第2回愛知教育大学オープンカレッジが開かれた。
今回は、「国語教科書再読」のテーマで、国語の教科書に載っている「詩」や「物語」を読んだ。
青森県弘前市生まれの丹藤弘文(たんどうひろふみ)先生は、さすが都立高校の経験もあり、話が分かりやすく上手だった。
みなさんに「初恋」を思い出してほしい、と「島崎藤村」の「まだあげ初めし前髪の・・・」の「初恋」を最初に読んだ。
甘い雰囲気になった。
続いて、前田検事の「ものがたり」や「ストーリー」で決めてしまっていることにふれた。
事実の積み重ねではなく、ストーリーを最初から作って、それに合わせて証拠固めをしているのはいけないと批判した。
文学の歴史的なことも話され、「物語を批判することから近代文学が坪井逍遙の『小説神髄』や二葉亭四迷の『浮雲』などのリアリズム、人間の内面を描くようになった。」と言われた。
8時43分に印籠が出て事件が解決するのは安心するかもしれないが。
「ごんぎつね」は兵十につぐなったり、友だちになりたがったが、最後はそれを知らない兵十は、ごんぎつねをうってしまった。悲しい物語として知られている。
なぜ、ごんぎつねは兵十と友だちになりたがったのだろうか?
「母の不在」だと先生は考えている。
母のいないさびしさがごんぎつねの行動を規制したんだ。
先生の話を聞いて、じっくり「ごんぎつね」を読んだり、もう一度「新美南吉記念館」に行ってみたくなった。
最後に宮沢賢治の「中温の多い料理店」を読んだ。
奥が深く、言葉が多義的に使われていて、「食べられます」の意味が「受身」、「自発」、「尊敬」、「可能」があり、山猫が紳士を食べることも含まれている。
食べるつもりが食べられるかもしれない。反転になっている。
深く読むと面白いと思った。
宮沢賢治の父親は浄土真宗だが、賢治は日蓮宗だった。
自分で行ったことが自分にかえってくることが仏教的である。