後もかつ計画について?、そして初めての曲を練習しました。

せっかく村で住む三人でこれから楽しいことはもちろん、仕事上でも同じ教育者として協力してこの村の子ども達に役立つことをしたいと確認しました。

とても頼りになる気の良い2人で僕は本当に恵まれています。

そして誕生日の準備ができたよと呼んでくれて、食堂に行くと机いっぱいのごちそう。
僕の好きなローカル料理一色です。
魚の酢漬け、ローカルチキン、揚げた魚、パンの実、フルーツ、ショウガの効いたスープ、
などなどおじいさんの娘さんやお嫁さんやお孫さんが作ってくれました。

もちろん孫達も、パパイヤやバナナを山に集めに行ってくれたり、木の実を砕いてくれたり、おじいさんが頼んだことを僕の為に一生懸命に用意してくれました。

そんな過程が料理の味以上に嬉しかったです。

そして誕生日はおじいさんのお祈りから始まり、僕の名前もお祈りの中に出てきました。日本人の仲間がウクレレでHAPPY BIRTHDAYを歌ってくれると写真の大きなケーキが出てきました。そして今度はポンペイ語でHAPPY BIRHDAYを歌ってくれました。

そしてごちそうを食べた後にケーキを呼ばれました。僕たちが食べた後に子ども達が列をなしてケーキを食べます。16等分しても足りないので、途中からそれを更に半分にしました。一番年長のクリストバルが分けるのですが、半分になっても誰も不平不満を言う人はいません。みんなで分けることが平等であって、同じ形や量であることに不満がないのか、それが礼儀なのかわかりませんが、子ども達の姿から学ばしてもらいました。

またどこの子どももケーキを手にするときは、とびきりの笑顔でした。20人くらいの子どもが食べました。中には親戚ではない子どもも混じっていましたが、その子どもにも平等です。

子ども達の姿もきっと僕がお世話になっているおじいさんの凛とした生き様を体と心で感じ取っているからこそだと思いました。

やはり人を育てるのは言葉やお金ではなく、生き方なのだと感じました。

誕生日を迎えて、僕が幼稚園の先生になるルーツである、人の心に残る人、先生になりたいという気持ちを誕生日にもう一度思い返させてくれました。

そしておじいさんという僕にとってこれから目標にすべき尊敬すべき方に出会えたことを改めて感謝しました
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UUC ウー村 ウクレレ 同好会

2006年07月19日 | 僕のミクロネシア
今日もコロニアでワークショップに参加しました。
予定通り?9時から10時までの1時間。スケジュールには12時までって書いているのですが。

今日は私の幼稚園と併設する小学校でもワークショップがあって、まだ時間があったので行ってみました。ポンペイ語のリスペクトに関するものでした。

ワークショップで同じ村に住む3人の仲間が初めて村で顔を合わせました。
他のポンペイ島の人は、ほとんどコロニア市内に住んでいるので、村で住む我々も3人仲良くしたいと思います。

そして我が村一番のスポットのビレッジに行ってきました。
ここは、自然環境に優しいホテル作りをしています。
ここでゆっくりゆっくりと3人で過ごしました。
このビレッジに泊まれば、ポンペイの魅力がますます増すと思います。
まるで時間が止まっているようになります。

そしてそこのプライベートビーチで新たなサークルを結成。
写真は結成の地です。

その名もUUC 
コーヒーのUCCではありません。
UH UKULELE CIRCLE です。
3人のうち2人がウクレレを持っているので・・・・

これからも ちょっとした機会を大切にその出会いがより楽しくなったり、繋がりが深まっていけたらいいと思います。

夕方は子ども達と野球しようと思ったのですが、あまりたくさん子どもがおらず、でも僕の顔を見てグローブを持ってきてくれたので、4人でキャッチボールをしました。

明日はポンペイ島で誕生日を迎えます。
新たな旅立ちとなる誕生日になるといいなあ。
まったく普通に誕生日が過ぎそうな気がしますが。
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海猿発見

2006年07月18日 | 僕のミクロネシア
 今日は、コロニアに行き、ちゃんとワークショップを受けてきました。
予定は9時から12時だったのですが、10時過ぎには終了してしまいました。内容はほとんどポンペイ語で話していました。

 内容は幼児の運動についてでした。講師の先生が終わってから僕の存在に気づき、「なんだ日本人がいたのか?」と言ってくれました。30人ほどしか、いなかったのに気づいてくれなかったのか?と思いつつ、話をすると、「じゃあ明日は英語で話をするから」と言ってくれました。

 そこで仲良くなった他の幼稚園の男の先生が行きたいところまで送ってあげるというので、一緒に病院に行ってもらいました。

 前のアメーバー疑惑をはらすべく病院に行き、「もう大丈夫」と太鼓判を押されました。

 その後も幼稚園事務所に行って指導顧問の人と話をしたり、手続きをとったりしました。

 本当に良い仲間と出会えてラッキーでした。やはり自分から出会いを求めていかないといけないですね。

 村に戻って学校に行ってみると、子ども達が野球をしていました。その中には僕のおじいさんの孫も混ざっていて、最初は子どものキャッチボールを見ていて、そのうち「キャッチャーしてよ」と言われ、「次はバッター」と言っているうちに、ノックをしていました。

 そこになんと大人が乱入?。実はこの子ども達の野球のコーチでした。一緒に僕のノックにつきあってくれて、「これからもまた時間があったら来てよ」と言われて、仲良くなりました。とても素直な子ども達で、まだポンペイ語は話せないけど、スポーツは気持ちで感じ合えるなあと改めて実感しました。
僕がほとんどノックをしていたので練習を終了して、

 なんと子ども達は裸になったり、服を着たまま、海沿いの木に登り始め、あっという間に高さ5メートルくらいある細い枝まで登り、海へジャンピング。またまた岸にあるボートからバク転してダイブ。

 とうとう探し当てたぞ。君たちの名前は海猿だ。
 
 ミクロの子ども達のよさをまた一つ発見しました。
 
 これは絶対に日本の子ども達にはない躍動感がある。やっぱりすごかった。
 僕だけでなく多くの日本人がこの光景をみたら胸が躍るはずです。

 僕はこれから君たちとつきあっていろいろなことを吸収したいなあと胸が高鳴り ました。
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火事です。

2006年07月17日 | 僕のミクロネシア
今日は幼稚園の事務所に紹介してもらいコロニアに研修に行くことにしました。
しかし、時間になってもなかなか始まらず、周りの現地の初めて会った先生にも「これはミクロネシアタイムだから」と言われていました。しかしとうとう始まらず研修をするはずだった先生がなんとグアムに行っていたことが判明しました。

研修をする予定だった建物の前の建物がまっくろです。なんと週末火災に合ったみたいです。かなり燃えたようです。

僕が折角コロニアに来たから銀行に行ってみようと思うと話していた先生が雨が降っているから送ってあげるよと少しコロニアを案内しながら運転してくれました。
話していた先生は男の人でなんと5-6人ポンペイには男の幼稚園の先生がいることが判明しました。男同士仲良くしたいなあ。

予定が狂ったので図書館にいってポンペイ語の勉強をしました。

コロニアで歩いていると顔見知りの日本人が数人の日本人観光客を案内されていました。
僕の素性を知ると「なぜ現地語がままならい人が幼稚園で教えるの」と聞かれて、理解していただくのに時間がかかりました。

自分でもこの国初めての幼稚園教諭として何をすることがいいことなのか?必要なのかを探りつつも、誰にも活動が理解してもらえるように努力しないといけないと思いました。

調整員の方と出会って、車に乗せてもらっているとなんとなんだか黒い煙が・・・・
そう火事です。調整員の方の家の近くと心配しましたが、大丈夫でした。

家に帰って、家族の人にデジカメを見せながら話をしていると、僕のホストファザーの息子さんが「僕の友達の近くだ」といってあわてて電話をしました。

友達は無事で、原因は料理のようです。

なかなか火事がないこの国で一日に二度も火事の跡と火事そのものに遭遇してしまいました。

我々が派遣される国の中では、安全度が高い国ですが、やはり自分の身は常に自分で守るだと思いました。
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教会学校終了

2006年07月16日 | 僕のミクロネシア
まず。今までの分も画像を付け加えたので下の文章も見てくださいね。

今日は、ずっとホームステイ先の村で過ごしました。

僕のステイ先のおじいさんは教会の助祭さんです。そして家の横に流れる小さな川を隔てて教会があります。

今日は日曜日たくさんのひとが教会に集まりますが。今日は一段とにぎやか。なぜなら、金曜日まで二週間続いていた子ども達の教会学校が終わり、発表会をするからです。

教会にはたぶん300~500人くらいの人が集まっています。写真はその一こまです。移っていないところにもたくさんいますし、教会の外にも人がいます。

地区に分かれて、祭壇の上に上がって一人一人言葉を言ったり、劇を演じたりとさまざまでした。小さい子どもが一人で言葉を言うと、歓声や拍手が聞こえます。

見て感じたことはまず、みんな歌が上手だということです。そして、みんなとても恥ずかしがり屋さんだと思いました。

ミクロネシアでは、先輩の音楽隊員が頑張って活動していますが、日本のように、学校ではまだ十分に音楽教育がされていない地域もあるようです。

そういう環境の中で、教会が子どもに教える役割は音楽のみならず、大きいものがあるのだと感じます。 
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