南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島から連絡の打診

2011年03月30日 | 僕のミクロネシア

 隊員仲間からメールがありました。

 内容は、仲間の知り合いが先日僕が住んでいた南の島に行き、そこで、今まさに「南

の島で幼稚園の先生になろう」を実践している隊員に会い、僕と連絡を取りたいのでメ

ールを教えてほしいと頼まれたそうです。

 僕の住んでいた南の島は、本州と四国の間にある兵庫県の淡路島の3分の2くらいの

大きさという、とても曖昧で微妙な大きさの島なのですが、交通手段は車しかありませ

ん。僕たち隊員の多くは島でひとつしかない町で住み活動しているのですが、僕のよう

に村で住み、活動している隊員もたまにいます。そんな村の隊員の交通手段は、車の運

転ができないので、タクシーです。

 なぜ、このように交通手段の話をするのかというと、今連絡を取りたがっている隊員

は、タクシーも通らない町に自力でなかなか行けない隊員で、なぜその場所で活動する

ようになったかという理由が僕にあるからです。

 連絡を取りたがっている隊員が働いている幼稚園の先生が僕が南の島にいた時に、僕

の幼稚園の授業方法を凄く気に行ってくれて、「一度村に来てくれ」と頼まれていたの

ですが、いろいろ諸事情があって行くことができなかったのです。しかし、その幼稚園

の先生は、そこで諦めず、僕がボランティアがほしいならJICA事務所に行ってボラ

ンティアが欲しいと申請すればいいと教えたことを本当に実行して、ボランティア要請

を出し、そこに採用されたのが、今僕と連絡を取りたがっている隊員なのです。

 協力隊は、要請主義で現地の人が日本の協力隊に来てほしいという要請をあげて初め

て成り立つのですが、なかなか現地の人が実際にオフィースに来て、要請をあげること

はないのが実情ですが、彼女はそれを見事にしてくれたやる気のある人です。僕も正

直、自分の活動や僕の後任の活動を見て、要請をあげてくれたことをとても嬉しく思っ

ています。

 今、南の島で活動している仲間が何を話したいのか?よくわからないですが、自分

も関わりがある以上、南の島での活動がうまくいくように連絡をとりあって、自分が少

しでもサポートできればと思います。

 最近、にわかに南の島関連の情報が僕のもとにきて、嬉しいやら懐かしいやら、ブロ

グのネタができるやらです。

 こうして、帰国して3年経っても、南の島とつながっていられることに感謝です。

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南の島の笑顔から

2011年03月29日 | 僕のミクロネシア
土曜日は、僕が所属する青年海外協力隊の教員OV会の集まりがありました。

そこで、今回は、僕と入れ違いで南の島に行って帰ってきた隊員(現在教員)の

活動中のいろいろな失敗という題で話を聞いてきました。

活動を聞きながら、自分の南の島の生活がリンクして、よみがえってきました。

最後に南の島で流したというビデオを見せてもらい、僕が知っている南の島の笑顔が見

られて、とても幸せな気持ちになりました。

日本って今は特に笑顔が消えているなあって。

そして、日本で子どもと接したくさんの笑顔を接しながら、日本では子どもの笑顔は見

れるけど、大人、自分自身が笑顔かな?って思いました。

単に笑顔というだけでなく、人生楽しく生きているかな?って。

南の島の人は、物はないけど、心は豊かで笑顔いっぱいでした。

だから、津波の日本のことを心配してくれる優しさ、生きる上で余裕があるのかな?

こうしてブログを3日も続けているのは、今は春休みで仕事は毎日あるけど、家に帰っ

てまで仕事がないから、できることって、それって豊かかな?

自分を振り返られない毎日に反省です。

今年度は、笑顔が僕のキーワードに。

自分が笑顔でいるか、周りの人を子どもも大人も笑顔にさせられるか?


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日本で南の島の講師になりました。

2008年08月08日 | 僕のミクロネシア
8月6日、私の働いている市の教育文化センターで講師として、教員を対象とした講座で「南の島の教育・文化・生活事情」 ~青年海外協力に参加して~という題で、30名の先生にお話をしてきました。一応先生の端くれですので、人前で話をすることには慣れているのですが、自分と同じ職業の先生を相手に2時間の講演をするのはどうだろう?と若干心配しつつ、でもいつもながらのどうにかなるさ根性で当日を迎えました。私が南の島で体験した数え切れない体験から厳選?したものを画像を交えながら、お話させてもらいました。自分の体験したこと、自分が得たかけがえのない体験を話すことは、楽しい。2時間があっという間に過ぎてしまいました。
僕の大好きな南の島の家族のこと、サカオなど南の島特有の文化、僕がぶつかりながらチャレンジしてきた南の島の教育現場とはなどなど、
南の島の暑さのように暑く!語りました。

どうにかなるさ根性で講座の講師に挑むことを知っていた同僚などからは「先生、すごく分かりやすい内容で、原稿もなくて凄いね」と言ってもらったり、参加したから「協力隊のことがわかった」「南の島のことが具体的にわかった」などなど、たくさんの温かいコメントと評価を頂あき、ほっと一安心。この蜜の味を吸ってしまったからには、またどこかで講演がしたいという身のほど知らずに新たな野望が・・・。

この講座が開かれたのも、たくさんの方の支えはもちろんのこと、協力隊に参加して感じたことを少しでも多くの人に伝えたい、お世話になった人に少しでも還元したいという思いがきっかけでした。
 そして、こういう講座で現職の幼稚園の先生が講師をするのも初めてで、初物が何より大好きな私には最高でし
 そして、南の島のことが懐かしく感じられました。
あの南の島で、お世話になったおじいさんや家族に会いたい。職場はどうなっているだろう?という思いがふつふつと。

 こんな私にこんな自分の体験を思い起こさせ、人に伝える機会を与えてくださった方に感謝。
 
 このセンターの職員は、僕の小学校の時の先生。一番大好きな先生でした。
そんな先生が僕を最初に講師紹介してくださいました。

 あとでみんなから「センターの先生、先生が教え子だから凄く嬉しそうに紹介されていたね」と言われ、ちょっぴり照れて、かなり嬉しかった。
 ぼくもきっと将来、教え子が活躍?している姿を目の当たりにして、こんな嬉しい気持ちになれる日が来るのだろうか?
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帰国しました。

2008年03月23日 | 僕のミクロネシア
ついに日本に帰国しました。

南の島から日本に帰るには、グアムで一泊しないといけなかったのですが、
そこでもサプライズ。

私がグアムで一人で泊まるのが寂しいと言っていると、なんと隊員4名が僕に内緒で同じ飛行機で何百ドルもかけて、任国外旅行まで使って、僕をびっくりさせるため、僕と楽しいグアムの時間を過ごせるようにとグアムに来てくれました。
僕はグアム空港でそのことが分かりました。

凄いサプライズ。

正直、馬鹿過ぎます。でもそんな彼らの気持ちが本当にうれしかったです。
サプライズが大好きな僕にとって、最高のプレゼントをしてくれました。
本当にありがとう。

グアムでのよるが楽しく、最後までポンペイの楽しい気持ちのままで過ごすことができました。

帰国間際、村で過ごすことが多く、大切な隊員とじっくり過ごせなかったことが少し気がかりだった僕にとって、最高でした。

僕は、いつも素敵な仲間に囲まれて、生活をしていたことを実感しました。

いろいろな壁はありましたが、それを乗り越えさせてくれる多くの感動がありました。

日本に本気で一度も帰りたいと思うことなく、過ごせたこの南の島の生活に感謝でいっぱいです。
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南の島のコロッケ

2008年01月20日 | 僕のミクロネシア
今日は、昼間隣で仲間が映画を見ていたのも目にくれずに書いていた報告書がうまく残らずに消えてしまった・・・

でも人生も毎日も悪いことがあるといいことがある。

仲間が今日コロッケを作ってくれた。
それもなんと僕にはではなく、僕のホームステイの家族に。

その仲間もホームステイをしていて、いつも家族に感謝しているって言葉を聞くと僕はすごく嬉しい気持ちになる。

この南の島では、最初の3ヶ月はホームステイを義務付けられているけど、あとは自由。
多くの人が一人暮らしをします。

いろいろな理由がありでしょうが、それはかなり快適かも?知れない。
(僕は独り暮らししていないから分からないけど、隣の芝生は青く見えるからね)

でも、僕もその仲間もホームステイを続けていて、家族に感謝している。

僕はいつも思う。

この南の島のように開発途上国の人が発展途上国と呼ばれる国の人をホームステイとして受け入れることの大変さを考えると、それってすごいことだって。

食事も気を使っているだろうし、「これで日本人は満足してくれているだろうかな?」って南の島の人なりに一生懸命考えてくれているだろうと。

そう思うと感謝の気持ちでいっぱいだ。
だから、僕もできるだけその感謝の気持ちを食事を作ること、洗物をすることなど形で表している。

今日は、仲間が僕の家族の分まで料理を作って持たせてくれた。
すごい長い時間をかけて、料理と格闘して。

他の家族のホームステイの家族の分まで料理を作ってくれる仲間ってすごい。
僕には思いもつかなかった。

でもそれってきっと互いにホームステイのことを大切に思っているという気持ちがつながっているからだろうと、その気持ちがコロッケ以上に嬉しかった。

この南の島では、そんなローカルとの出会いだけでなく、同じ志、同じ悩みをもちながら、気持ちを共有できる仲間がいる。

そんな仲間がいるこの南の島を去る日が近づいていると思うと、本当に辛くなる。

でも残りの時間を大切にしないとね。

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南の島で思う震災の日

2008年01月17日 | 僕のミクロネシア
1月17日は僕にとって忘れられない特別な1日。

それは今日本でも報道されている阪神大震災があったから。

家も半壊とはいえ、柱が折れて家の中から外が見えて、地震で家がつぶれるんだって驚いた。

南の島では毎日シャワーを浴びないと耐えられないけど、あの時は水がなくて10日間風呂に入らなかったけど、ぜんぜん不快感を感じなかった。

水がなくて、破裂した水道管から水をくみ上げて生活用水にした。

震災の真っ只中で年老いた両親に苦労をさせるのが耐えられず、震災の次の日に電車が動いている甲子園までまるで空襲をよけるように歩いて駅について両親が震災の地から離れることが出来たとき、今までの人生の中で一番ほっとした瞬間でした。

震災から13年。もう過去のもの。事実、世の中では過去のもの。
でもそれは全ての人には当てはまらない。世間というカテゴリー。

僕は震災で両親など肉親を亡くした子ども(震災遺児)をケアーする施設で開設当初からボランティアをしています。

震災で愛すべき家族、大切な思い出、過ごしてきた家と一瞬にして失い、それを自分の力では取り戻すすべを知らない子どもには、今でも震災は現在進行形です。

逆に震災当時より気持ちが重くなる子どももいるはず。

だって13年たっても、震災のときに赤ちゃんだった子どもはまだ13歳。

人生のほとんどを震災というな名のもとに愛すべき愛されるべき両親と遠くはなれて生きていかなければならなかったのですから。

また、当時小学生・中学生だった子どもの今は大きく成長しています。

でも進路に悩むときに「こんなときに震災で亡くなったお父さんお母さんがいてくれたら」って思い悩む。

この2年、震災遺児の子供達と離れて暮らし、忘れられないことだけど、彼らと時間を共にしていないことに申し訳ない気持ちになる。

でもぼくは幼稚園の教え子だけでなく、震災遺児の子供達にもこの貴重な経験を伝えて生きたいと思う。

人生にいろいろな生き方や考え方があることをすこしでも広い視野で見て欲しいから。

13年もたったではなく、まだ13年だよ。

これからも焦らなくていい、じっくりいこう。

日本中とはいわないけど、震災が終わっていないことを理解し、少しでもみんなと思いを分かり合いたいって思っている人がたくさんいるから。僕もそんな中の人地です。
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南の島の初ダイブ

2008年01月16日 | 僕のミクロネシア
すっかりご無沙汰しているブログ。

楽しみにしている方すいません。

今日はこのクリスマスバケーションのチューク・グアムの旅のふりかえり。

正月早々に犬に噛まれた僕ですが、そんなことでへこんでいられません。

南の島の生活も残り僅かですから。

そこで、仲間の隊員とグアムで今年初ダイブ。

南の島といえば、スキューバーダイビングで海に潜ると思っていた方残念でした。

今年の初ダイブは写真のように、空からのダイブ。スカイダイビング。

高度3000メートルから飛びました。

どんなに怖いものかな?って思ったけど、正直怖さはなかった。

まるで地上から大きな扇風機に風を送られているみたい。

気持ちいい。涼しいって感じです。

天候もよく、グアムの真っ青な空や海が見渡せました。

危険で高額なスポーツ?ですが、かなり魅力に引き込まれました。

またしたいかも?

高度3000メートルより高い志をもって、今年も頑張ります。
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南の島の元旦。犬に噛まれても大丈夫

2008年01月11日 | 僕のミクロネシア
昨年も今年も自分が住んでいる南の島(ポンペイ)で元旦を迎えず、昨年はマーシャルで世界一早い元旦を、今年は隣の島のチュークで元旦を迎えました。

仲間の隊員と一緒に泊まったホテルで12時ちょうどに「Happy New Year」ってビールで乾杯。
その途端に停電。

この島は停電が多く、島に住んでいる隊員もそのことで凄く悩まされています。

でも非情にきっとこの南の島のガバナー(州知事)は「今年も停電だから覚悟しておけよ」と無言のメッセージを送っているような・・・

そんな厳しい環境でも頑張って活動している仲間の姿には本当に感動しました。

さて今年もいい年にしよう、「今年こそ独りの身から卒業するぞ」って誓った矢先。

独りでホテルを出てぶらぶらとローカルの人々の元旦の姿や近くの学校を見に行きました。

教会がある学校があったので、そこの人に挨拶して学校を撮っていると、向こうから学校の人らしい人と一緒に2匹の犬が「ワンワン」とほえながら飼い主より少し早めに走ってきていました。

きれいな犬だなって思っていた途端、僕に近づき「ガブッ」と左足を噛みました。

その瞬間「え、うそでしょう」って思ったけど、足からは血が。

やばい、僕の住む南の島はもっと犬がいるのにいつも噛まれなかったのに・・・

この南の島には狂犬病はないと言われていますが、犬はかなりばい菌をもっているので、ばい菌に感染したら嫌だなって。

ローカルの先生たちも犬が僕を噛んだのをみて、びっくりしてすぐ救急箱を出して、消毒液で治療してくれました。

僕の住む南の島にけがのことを連絡しようとしても電話が通じず、空港の電話も使えずでした。

この日はグアムに行く予定だったので、少し足は痛かったけど、痛い足を引きずり、空港を行って、僕の住む南の島から来た仲間と合流。

仲間に心配かけないようにと黙っていようと思いましたが、足を引きずっていたのですぐにばれてしまいました。

一年の計は元旦にありっていうけど、元旦から早々。
いやきっとこれで悪いことはすべて元旦に起こったから、後はいいことばかりです。

人間なんて思いようなんだから、大丈夫。

狂犬病にもかかってないはずだし、(結果は数ヶ月先までわからないそうだし)
世の中に絶対なんてことはない。

もしそんな最悪なことになっていてもそれは、この島にそんな危険な病気があるっていうことを体を呈して示した第一号になろう(そんなことはないけど)

今年は、絶対良いことがいっぱい待っているはず。

後残り少ない南の島生活を楽しみます。

今年の格言
「犬を見たら噛むと思え」
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南の島のクリスマスバケーション(予定)

2007年12月26日 | 僕のミクロネシア
明日からクリスマスバケーションに突入。

ミクロネシア連邦国の中で唯一行っていなかったチューク(旧トラック諸島)とグアムに行きます。

チュークでは、沈船ダイブと無人島のコテージに泊まる予定。

グアムでは、懐かし?の隊員と再会して、ダイブする予定。

予定はあくまで未定なので、帰ってきてからのお楽しみです。

まだまだ任国外旅行(協力隊の任期中に合計20日)の日数は残っていますが、(今回の旅行をしてもまだ9日残っています)もう使うことはないでしょう。

日本の有給と一緒でなかなか使い切るのは難しいです。
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南の島のクリスマススケジュール

2007年12月21日 | 僕のミクロネシア
昨日から始まった僕のクリスマスシーズン。

20(Thu) 村の学校幼稚園の子どものクリスマス会~町の幼稚園のクリス         マス~村の幼稚園のクリスマス会食事会

21(Fri) 村の学校幼稚園の職員のクリスマス会(昼食&プレゼン交換ト)        ~町の学校の職員のクリスマス会(昼食&プレゼント交換)

22(Sat)   村の幼稚園のスクールバスドライバーの娘さんの誕生日で遠く         の村にピクニック~隊員や友達が集まるクリスマス会(持ち寄         り&「プレゼント交換」

23(Sun)   ウクレレ練習日

24(Mon)  クリスマスウクレレコンサート(病院&教会、現在調整中)
         村の教会のクリスマスミサにでる。
         おじいさんの子どもや孫が集まってクリスマス会をする
         (プレゼント多数用意必要)

25(TUE)  村の幼稚園の子どもの家にクリスマス会に行く(未定)

そして27(Tue)~ クリスマス旅行に出発します。


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南の島での知名度UP

2007年12月19日 | 僕のミクロネシア
僕のすむ南の島は、人口3万5千人くらい。

広さは、兵庫県にある淡路島の3分の2くらい。

非常に説明しにくいのですが。

僕は村に住み、村で活動しているので、南の島での知名度はそんなに高くありません。

でも最近知名度がUPしてきたかも?

その1.
町のスーパーの買い物でお金がなかったら、つけで買い物をさせてくれた。

その2.
町を歩いていると僕が南の島で提唱?している手遊びをローカルが口ずさんでくれていた。多分僕に対して。

その3.
村のタクシーに乗ると、前から行き先を言わなくても寝ていても家で止まってくれる。

その4.
私と同じ村に住む隊員が村から30キロ以上はなれた村に遊びに行くと、その村で僕のウクレレのことが話題に上がった。

などなど。

帰国まで91日にして、確実に僕の知名度は上がってきているはずだ。
CDデビューで勢いつけたいところですが、もう学校もクリスマスバケーションに入るし、CDはきっと学校に眠ったままになるから、それは無理。

地道に目立つことを目指します。


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南の島でCDデビュー

2007年12月18日 | 僕のミクロネシア
念願の南の島でCDデビュー。

できたらいいなあって思っていたけどまさか?

しかも限定プレス。


前にも書きましたが、教育局限定の日本語クリスマスCDが教材用に全南の島の学校に歌詞付、CDラベル付で、そして僕の名前もしっかり刻んでくれています。

金曜日に木曜日に夜の幼稚園の教室で風が音に入らないように暑い南の島の部屋の窓を閉め切って録音した音源が今日早速CDに。

南の島のことだから、こんなに簡単にCD化が実現するとは思っていなかったけど、いくらハンドメイドとはいえ、自分の声とウクレレがCDになると嬉しい。

ワークショップの準備と並行してだったので、時間が十分にとれず、ばたばたしましたがよかったです。

あえて悔やまれるのは、スタンダードなクリスマスだけでなく、僕のオリジナル曲を入れておけばよかったと。
今まであれだけたくさん曲を作ってきたのに。

よし、今度は是非、オリジナル曲をCD化してもらうようにお願いしてみよう。

協力隊の一押し歌手の方のようにはいきませんが、これが少しでもコノ島の音楽教育に役立ってくれると嬉しいです。

着実に南の島の夢を実現している自分が怖いくらい。
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南の島のブログアクセスj状況y

2007年12月09日 | 僕のミクロネシア
ずっとこの1年6ヶ月の南の島の暮らしをブログで綴っていますが、途中あまり更新しないときもありましたが、今は8月から一応毎日更新を更新中。

GOOブログはどれだけの人が見てくれているか読者の人には表示されないのですが
このブログは
毎日 60名~80名
閲覧数(見る日記のページ数)150ページから200ページ

大体毎日この数が保たれているので、平均数と一人の人が3ページ見てくれてくださっているので、毎日見てくださっている方もいてくださるでしょうが、一人が一度見るたびに3日分を見てくださっているので、勝手に定期読者は180名~200名くらいいてくださっているのでは?と想定しています。
もちろん一度見ただけで終わりの方もおられるので、もう少し実際は少ないと思われますが。

この南の島で日本で味わえない活動、生活ができるのは、日本の家族、職場、仲間そしてもっと広い意味でたくさんの日本の人のおかげなので、せめてブログを通して日本の方に私の活動や南の島のことを知ってもらえたらと思っています。
そして、私がこの島で何を感じ、何を学んだかの一端も感じていただければと思います。

インターネットやメールの使い方には、無機質で思いがなかなか伝わりにくいと思う反面、こういうブログは、自分の思いを伝える楽しさ、また受け取る楽しさがつながっていくことができるのだと思います。

日本では書けない事も、ここでは気軽に文章にできる(何を書いていいというものではありませんが)ことも大きいように思います。

そして1年6ヶ月住んでいても、私は日本人ですし、私のホームタウンは日本。
だからこそ、生活をともにしながら少し客観的に物事を捉えられることができるのかも。また日々の出来事にたくさんの感動があるように思います。

あと110日あまりですが、今まで同様、アクセスして南の島の様子をご覧いただければと思います。帰国まで毎日更新(インターネット環境にある限り)を目指します。

よろしくお願いします。
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部屋改造計画&仲間のBirthday

2006年09月03日 | 僕のミクロネシア
9月2日土曜日は、部屋の改造計画です。もちろんホームステイの自分の部屋の。

ポンペイは、世界屈指の湿気の多い島。
パソコンやデジカメは、2年いる間に大体故障するそうです。

「今まで壊れるものなら壊れろ」って感じでしたが、やはり対策を立てることにしました。

多くの人がしている方法は、ジプロックやタッパなど密閉式のものに機材を入れ、その中に乾燥剤をいれることです。
「長いものには巻かれろ」ではないですが、ポンペイでの活動中はつぶれないで欲しいので、面倒がりの僕には、そんな細やかなことは難しいので、思い切って引き出しを買うことに決定。

朝にオフィイスサプライという事務用品・机などが、売っているお店に行きました。
そして木製の2段の引き出しを購入。スタッフが二人来て、車で運んでくれました。

大きなものを買うのは、家族はもちろん、周りの人も見ているので、気が引けるのですが、
(ポンペイで日本人の行動は注目?の的ですし、目立ちます。なので秘密裏にことをすすめるのは、何事においても難しいです。まあ隠すことではないのですが)

僕は、できるだけ2年ホームステイをしたいですし、週末はもちろん、仕事の後は家で過ごしたいので、自分の部屋はできるだけ快適にしたいと思っています。
われわれは質素にという心構えも大切にしないといけないのですが。
(我々は最初3ヶ月は出来るだけホームステイをしてくださいと言われています。その後は一人暮らしをするかしないは基本的には自由です。もちろん3ヶ月経たない間にいろいろ事情があってホームステイを辞めて一人暮らしをする場合もあります)

ホームステイの部屋には、初めから木の棚がありました。とても重宝しているのですが、
ポンペイでは先ほども言ったみたいに湿気が多いので蟻が住み着きます。
そして、木の棚の服がいつも多量の蟻が糞をして僕の服を汚してくれていました。

2-3日に1回、ホウキを使って掃くのですが、またすぐに黒い粉がいっぱいになります。

これはちょっときついと思い、服をハンガーのままでつるせるものも用意しました。
そうすれば、洗濯が乾いた後にそのままかけられるので一石二鳥です。
なんせ洗濯する服は大量です。3日ためると一回の洗濯機では回せません。
1日でアロハ1枚・Tシャツ3枚・タオル・下着など。
それに一週間に一回はタオルケット・枕カバー・シーツも洗っているので。

そういうことで大幅な部屋の模様替え。結局4時間ほどかかって終了。

お昼ごはんはとってもおいしいシチュー。
明らかに味が違うので「これ誰が作ったの?」と聞くとお孫さんのお嫁さんが「私の主人よ」と。お孫さんは、ビレッジというこの島一番ホテルのコックさんです。

夕方からは、急に隊員の誕生日が今日あることが発覚。
お祝い好きの僕としては行かないわけには。

しかし、おじいさんに何も話していないし、今日は朝に一度コロニアにいっているので2度目になるので、おじいさんにはいいにくいです。

おじいさんが何故か4時ごろ食卓でご飯を食べ始めていて、「早く今日は食べるよ」とお刺身食べておられました。そこでコロニアに行く話しを切り出すと少し含み笑いをしておられました。

「食事もいらないんだな」といわれたので、「少しいただいてからいきます」と話すと少し気分が和らぎました。

隊員の誕生日はケーキを持って行くとダブルかな?と思いましたが、誰も用意してなかったので、よかったです。サプライズでケーキを出して、ウクレレで「HAPY BIRTHDAY」。

やはりウクレレの機動力はさすがです。

今日はドミに泊まって、明日一番に帰ります。教会が始まるまでに帰るとお祖父さんに約束していますので。
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掃除

2006年07月31日 | 僕のミクロネシア
今日は事情により画像ありません。

まず朝学校にいくと幼稚園のメインの先生に会うことができました。

最初は誰もいなかったので帰ろうかなと思いましたが、待っていてよかったです。

掃除をしていると「あいて」窓ガラスを拭いているとガラスで右手の人差し指をかなり深く切ってしまいました。

治療していると、校長先生が全員招集。
今から教育委員会の地区を統括している人がくるとのこと。
ポンペイ語で話すのでほとんどわかりませんが。

席を準備して時間があるので折角みんな職員がいるのでウクレレで国歌とかを弾いていると実はもう地区の責任者の人が来ていました。
ウクレレの演奏をしていたときに拍手してくれた人がそうでした。

あとでみんなに演奏よかったよと言ってもらい。これは日本なら始末書ものだなと
思いました。

昼から仲間が迎えに来てくれてコロニアに。
実は今日は交換学生の最後の夜でパーティーに招待されているのですが、携帯が村ではずっと圏外で困っていました。

そしてパーティー会場に。
国歌を歌うときにウクレレで演奏することに。

みんな歌が早くなり、かなりやばかったです。
こちらのパーティーはかなり洗練されていて、村よりかなり都会的?

歌が次々にカラオケと共に歌われて大合唱。
途中で歌っている現地の人に紛れて歌いました。かなり現地の人には受けていました。

そして時間がかなりおしていたけど、島人ね宝を強引に歌いました。3番は替え歌にして。

やはり、迷ったらやってみる精神が大切だと思いました。
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