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週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

007.キミはタイラー・ダーデンを知ってるか?

2008年08月29日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #01-


 皆さんこんにちはごきげんよう。
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 先日の事、ちょっと思うトコロがあってここ数回のこのブログを読み返してみたんですが、ふとこう思いました。

「ヲタク分が足りない……。」

 仮にも『ヲタク兼ヘタレゲーマーのブログ』と冠しているクセに、オリンピックネタが続いたせいかやけにマジメ~な記事が目立つ。
 これはいけない! 良くない傾向です。
 という事で、今回はヲタク分を増量するためにこんな写真を用意しました。
Blog0027  ハイ、C74の戦利品でございます。
 とは言っても、僕は地方在住なので有明まで行けないのでショップで買った物。
 一緒に買ったメジャー盤も混じってますが、ほとんど同人音楽CD。ゲームが数点。同人誌は1点――しかも楽譜集だし――のみ。
 タイトルを列記しようかと思いましたが、数が多くてめんどくさくなったので止めました。てゆーか、数を数えるのもイヤになるぐらい。金額の計算なんてもってのほか! 相変わらずの買い過ぎです。
 つーか、帰ってから買い忘れ&売り切れがあった事に気付き、ネット通販で追加発注。
 
Blog0028  more CDs, and one game.(笑)
 明らかに買い過ぎです。自分でもそう思います。
 毎回の事ですが、何故か毎回買ってしまいます。
 不思議なモノです。(笑)
 今は、車に乗る時などに買ってきたCDを聴いています。今回は全部聴くのにどれぐらいかかるかなぁ~?(2ヶ月ぐらい?)
 

 

 それはさて置き、今週はオリンピックのため先送りになっていた――ホントは今月の頭にやるつもりでした――このブログのメイン記事(!)の一つ、『映画を“読む”』の第1弾です。
 どの映画を取り挙げようかさんざん迷ったんですが、今回が第1弾という事もあり、ここはやはり、今まで見た中で僕の一番好きな映画を採り上げようかなと。
 これまで――記憶に残っているのでは、小学生の時から――4桁近い数の映画を観てきましたが、今から考えてもやはりこの映画がマイランキングで現時点のトップ。
 デイビッド・フィンチャー監督、エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター出演作品、『ファイトクラブ(原題:Fight Club)』。1999年公開作品です。


※注:以下には、映画『ファイトクラブ』の重大なネタバレが“多々”記されています。未鑑賞の方は、読む前に映画を鑑賞して頂く事をオススメします。


・Story

 どこにでもいるようなごくフツーのアメリカ人青年。彼は、大手自動車メーカーのリコール査察部に勤めるサラリーマンだ。
 決して楽しいとは言えないながらも、仕事には特に不満もなく、収入も安定している。
 高級マンションに居を構え、部屋にはヨーロッパ製の家具や職人の手作り食器、高級オーディオや一流ブランドの服を揃えたパーフェクトな生活を送っていた。
 しかし、そんな恵まれた環境にいる彼にも、一つだけ悩みがあった。
 それは、6ヶ月もの間、眠れなかった事だ。
 不眠症――。
 ボーっとした頭で、マユツバ臭い深夜の通販番組を見る毎日。
 そんな毎日がイヤで、彼は医者に相談するが、医者は「心配ない」と言って治療薬すら出してくれない。
「頼むよ、苦痛なんだ。」
 彼がそう言うと、医者はこう答えた。
「ガン患者のサポート会に行ってみな。あれが本当の“苦痛”だ。」
 彼は、その言葉通りにサポート会に行ってみる。するとそこで、彼はなんと、……泣いた。
 元ボディビルダーのボブの胸に顔を埋め、彼は泣いたのだ。
 それがストレス発散になったのか、その夜、彼は久しぶりにグッスリ眠った。
 それ以来、彼はそれがクセになる。
 感染症、白血病、ガン。
 様々な病と闘う人々のサポート会に毎日のように通う彼。病気と闘う人々との交流で、彼は心の平穏を取り戻し、不眠症から回復していく。
 ところが……!
「ココ、睾丸ガンの会?」
 突然現れた一人の女。
 彼女の名はマーラ・シンガー。
 彼と同じ、“観光者”。
 彼女に、まるで自分の姿を写した鏡のような印象を持ってしまった彼は、再び眠れなくなってしまう。
 そんなある日、彼は飛行機で“たまたま”乗り合わせた男、タイラー・ダーデンと出会う。
 些細な会話から意気投合する二人。自宅のアパートが爆発事故に遭うという不幸も手伝って、彼はタイラーと一緒に暮らす事になる。
 だがタイラーは、唐突に奇妙なお願いをしてくる。
「オレを殴ってくれ。」
 廻り始める運命の歯車。
 それはまるで、転がり続ける石コロのように。
 ドン底まで、止まる事なく……。
 荒唐無稽なまでにぶっ飛んだイカれた内容であるにも関わらず、そのストーリーに込められたメッセージは、現代人の誰もが抱える重大な疑問を投げかける。
 また、暗く重厚なテーマであるにも関わらず、映画の随所に散りばめられたブラックジョークがその重圧を和らげ、鮮烈なVFXと音楽、キャストの確かな演技がそれを支え、超一級のブラックジョークコメディに仕立てた傑作!
 映画『セブン』で世界中に衝撃を与えたフィンチャーとブラピが再びコンビを組み、この作品以前に既に2回のオスカー候補になった経験を持つ演技派俳優エドワード・ノートンと、近年はティム・バートン監督作品に多数出演しているヘレナ・ボナム=カーターを加え、さらにミート・ローフ・アディ、ジャレット・レト他が出演した映画『ファイトクラブ』は、間違いなくフィンチャー監督作品最高傑作だ!


・Cast&Staff

エドワード・ノートン/ナレーター

 本作の主演であるエドワード・ノートンは、長編デビュー作である『真実の行方』(リチャード・ギア主演、1996年公開)でいきなりオスカー候補に選ばれ、『ラウンダーズ』(マッド・デイモン主演、1998年)では、主人公の悪友であるいかがわしいイカサマギャンブラーを好演し、注目を浴びる。
 エドワード・ファーロング(『ターミネーター2』の少年ジョン・コナー役)と共演した問題作、『アメリカン・ヒストリーX』では、白人至上主義団体のリーダーを熱演。再びオスカー候補に選出され、その演技力の確かさを証明した。(注:この作品は“超”オススメの一本。アメリカ国内の極めてデリケートな問題を扱っているが、本作とも関連のある内容と言える名作)
 本作の出演後は、製作と監督も務めたロマンティックコメディ、『僕たちのアナ・バナナ』(2000年公開)に主演。ベン・スティラー、ジェナ・エルフマンらと競演している。
 今年(2008年)には、アメコミヒーローモノの新作、『インクレディブル・ハルク』に主演している。


ブラッド・ピット/タイラー・ダーデン

 最早説明するまでもないほど、日本でも絶大な人気を誇るトップスター。
 日本では、本作と同じデイビッド・フィンチャー監督作品『セブン』でブレイクし、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(トム・クルーズ主演、1994年公開)や『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年公開)、『ジョー・ブラックをよろしく』(1998年公開)などの出演で二枚目俳優としてのイメージが強いようだが、実は本作のような“キレキャラ”が本来のブラピの専売特許。
 リドリー・スコット監督作品『テルマ&ルイーズ』(ジーナ・デイビス、スーザン・サランドン主演、1991年公開)のヒッチハイカー役や、ロバート・レッドフォード監督作品『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年公開)では、ギャンブルに溺れていく田舎記者の青年を演じ、1993年には『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット監督作品、クリスチャン・スレーター、パトリシア・アークエット主演、デニス・ホッパーやゲイリー・オールドマンなど、超豪華キャストを配した傑作。しかも、クエンティン・タランティーノが脚本を手がけている。ブラピは終始ドラッグでラリってるだけの端役で出演したが、本人はこの役がお気に入りだとか)と『カリフォルニア』(日本でも社会現象になったTVドラマ『X-ファイル』のフォックス・モルダー捜査官役のデイビッド・ドゥカブニー主演、ジュリエット・ルイス共演。ニコラス・ケイジ主演の『60セカンズ』のドミニク・セナ監督作品。ブラピは超危険な精神障害気味の犯罪者役)に出演し、1995年のテリー・ギリアム監督作品『12モンキーズ』(ブルース・ウィリス、マデリーン・ストゥ主演のSF作品。ブラピの役はイカレたエコテロリスト)では、本作に勝るとも劣らないキレキャラを熱演し、本作と『スナッチ』(2000年公開)で、彼のキレキャラ演技は頂点に達する。
 近年は比較的平和なキャラクターを演じているが、彼の演技力の本領発揮とも言えるキレキャラをいつか再び演じてもらいたいと思うのは僕だけだろうか?


ヘレナ・ボナム=カーター/マーラ・シンガー

 本作では唯一の女性キャラクターであるマーラを演じたのは、イギリスのセレブ女優(父親が銀行頭取、母親が精神科医、曽祖父は元イギリス首相という家系に生まれている)として有名なヘレナ・ボナム=カーターである。
 1997年の『鳩の翼』という作品でオスカー候補に選出され、2005年の『女たちとの会話(公開時は『カンバセーションズ』)』では、東京国際映画祭で主演女優賞を受賞している。
 本作出演後は、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(1967年公開のチャールトン・ヘストン主演のSF映画の金字塔をリメイクした作品。2001年公開)をかわきりに、『チャーリーとチョコレート工場』(ジョニー・デップ主演、2005年公開)、『コープス・ブライド』(2005年公開のストップモーションアニメ映画。ボナム=カーターは、ジョニー・デップと共に声優としてこの作品に参加)、『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』(ジョニー・デップとの共演3作目。2007年公開)と、立て続けにティム・バートン監督作品に出演。ジョニー・デップと共に、すっかりバートンファミリーの一員になっている。
 ちなみに、J・K・ローリングの世界的ベストセラー小説、『ハリー・ポッター』シリーズの5作目、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の映画版にも出演している。


ミート・ローフ=アディ/ロバート・ポールセン(ボブ)

 マニアな洋楽ファンにとっては、俳優としてよりもロックアーティストとしてのミートローフの方が馴染みがあるだろう。
 1969年のデビュー以降、アメリカ国内で高い人気を誇るロックアーティストとして活躍し、1977年のアルバム『地獄のロック・ライダー』(原題:BAT OUT OF HELL)では、アメリカのみならず、イギリスでもアルバム、シングル(アルバムからのシングルカット、『66%の誘惑』)の両チャートで1位を獲得し、所属のヴァージンレコードを倒産の危機から救った。
 またこのアルバムは、世界で3700万枚(!)を売り上げたとされており、これは歴代のアルバムセールスランキングの世界第3位の記録となっている。
 近年も、アルバム『OUT OF HELLⅢ:The Monster is Loose』(2006年リリース)をリリースしており、精力的に活動している。
 俳優としては、1975年に『ロッキー・ホラー・ショー』(同タイトルのロック・ミュージカルの映画化作品。“ロック・ホラー・ミュージカル”という、何だかよく分からない作品だが、カルトムービーとして今なお人気が高い)に出演していたりする。


ジャレッド・レト/エンジェル・フェイス

 映画本編では役名が出てこないが、エドワード・ノートンに顔面を滅多打ちにされるブロンドの男を演じたのが、このジャレッド・レトである。
 映画『バジル』(1997年公開)、『ルール』(1998年公開)に出演後、ショーン・ペン、ジム・カヴィーセル主演の戦争映画、『シン・レッド・ライン』(1998年公開)に出演し、注目される。
 本作出演後、2002年には再びフィンチャー監督の誘いでジョディ・フォスター主演のサスペンス・スリラー、『パニック・ルーム』に出演。本作での作ったような金髪同様、奇抜なドレッドヘアーで役作りし、多彩な演技を見せている名脇役俳優。
 ちなみに、あのキャメロン・ディアスとの交際していたこともあるとか。(←羨ましい!)


監督:デイビッド・フィンチャー

 ブラピ同様、彼もまた説明の必要がないほどの人気を誇るトップクリエーターである。
 1980年公開の映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(これまた説明の必要はないですね。)を観て、当時まだ10代だったフィンチャーは、映画のSFX技術を学ぶためILM(Industrial Light&Magic社。本来は、1975年にジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』シリーズのSFX製作部門として設立した特殊効果製作会社。現在は、ハリウッド最高のSFX/VFX製作会社として確固たる地位を築いているが、当時はまだ映画製作の一部門程度の規模しかなかった。ちなみに、同社のCGI製作部門が独占禁止法に引っかかるのを恐れて分離、独立した際、アップル・コンピュータ社のスティーブ・ジョブズによって買収され、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの支援でフルCG映画を製作するようになる。世界初のフルCG映画、『トイ・ストーリー』を製作したピクサー社である)に入社。『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(1983年公開。2004年公開の特別版以降は、『ジェダイの帰還』に改題されている)の製作に参加。映画公開の翌年、1984年までILMに所属し、SFX技術と映像表現を学ぶ。
 1986年、友人数人と共同でTVCMやビデオクリップを製作する映像製作会社、『Propaganda Films』(プロパガンダ・フィルム。“プロパガンダ”はPRの語源。そのまま“宣伝”の意)を設立。ここで、マドンナ、ジョージ・マイケル、エアロスミス、ローリング・ストーンズといった、名だたるアーティストのキャリア上の転機となる重要なビデオクリップを多数監督し、さらにはコカ・コーラ、ナイキ、バドワイザーといった、アメリカの代名詞とも言えるような超一流企業の依頼を受け、鮮烈なTVCMを監督し、20代の若さで超売れっ子の映像作家に君臨する。
 1992年、レニー・ハーリン監督(『エルム街の悪夢4』、『クリフハンガー』、『ドリヴン』など)の降板により、大ヒットSFホラーシリーズの(当時の)最新作、『エイリアン3』の監督に抜擢され、待望の映画初監督をする事になるが、ここでフィンチャーは不当とも言えるほどの屈辱的な扱い(詳細はいずれまた。必ず!)を受け、ファンや批評家からの痛烈な批判の的にされ、一旦映画界を去り、CM製作に戻ってしまう。
 しかし1995年、脚本家のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー(エドワード・ファーロング主演の日本未公開作品『ブレイン・スキャン』や、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』、ティム・バートン監督作品の『スリーピー・ホロウ』などもこの人の仕事)や、前出のブラッド・ピットと出会い、映画『セブン』を監督する。
 これが瞬く間に世界的な大ヒットとなり、その鮮烈でスタイリッシュな映像表現も同時に絶賛され、ようやく映像作家としてのフィンチャーが正当な評価をされるようになる。
 その後、自身のプロパガンダ・フィルム製作の初の劇場公開作品となった『ゲーム』(マイケル・ダグラス、ショーン・ペン主演。1997年公開作品)、本作、『パニック・ルーム』と、立て続けに大ヒット作を手がけ、その地位を確固たるモノにしている。
 フィンチャー監督は、僕が最も敬愛する5人の映画監督の内の一人である。(注:他の4人はいずれまた。きっと)


・Behind the Scene

 本作は、小説家チャック・ポーラニック(注:邦訳版の表記はパラニューク)の同タイトルの小説デビュー作を映画化した作品である。
 原作版との微細な相違点はあるモノの、それは“映像作品”として成立させるための改訂であり、ポーラニック自身は、「映画化することで話のテーマをより多くの観客に伝える事ができればいい」と語っている。
 当初、その鮮烈なストーリーとテーマに映画製作を担当したフォックス2000ピクチャーズの重役陣は、映画化権を取得したはいいものの、映像化の難航が予測され、この難題に対処できる監督を探すのが最初の大仕事となった。
 しかし、フィンチャーに原作小説に目を通すように伝えると、フィンチャーは原作小説の持っているポテンシャルに強い興味を示し、同時にフィンチャー側から監督を申し出る事になった。
 ココからは順調に進み、脚本のジム・ウールスの手によって映画用の脚本が執筆され、それを元にフィンチャーはロケーションや撮影スケジュールを決めていく。
 同時に、公私共にフィンチャーの友人であるブラッド・ピットがタイラー役に決まり、脚本を大いに気に入ったエドワード・ノートンやヘレナ・ボナム=カーターが加わり、映画は撮影された。
 問題は、この映画のヴィジュアルの要とも言えるVFXだった。
 本作のVFXを担当したのは、フランスのVFX製作会社であるBUFという会社で、映画製作では本作以外に、言わずと知れた世界的大ヒット作、『マトリックス』シリーズ(ウォッシャウスキー・ブラザーズ監督作品。BUFは、2003年公開の『リローデッド』と『レヴォリューションズ』に参加している)や、ローランド・エメリッヒ監督の『デイ・アフター・トゥモロー』などにも参加しているVFX製作会社で、僕の記憶では、本作がハリウッド進出の足がかりになったと記憶している。(注:ゴメンなさい。確認は取ってないです)
 BUFによるVFXは、通称“ゴミ箱宇宙”と呼ばれるシーン(映画の前半部分で、主人公がコピーを取っているシーンに続くカット。「マイクロソフト銀河、惑星スターバックス」のトコロ)や、部屋の中をゴキブリの視点のような超ローアングルでカメラが駆け巡るシーン(主人公のアパートが爆発するシーン)など、フィンチャーの要求する困難なVFXシーンに確かな回答を提示し、映画の映像的クォリティアップに多大な貢献をしていると言える。
 また本作では、SFXとしての特殊メイクも重要だった。
 例えば、エンジェル・フェイスが主人公に顔面を滅多打ちにされた後のボコボコに腫れ上がった顔の造形や、本来は比較的スリムな体形をしているミート・ローフ=アディを体重100kgオーバーの巨漢にするための偽装(いわゆる肉じゅばん)など、本作では随所でナチュラルかつ映画的な演出効果を有する特殊メイクが必要だった。
 そこで召集されたのが、特殊メイクアップ効果スーパーバイザーのロブ・ボッティンである。
 ボッティンの経歴を見てみると、『インナー・スペース』、『トータル・リコール』、『氷の微笑』、『ロボコップ』(シリーズ3作全て)、『ミッション:インポッシブル』、『ディアボロス/悪魔の扉』(←傑作!)、『ミミック』、『ザ・グリード』と、どれもこれもアメリカ国内のみならず、日本でも大ヒットを記録した作品ばかりであり、その手腕の確かさを証明していると言えるだろう。
 ボッティンの監修により、本作では暴力表現のリアリティをより高めるための傷跡が役者たちに適宜施され、映像に凄まじいまでの表現力を持たせるのに成功している。
 ちなみに、フィンチャー監督とは『セブン』で既に一緒に仕事をしている。
 また、僕は上記の作品を全て観ているが、どれも素晴らしい作品ばかりである。
 もう一つ、本作を特徴付けている要素として挙げておきたいのは、やはり音楽である。
 本作の音楽は、当時はもちろん、90年代以降のハリウッド映画には欠く事が出来なくなったオーケストラではなく、それとは全く異なる現代音楽、それもヒップホップが使われている。
 フィンチャー監督作品では、本作以前は全てオーケストラ楽曲が使用されていたが、フィンチャーは作品の内容に合わせて、敢えてヒップホップを使っている。
 そして、それを担当したのが、音楽プロデューサーとして常に高い評価を得ているザ・ダストブラザーズである。
 ザ・ダストブラザーズは、マイケル・シンプソンとジョン・キングの二人で構成される音楽プロデュースユニットで、ビースティー・ボーイズの2ndアルバム、『ポールズ・ブティック』で一躍シーンのトップヒットメーカーに躍り出たが、実は彼ら名義のアルバムというのが全くなかった。
 本作では、いわゆるスコア盤の全トラックを手がけており、事実上、本作のサウンドトラックアルバムがザ・ダストブラザーズ名義のファーストアルバムになった。(注:本作には、近年のハリウッド映画サントラにありがちな“タイアップ詰め合わせサントラ”は存在せず、ザ・ダストブラザーズによるスコア盤のみがサントラとしてリリースされている)
 クールでスタイリッシュ。しかし、本作のブラックジョークコメディとしての側面を忘れる事のないユーモアを盛り込んだサウンドワークは、彼らの音楽プロデューサーとしての手腕だけでなく、映画音楽コンポーザーとしての技量がある事を立証していると言えるのではないだろうか?
 それとは関係ないが、本作は多くのクレジットカード会社が本社を置く金融都市、ウィルミントン(デラウェア州北部)が舞台となっているらしい。
 作品中に出てくる地名(ニューキャッスルやデラウェアシティ、ペンズグローブなど)はウィルミントンの近くにあり、主人公のアパートに掲げられているモットー(『A Place To Be Somebody――ひとかどの人物になるための場所』)は、ウィルミントン市が実際に掲げているモットーであるというのがその理由である。
 しかし、ウィルミントン市が映画の影響による模倣犯の出現を懸念して撮影許可を出さなかったため、本作のロケはほとんどがロサンゼルスで行われているそうだ。


・Point of View

 本作における最も重要なテーマは、過剰なまでの暴力表現よって描かれる“脱日常”、あるいは“ライフスタイルへの隷属からの脱却”などでは決してない。
 例えばそれは、北欧家具や高級ブランドスーツを手当たり次第に買い漁る主人公の、消費文化に従属的な極めて非生産的な浪費行為や、男たちが素手で殴り合うという強烈な暴力表現によって苦痛の中に生を実感する自己破壊行為は、一見するとマスメディアによって強要されるライフスタイルへの隷属と保守的な生活の日常からの脱却を示唆するように思われる。
 確かにそうだ。
 現代人にとって、それは既に抗いようのない現実だ。
 例えばファッション。その“今年の流行”を決めているのは誰なのだろうか?
「流行りはアースカラー!」
「今年の夏は白でキマリ!」
 ファッション誌の表紙を踊るこんなキャッチコピーは、どうやって決められているのだろうか?
 街角のオシャレさんにインタビューして?
 市販されている服の売り上げ記録?
 何らかの科学的、あるいは心理学的考察に基く考察?
 否だ。
 ファッションの流行を決めているのは、他でもないマスメディアである。
 しかも、それには何の根拠もない、ある意味マスメディアの独断と偏見によって決められている。
 僕らは、マスメディアによって決められた流行を信じ、それに相当する浪費を促され、マスメディアという、本来は大衆側の味方であるハズの存在の権力に隷属させられ、型にはめられたライフスタイルを強要されている。
 映画の中で、主人公はタイラーにこれを諭される(「デュヴェって知ってるか?」のトコロ)が、「まあいいさ。どうせただのモノだ。」と言いつつ、「幸い保険をかけてた。」と言う。だから、タイラーに呆れられる。(タイラー「お前はライフスタイルの奴隷だ。」)
 そんな隷属的日常からの脱却こそ、ライフスタイルへの反逆であり、それを可能にするのが、ファイトクラブという自己破壊行為なのである。
 それは、あたかも男性ホルモンを刺激する魅力的な誘惑を含んでおり(バーの駐車場でのファイトを見物していたマジメなサラリーマン風の男が、「次、オレ。」と言って手を挙げるのがまさにそれ)、その究極とも言えるのが、“プロジェクト・メイヘム”である。
 このプロジェクトの中で、タイラーの下に集まったスペース・モンキーたちは、マルチチャンネルTVのパラボラアンテナを破壊したり、高級車を鳥のフンまみれにしたり、ヒット作が並ぶレンタルビデオ店のビデオテープに電磁石を近付けたりと、人々が隷属しているライフスタイル、そして、それを構築しているマスメディアに反発する破壊行為を次々と実行していき、最終的に、それは金融社会を崩壊させる事で経済的平等を実現し、ライフスタイルへの隷属からの脱却を完全なモノにしようとする。
 創造は破壊によって生まれる――。
 よく言われる事だ。
 確かにそうかもしれない。
 ビルを作る前には、古いビルを爆破解体しなければならない。
 木材を得るためには、森林を破壊しなければならない。
 食肉を精肉するためには、牛や豚を殺さなければならない。
 ならば、自らの生を得たいのであれば、自己破壊をしなければならないのだ。
 それを可能にしたのが、タイラーと主人公が作った“ファイトクラブ”という男性ホルモンを誘惑する魅力を有する自己破壊行為なのである。
 ……と、この映画を観て思っている人がいたら、僕は「それは大きな勘違いをしている」と言わなければならない。「アナタは、この映画を全く観ていない!」と、極めて強い語気で言わなければならない。
 何故なら、結局は破壊行為は破壊行為でしかなく、それが何かを創造する事など、あり得ないからだ。
 ビルを爆破解体したら、後に残るのはガレキの山である。
 樹木を木材加工したら、後に残るのはハゲ山とおが屑だけだ。
 家畜をシメたら、後に残るのは家畜の屍骸だけなのだ。
 破壊は何も生まず、破壊は結局破壊でしかない。破壊行為と創造行為は、表裏ではなく全く以って区別されるモノなのだ。
 ライフスタイルへの隷属からの脱却は、自己破壊行為によって可能ではあるが、それはドン底に落ちる堕天的行為であり、それによって何かが創造されるような事は、決してあり得ないのだ。
 ならば問題は、どうすれば昇天的による創造を生む事が出来るのか?
 映画の中で、主人公は自分自身がタイラー・ダーデンであった事に気付いた時、ようやくそれを悟る。
 タイラーは、確かに主人公が理想とする“もう一人の自分”である。しかし、それは飽くまでも“理想”であり、“理想”は現実ではない。
 現実ではない“理想”は、幻想でしかないのだ。
 それは、幻想を現実にしたいと願う主人公の負の感情が作り出した“理想”であり、それが主人公の心の中でうっ積し、肥大化するにつれ、主人公は“タイラー・ダーデンという理想”を具現化していく。
 この過程を描いているのが、映画の前半で頻繁に出てくるサブリミナル効果(注:映画の中で使われているサブリミナル効果は、本来の意味でのサブリミナル効果とは異なり、可視可能なレベルにまでディフォルメされている。サブリミナル効果は、現在は違法広告として禁止されている)を使った演出である。
 しかしこの演出は、主人公が空港でタイラーとすれ違った瞬間から、何事もなかったかのようにパッタリと途絶える。それまで幻想だったタイラーが、“理想”として具現化したからだ。
 だが同時に、主人公はマーラという、本来の自分の“鏡映”と出会う。
 主人公はそれを否定しようとする――何故なら、それは自分がなりたくないと願う本来の自分であり、“理想”としてのタイラーとは対極にある存在、すなわち自分自身の本来の姿だからである――が、それこそ不可能な事だったのだ。
 考えてみて欲しい。
 タイラーとマーラは、どちらも主人公自身なのだから、どちらも否定する事などできないのではないだろうか? だから、どちらも“理想”、あるいは“鏡映”として主人公の前に具現化したのではないだろうか? だがこの二人は、主人公にとって対極にある存在のため、同時に存在できない。映画の中で、タイラーとマーラが同時に写っているカットがワンカットたりともないのはそのためだ。
 となると問題は、主人公はどちらを選択すべきなのか? という事に終始する。
 この問題に気付き、そして選択を迫られた主人公は、映画の終盤ようやく悟る。
 破壊は、何も創造しない。
 破壊からは、何も生まれない。
 大切なのは、何かを創造し、そして生む事なのだと。
 だから、主人公はマーラに向かってこう言う。
「気付いたんだ。大切なのは、キミとの関係だ。」
 と――。
 そう、破壊と創造は表裏ではない。
 破壊と創造は、全くの別物なのだ。
 同時に存在する事はできないが、どちらかを選ぶ事は可能なのだ。
 ならば、創造と破壊、アナタはどちらを選ぶ?
 本作の主人公は、どちらを選んだ?
 映画のラストシーンが、主人公がマーラの手を握ったトコロで終わるのは、つまりはそういう事なのである。


 それと関連して言及しておきたいのは、この映画の主人公を演じたエドワード・ノートンには、実は役名がない事である。
 映画の中では、主人公は自分の事を「僕はジャック」と言っているが、マーラにはこう言われる。
「名前がないわ。コーネリアス? ルパート? トラヴィス? 毎晩名前を変えるの?」
 エンドクレジットでは、ノートンの役名は“ナレーター”となっており、飽くまでもヴォイス・オーバー――ハードボイルドなどのフィルムノワール映画で多用されている演出技法の一つ。定義としては、“映像に伴わない小説の地の文のようなキャラクターの心情などを語る音声”になるかと思われる――のナレーション担当であり、ストーリーを構成するキャラクターとしては不完全な状態である。
 これもまた、主人公の不安定な心理状態を端的に表現している演出の一つと考えられる。
 何故なら、“名前”は個を確立し、個人を特定するために絶対的に必要なモノだからだ。
 世の中には、ありとあらゆる物や人、存在が無数にあるが、名前が付いていないモノなど何一つない。たとえ新種の生物や植物が発見されても、存在が確認された時点ですぐに名前が決められ、命名される。新しく開発された工業製品や家電製品にも、市場に並ぶ時にはやはり名前が付けられるし、子供が生まれた親の最初の仕事は、その子に名前を付けてあげる事である。
 そう、名前がないという事は、それは存在しないのと同義なのだ。
 ならば、キャラクター名がない主人公は、存在していると言えるのだろうか?
 本来は“理想”、あるいは“鏡映”という“幻想”でしかないタイラーやマーラには名前が付いているのは、何故なのだろうか?
 それはまるで、タイラーやマーラの方が本当の存在で、主人公の方が存在していない“幻想”のようである。
 このようにして、本作は名前につけない事で、主人公の存在感を希薄にし、主人公の精神的不安定さを演出しているのだと、僕は考察する。


・Reaction&Estimate

 公開当時の本作を観た観客や批評家の反応と評価は、概ね批判的だった。
 先にも記したように、本作における過剰なまでの破壊的な暴力表現が、その主な理由である。
 確かに、男たちが薄暗い地下室で素手で殴り合う姿はとても痛々しく、また過激で過剰な暴力を表現しているように思われる。
 しかし、本作における暴力表現は、実はそれほど過剰でもなければ過激でもない。それは、ホラー映画を観て“怖い”と感じるのと同じで、観客の想像力によって脳内補完された結果である。
 ホラー映画を作る上で最も重要なのは、“見せない事”である。
 ショッキングな映像やグロテスクなシーンを敢えて見せないように、カメラはパンして物影に隠れている猫を映す。しかし、そのバックに流れている人の悲鳴やナイフで刺される音を聴いて、観客は猫の視界に映っているであろう事態を想像し、脳内補完する。それが、観客の恐怖心を増幅させる。
 それと同様に、本作における暴力表現も、“敢えて見せない”演出が多用されている。
 一番分かりやすいのは、やはりエンジェル・フェイスが主人公に顔面を滅多打ちにされるシーンだろう。
 映像は主人公だけを捉え、殴られているエンジェル・フェイスは一切写らない。しかしそのバックに流れているのは、主人公が破壊衝動を爆発させている感情を語るヴォイス・オーバーと、リバーブをかけたパンチの音である。
 このサウンドデザインを聴いて、観客は主人公の視界に映っているであろうエンジェル・フェイスの姿を想像し、暴力表現を増幅した脳内補完をする。
 それは、この映画が暴力的だからではなく、暴力的に見えるような想像力をかきたてる効果的な演出を高いレベルで実現しているからであり、この映画の表現力が秀逸だからである。
 事実、この映画ではほとんどと言っていいほど人が死なない。
 同年に公開された映画『マトリックス』では、劇中バタバタ人が死ぬにも関わらず、“暴力的”という評価は全くされていないのは、暴力を暴力としてではなく、ダンスのような“振り付け”として演出しているからであり、だから『マトリックス』のアクションは“クールでスタイリッシュ”と評価される。
 本作で死ぬのは、映画『マトリックス』の十数分の一、ボブだけ、わずか一人だけである。(注:マーラの口からクロエが死んだ事も語られるが、クロエが死ぬシーンはない)
 このように不当とも言える評価をされたのには、当時の社会的背景の影響が大きかったように思われる。
 映画が公開された同年4月、アメリカ、コロラド州の高校で『トレンチコート・マフィア』を自称する二人の高校生が、自分たちの通う学校で銃を乱射。教師と生徒、合わせて13名を殺害し、24名に重軽傷を負わせた事件が起きている。
 コロンバイン高校銃乱射事件である。
 この事件は、その背景にヘヴィーメタルや暴力映画、残酷ゲームがあるとしてこれらが非難の対象にされ、事件から半年ほど経過してから公開された本作にも、同様の批判が集まった。(注:本作には、銃を乱射するようなシーンは全くない。主人公が銃を撃つのも、たったの3発だけである。しかも人に当たるのは1発だけ。それも当たるのは主人公自身)
 こうした事件が起こると、映画や音楽、ゲームが悪影響を与えたと頻繁に批判されるが、僕に言わせればそんな事は全くない。
 映画や音楽、ゲームが悪影響を与えてこのような事件が起きたのだとしたら、同じ映画や音楽、ゲームを観たり聴いたり遊んだりした人全てが、同じように事件を起こすハズである。
 しかし、実際にはそうした事件を起こすのは極めて極一部の人だけであり、大多数の人は、そんなモノに影響される事なく日々平穏にこれらの娯楽を楽しんでいる。
 もちろん、世の中には本当の意味で“過剰な暴力”が表現されている娯楽が存在するのは確かだし、それを観ると、それに影響されてしまう人もいるのではないかと思えてくる。
 しかし、影響されて事件を起こすのは、やはり極一部の人だけであり、逆に娯楽の影響がなくても、犯罪者は結局事件を起こす。
 そう、娯楽の影響を受けるのには、個人差があるのだ。
 ならば、娯楽は事件のキッカケになった可能性は否定できないが、飽くまでもキッカケに過ぎない。“事件が起きる可能性”を決定しているのは、やはり犯罪者のそれまでの人生によって形作られた人格形成の過程、すなわち生活環境、もっと端的に言うなら、家庭環境に問題があったからではないだろうか?
 両親が不仲で、喧嘩口論が絶えない環境下で育った子供が、どうして健全に育つと言えるのだろう? 妻を顧みず、不倫ばかりしている父親を、どうして子供が尊敬できると言えるのだろう?
 そう、親に嫌われた子供は、他人を愛する事が出来ず、歪んでしまうのである。
 本作の主人公は、まさにそういう子供がそのまま大きくなってしまった結果である。
 この映画が語るのは、その結果を肯定するテーマではない。
 この映画が語るのは、その結果が、「実はいけない事なんだよ。」という逆説である。
 だから、この映画を批判する全ての人に、僕は声を大にして言いたい。
「アナタは、この映画を全く観ていない!!」
 と――。
 本作は、興行収入が総製作費の60%程度にしかならず、興行的には大失敗となった。
 しかし、その後ビデオやDVDのリリースによって再評価され、現在はカルト的な人気を博す作品と位置付けられている。


・Data

ファイトクラブ(原題:Fight Club)

配給:20世紀フォックス
出演:エドワード・ノートン
   ブラッド・ピット
   ヘレナ・ボナム=カーター
   ミート・ローフ=アディ
   ジャレッド・レト他
原作:チャック・ポーラニック
脚本:ジム・ウールス
音楽:ザ・ダストブラザーズ
撮影:ジェフ・クローネンウェス
編集:ジェームズ・ヘイグッド
製作:アート・リンソン
   ショーン・チャフィン
   ロス・グレイソン・ベル
製作総指揮:アーノン・ミルチャン
監督:デイビッド・フィンチャー

総製作費:6300万ドル
上映時間:139分
公開年月:1999年10月(日本では同年12月)



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 さて来週は、ヘタレゲーマーな僕が様々なゲームで右往左往するサマを笑って頂く『ヘタレゲーマークロニクル』の第1弾をお届けする予定です。お楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


未知との遭遇を果たす。

Th3008 Thanks for youre reading,
See you next week!



-参考資料-
※この記事では、以下のドキュメント、及びウェブサイトの記事を適宜参照しました。


『ファイトクラブ』DVDプレミアム・エディション封入ブックレット
※このアイテムは現在生産終了につき入手困難です。予めご了承下さい。

『ファイトクラブ』新生アルティメット・エディション封入ライナーノーツ
※このアイテムは現在生産終了につき入手困難です。予めご了承下さい。

『ファイトクラブ』オリジナル・サウンド・トラック封入ライナーノーツ
※まだ在庫有りのようです。

・ウィキペディア日本語版
 検索ワード:ファイトクラブコロンバイン高校銃乱射事件
※ファイトクラブの記事にキャストやスタッフの項目のリンクがあります。そちらも合わせてご覧下さい。

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2 コメント

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hontoに凄い買いましたねw (At Hear)
2008-09-01 01:14:54
hontoに凄い買いましたねw

自分は同人誌(東方)ばっかですた。
返信する
to At Hear (h.asami)
2008-09-02 13:47:19
to At Hear

コメthxです。
僕は基本的に同人“誌”はほとんど買いませんね。今までに買ったのは20冊程度。
メインはCDとゲームですね。CDだとクルマに乗ってる時にも楽しめるので。
返信する

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