南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島のお母さんが帰ってきた

2007年11月27日 | ミクロネシアの家族
今日で一安心。
僕のホームステイ先のお母さんがハワイから帰ってきました。
娘さんがハワイに住んでいて、出産の手伝いに行っていました。2ヶ月家を留守にされたので、その間、毎日とはいかないまでも、できるだけ家事の手伝いをしようと、料理作りに精を出しました。その間にだんだん町に出かけると、自然とスーパーで食料品に目がいき、買ってしまっている自分がいました。

家族は僕の料理美味しい派と野菜がいっぱい入っているから余り好きでない派に分かれたような・・・

子どもを9人育てていつも懸命に働いているお母さんがハワイで出産の手伝いとはいえ、この南の島の日常から解放されて、凄く爽やかな顔で帰ってきました。

やはり、日常を離れて生活することって誰にとっても必要なのだ、ハワイにお母さんがいけてよかったと思いました。
僕がお母さんは、前に僕が家族のみんな全員にTシャツを買ってきたので、今回は僕にTシャツを買ってきてくれました。Lサイズだけど。

家族のみんなのお母さんが帰ってきて、顔がほころんでいました。
今は養子に行ってしまったほかの家に住む子どももお母さんがいない間はずっと家に来なかったけど、みんな顔を揃えていました。

僕の家族の支柱が戻ってきてくれたことで以前の家に戻ったような気がします。

あと120日を切った生活。お母さんやこの家族と最後まで楽しく暮らしたいなあと改めて思いました。
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南の島でありがとうって言われたらやはり嬉しい。

2007年11月06日 | ミクロネシアの家族
夕方仕事を終えて、今日はよーし自転車のパンクを治して乗れるようにしようと試みましたが、道具も揃わず困っていると僕の家のお祖父さんの息子さん(といってももう60歳ですが)が近寄ってきて、これを使えと道具を貸してくれたばかりか、「これはこうすんだ」って、手伝ってくれました。

いつも無口で船乗りなのであまり家にもいないし、家に帰ってくるとサカオにいくのであまり会話がないのですが、根は凄くいい人だということはわかっていました。

だっておじいさんと一緒に最も長く住んでくれる家族だし、きっと心が優しいからおじいさんのことを心配して、おじいさんの世話をしてくれるのだと思うので。
(まあ、実際のお祖父さんの世話をするのは、彼のお嫁さんなのですが)

汗まみれ、泥まみれになって一生懸命に直してくれました。
そうしていると高校生の子どもも一緒にてつだってくれて、みんなに改めて感謝。

今日ももちろん料理担当は僕。
キャベツとベーコンとニンジンで野菜スープを作りました。

おじいさんがこの間から続いた誕生会の食事で「油は余り体によくない」って言っていたので、ここはヘルシーメニューで。

おじいさんは僕が自転車の修理で料理を始めるのが遅くなったので、待ちきれずにライスだけ食べ始めましたが、料理ができあがると「ウッタン・ヨウー」(とっても美味しい)って言って、たくさん入れたおかずを平らげてくれました。

そして、お母さんが留守中に料理を作らないといけない高校生の娘さんもご飯がおわると「お料理してくれてありがとう」って言ってくれました。

昨日のブログでは、ありがとうって言わないことが喜びだと書きました。
それはまさしくその通り。
でもやはりありがとうって言ってくれると嬉しい。それも笑顔で。

やはり身近な人にも「ありがとう」って気持ちを素直に伝えるとみんなの気持ちも温かくなるなあって思いました。

自転車の修理をしてくれた家族といい、わが家族の中には温かさいっぱい詰まっています。
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南の島でありがとうって言われない喜び

2007年11月05日 | ミクロネシアの家族
今日は朝からコロニアで陸上競技大会。
南の島の子ども達のかけっこ。
この島は我がウー・ネッチ・マタラニウム・ソケース・ネッチの各村に町のコロニアがそれぞれ選手を出して、50メートルを走ります。
今日は幼稚園と小学1年生~4年生まで、明日は6年~8年まで、そして明後日が決勝戦。

僕の幼稚園の子どもも3位入賞を果たしました。
園児の中には、ボイルといって体の中から膿んでくるこの島の病気(僕も2回なりました。正直凄く痛い)に足がなっているのにもかかわらず、出場させていました。
この島の戦う気持ち、勝負に対する意欲が表れています。

そして今日は誕生日第二回戦。
タクシーで村に帰ろうとしたら普段だったら15分で帰れるのに、寄り道&寄り道の連続で約1時間。乗り合いタクシーがなせる業です。午後3時だったので、カラカル(暑い)でした。

ケーキに焼きそば・焼き飯・豚のブロッコリーの炒め物・サイコロステーキなどなどメニューは一緒。
冷蔵庫に入れておいた、ブロッコリーやキュウリが無くなっていたので冷や汗でしたが。

今日は一昨日の反省をして、売れ残りかけた焼きそばや豚とブロッコリー炒めは、改良して、焼きそばはソース味を醤油味にして、豚とブロッコリーにはニンジンも加え、片栗粉をいれてとろみをつけました。焼き飯は、ベーコンを投入して野菜も盛りだくさんにしました。
今日は前回よりたくさんの人が来てくれたので、完食でした。
この南の島では、完食はあまりいいことではないのですが。
つまり、残るくらいたくさん作って、満足してもらうことが大切だし、食べる側も残ってもう食べられないっていうのがベストなので。

日本人的には無駄がなくて、もったいなくなくていいのですが。

さあいよいよケーキのローソクに火を灯し、Happy beirthdayの歌の後誕生日の子どももがローソクを消しても、電気がつかない。何で?何で?
ローソクをつけている間に停電になったのでした。

なかなか電気がつかず、お祖父さんのもっている懐中電灯をつけて、みんな食堂で過ごしました。
今日も前回も誰も僕に「ありがとう」なんて言いません。
それってどうなんだろう?って改めて考えてみました。

でも、誰にもありがとうって言われないことも喜びだと感じます。
皆さんは家族にいつもありがとうありがとうって言ってますか?
「お母さん今日料理作ってくれてありがとう」って毎日。

つまり家族には感謝の気持ちを持ちつつ、なかなか言葉に出して言わない。
互いに思いやる助け合うことが当たり前になっているから。

それは遠慮というものを超えて、何もかもが自然体になっているという証拠かなと。

「ありがとうって言われる喜び」もあれば、「ありがとうって言われない喜び」もあるのかな?って思いました。自分で勝手に都合のいいように解釈しているかもしれませんが。

ありがとうって言わなくても通じ合える家族のようになってきているのかなって思います。
僕も南の島で本当の家族になれたように思えた瞬間でした。
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南の島のBirthday ついにお母さんになりました。

2007年11月03日 | ミクロネシアの家族
今日は南の島のお母さんになりました。

今の僕の家(ホームステイ先)はかなりのピンチ。
前にも話しましたが、お母さん(僕のホームステイ先のお祖父さんの息子さんのお嫁さん)がハワイに娘の出産に手伝いに行ったきり帰ってきません。

そこでできるだけ料理と食事の後片付けなど頑張っているのですが、今日は一緒に住むお祖父さんのお孫さんであるMIYRAの誕生日。Mちゃんは、今話したハワイに行ったお母さんの子どもではなく、お祖父さんの別の息子の子ども。でも彼女のお父さんとお母さんは離婚して両方ともが別々にアメリカに行ってしまい、彼女とお兄さんは、お祖父さんの家や他の親戚の家を転々としているようです。

今の僕のお母さんは、とても優しい人なので、そんな彼女(お母さんからすれば姪っ子になります)の面倒を見てくれています。ちょうど彼女と同じ年の子どもVちゃんがいるのですが、(二人はいとこ同士)とても仲良し。そしてMちゃんが11月3日、Vちゃんは、11月5日が誕生日。

今は船乗りのお父さんもいないし、他の子どもに聞くと「誕生日会をする予定はない」とのことなので、よしこうなったら僕が誕生会をするしかないなあと、僕がお母さんの代わりをすることに決定。
だってMちゃんは、お父さんもお母さんもアメリカで誕生日を祝ってくれる人がいないのだから。

ラッキーなことに先週にこの島に船が着いたので、スーパーに行けば食料はかなり豊富にあります。キャベツ・ブロッコリー・ニンジン・牛肉・豚肉などなど。

メニューは、キャベツにアルミホイルを包んで、その上にチーズやニンジンやキュウリを爪楊枝でさして、飾ったスナック的なものから、チャーハン、焼きそば、そしてブロッコリーと豚肉をごま油風味炒め、そしてサイコロステーキの5品。そしてもちろんBIGサイズのBIRTHDAYケーキ。

正直食材を買うだけでかなりの出費だけど、いつもお世話になっているおじいさん、そして子どもたち、そして今ハワイに行っているいつも優しいお母さん達、家族のためですから。

調理に3時間くらいかかりました。なぜなら、火がガスではなく灯油なので、火力が弱い、その上今日は15人分くらい作るので、量が多い。

でも一番心配なのは、家族がちゃんと食べてくれるかということ。

子どもたちも自分で仲のいい友達を集めていてくれたので、ほっと一安心。
サイコロステーキは一瞬でなくなりました。

ケーキは大きすぎたので食べ切れませんでしたが、明日冷蔵庫を見るときっとなくなっていることでしょう。

Mちゃんは、14歳で恥ずかしい年頃なので終始照れていて、そんな今更誕生日なんて嬉しいなんて顔できないと下を向いていましたが、きっと喜んでくれているのだと信じて。

日本では誕生日の料理を一人で作るなんて考えられませんが、この島なら何故かできてしまう?
それは単に時間があるから、海外だからではなく、この南の島の人々がもつ家族への優しさ、温かい気持ちがあるから。

そして喜びを一人で握り締めてしまうのではなく、みんなで分かち合おうとするシェアーの精神に満ち溢れているから。

僕たち協力隊って日本にあるいい技術を海外に移転する・伝えることが使命ですが、いいことを伝えたいなら、その国の良い所を自分がいっぱい吸収して、それを行動に表さないといけないというか、意味がないのでは?と思います。

これからもこの国の良い所を掴むだけではなく、自分の行動に表していけるように心がけたいと思います。いや行動していきます。
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たくさんの家族愛

2006年09月07日 | ミクロネシアの家族
最近、幼稚園や学校のことばかりで、なかなか家のことを書いていないので今日は家族について。

私たちはそれぞれ職業をもってこの任国(ミクロネシア)に赴いています。
その仕事を通して、カウンターパート(職場の同僚)に自分の持っている仕事のノウハウを伝える、つまり技術移転が目的とされています。

しかし、今お世話になっているホストファミリー(ホームステイ)も同じくらい大切な意義があると私は感じています。

馴れない職場での仕事の後、「一人になりたい、好きなものを食べたい、お湯の出るシャワーを浴びたい」とそれぞれいろいろな思いがあるのだと思います。

ですので、赴任後3ヶ月のホームステイ後は、一人暮らしを続けるか否かは自由です。

でも、一人暮らしでは味わえない、このポンペイ島でしか感じられないものは、ホームステイつまり現地の家族との暮らしの中にあるのだと信じています。

今日も昼食を食べに家に帰ると、突然のスコール。私は洗濯物を干していたので、急いで取り込もうと庭に出ると、おじいさんのお孫さんのお嫁さんが家から走ってきて、私の洗濯物を取り込んでくれました。
雨が降るなり、私の洗濯物のことに気づいて、走ってきてくれるなんて、私はなんて温かい人たちに囲まれているのだと思います。

また、先週車のタイヤのホイール(タイヤの中にある鉄の部分)を寝かして真ん中に棒がさしてある物体が2つ家においてありました。
それは、実は物干し竿。
お孫さんが「この間からhiroがエレクトリックコードの上に洗濯物を干していたから危ないと思ったんだ」この方が便利だよといって、地面にコンクリートを流して固めて作ってくれている途中です。

一緒に暮らすおじいさんは大のDVD好き。DVDのある部屋は僕の部屋の隣で壁だけで仕切られているのではなく、一部分ガラスの窓で仕切られています。

なのでDVDの音はとてもはっきり聞こえます。それにおじいさんは耳が遠いので、大きな音量にしないとDVDを楽しめません。
おじいさんは、DVDを見るとき「hiro、今からDVDみても大丈夫?うるさくない?」と心配して聞いてくれます。
もちろん、静かとは言いがたいですが、おじいさんに「ここはおじいさんの家ですし、僕が部屋を借りて住まわせてもらっているので、遠慮せずに見てください」と話しました。

自分がしていることを自分から書くなんておこがましいですが、ささやかながら僕もできるだけ家族のため、家のためになること、自分のせいで迷惑をかけないようにしたいと思っています。

自分の部屋の掃除はもちろん、廊下・隣のDVDを見る部屋(20畳くらい)・トイレ・食堂(30畳くらい)を自分が空いている時間に掃き掃除をして、ワックスがけをする。

庭のごみをこまめに拾う(子どもたちや近所の人はすぐにごみを捨てていきます)

毎日できるだけするようにしていることは、
朝は早起きをして、ミネラルウォーターのないときは、ボトルの中に雨水を入れて冷蔵庫で冷やす、食卓を片付ける、食堂を掃除する

そして、この家で重要なことは教会に行くこと。
おじいさんは助祭さんですから。

食事を取るときはお祈りをする。日曜日は必ず教会に行く。(このために土曜日にコロニアで友達と過ごすと、朝早起きして急いで日曜の朝の礼拝に間に合うように帰ります)

今週末はいろいろポンペイに住む他団体の海外の方と会う予定があるので、日曜日に教会にいけません。今日の朝、代わりに行ってきました。

ほかの人に「大丈夫、無理をして」「そんなことできないわ」「頑張りすぎていない」といわれたこともありますが、
いつまで続くか分かりませんが、感謝の気持ちは忘れないようにしたいです。

「ホームステイの家族を甘やかしてはだめ」という言葉を耳にしたことがあるのですが、少し僕の考えは違います。


ホストファリミーは、好意で僕たちを受け入れてくださっているのです。
逆に僕としては「勘違いをしてはだめ」と言いたいです。

僕たちが赴くのは開発途上国と呼ばれている国です。自分の国より経済的な面だけですが優位に立つ国の人をホームステイに受け入れることは正直自分にはなかなか真似ができないことだと思います。反対でももちろん、なかなか真似ができませんが。

自分ができないことを自分のためにしてくれている、そんな相手の気持ちをこれからも持ち続けられたらいいなあと思います。

そのためには互いに思いやる気持ち、それを行動として表すことだと思います。
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「さよなわは別れの言葉ではなくて」

2006年09月01日 | ミクロネシアの家族
これからブログを種類ごとにもっとはっきり分けます。
家族のことなど生活分野と仕事などの幼稚園・小学校分野にカテゴリーをわけて書いていくことにします。1日に2-3つブログを書いていることがありますので、興味のある分野だけでもご覧ください。

「さよならは、別れの言葉じゃなくて」
このタイトルは昔、来生たかおの「夢の途中」&薬師丸ひろこ{セーラー服と機関銃}の歌の歌詞に出てくるもので、この続きは「再び会うまでの遠い約束」と続きます。

こちらではあまり「Good Bye」といはいわず、「Bye」という軽い挨拶か「See You」
です。僕もこの「See You」という言葉が大好きです。

なにか「See You」という短い言葉には、「またね」だけではなく、「今度会うまでに元気でいろよ」「僕もがんばるよ」みたいな気持ちが入っているように思えるからです。

前置きが長くなりましたが、明日はポンペイで始めての家族との別れです。

僕がお世話になっているホストファミリーは、教会で助祭をされている84歳のおじいさんただ一人ですが、他にもおじいさんのお孫さんの家族5人がいます(正確にはもう少しいますが話がややこしいので)

そしてその他におじいさんのお嫁さんが今まで僕がホームステイを始めてからずっと一緒にいてくださいました。一緒に住んでいるお孫さんのお母さんでもあります。

しかし、彼女のご主人はハワイで働いておられ、何人かの息子さんたちも同じくハワイにいます。そのため彼女はハワイに帰らなくてなりません。
ずっとチケットが取れなかったのですが、とうとう明日帰ることが決まりました。

一緒にブレッドという息子もハワイに連れて行きます。(彼はハワイは初めてで向こうのハイスクールに通います)
ブレッドは、お嫁さんの本当は孫なのですが、戸籍上は息子(こちらでは孫を戸籍上養子にして子どもにすることがあるそうです。

本当にお嫁さんにはよくしてもらいました。
いつもおじいさんと僕が日本語でしゃべっていると「あなたはポンペイの人なんだからポンペイ語を話さないとだめだ」「もっと食べなさいよ」「もうご飯食べた」「気を悪くしたらごめんね」などなど、いつも時には厳しく温かく接してもらいました。とても良識のあるかたで、時間や物事にルーズなことがあると「これはおかしい」とポンペイやポンペイ人対しても
そしておじいさんやお孫さん夫婦とのいいパイプ役でもあり、おじいさんのことを気遣いながら本当に体も心も「BIG MAMA」でした。

「来年は来られますか?」聞くと「わからないけど、再来年は主人がリタイアするからそしたらポンペイに戻ってくるよ」と話してくれました。

前にもブログで書きましたが、彼女がいなくなると本当に少し不安ですし、僕たち家族の明るい火がひとつ消えそうです。

でも「See You」といって明るく別れ彼女のハワイでの幸せ、また僕のポンペイでのがんばりを誓いたいと思います。
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ごめんね子ども達

2006年08月19日 | ミクロネシアの家族
今日は夜に子ども達に悪いことをしてしまいました。

今日はお祖父さんの息子さんのお嫁さんとお孫さんのお嫁さんがお葬式に行っていて、ひ孫の次男は遊びに行っていて、三男(小学4年生)と長女(小学3年生)の二人だけが家に残っていたのです。

食堂にいると二人だけ残っていて、顔はすこし泣き顔。ごめんもっと早く気づいてあげればよかったよ。

日本の幼稚園のフォトアルバムを読んで過ごしていると家の人が帰ってきました。お母さんはすぐに様子に気づいてくれて一安心。まだまだお母さんがいてほしいもんなあ。僕もお母さんもそんなときには僕の部屋にいって「遊んでとか困っている」って言いに来たら良いよと伝えました。

でもお母さんが(お孫さんのお嫁さん)そんな風にぼくのことを頼りにしてくれていることも分かって嬉しかったです。

はやくいつでも、家族から頼られる本当の家族になりたいです。そしてそう思わせてくれる僕の素敵なフォストファミリーです。
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