大磯丘陵と言う道路造りの障害を どの様に回避したのか?
古代官路や、鎌倉街道の常套手段は、谷筋を使わず、峰通しに道を作る事が知られている。
では、関本より秦野迄はどの道を通るのか?
その解答は、鎌倉側より足柄峠に向けて、
1、平塚の東中原の道路遺構。
2、下大槻の道路遺構。
3、秦野の「大道」と言う呼称の有る場所。
4、栃窪のZ字道路「A」。
5、富士見塚下の道路遺構「B」。
6、今回の緑色丸印「C」とした場所に成ります。
この緑色丸印「C」は、栃窪のZ字道路「A」と相対する、構造です。
篠窪の滑らかな峰通しに登り降りする為に、急激な坂を登らなくてはならない。
AとCは、急傾斜に造られた古代道路の特徴を持ったZ字型の道路と考えられる。

もっとも、このZ字型の道路が古代道路その物と言う訳ではなく、
古代道路の造りを継承した後世の道と考えられるのです。
栃窪の例も在りますが、雨に掘られた現代の細い道が其処には在り、古い道が数メートル上に痕跡として在ります。
現在の状態は、藪がヒドクてこの遺構を調査するのが困難な状態ですが、、、
この地点はこれ以上の深入りはしません。
次回の地点は、AとBの中間地点「D」です。