色々な3Dソフトが有りますが、、、本物の立体視にはかないません!
初めから、、、長窪谷戸は隠し砦であり、敵に察知されない事を前提で作られた。
ッと考えられます。
それとは別に脇には、誰でも解る様な「此処を攻めて下さい!」っと言う大船高校に潰された砦が存在し長窪の谷戸のダミーと考えられます。
この時代の最強兵器は、騎馬隊であったと考えられるが、この騎馬隊を、七口の内側に入れたら、、騎馬隊は外に出られず無用の長物となり、戦力も落ちる。
その為には馬場を七口の外側に備える必要が有る訳です。
尚その上に、七口の内側と連絡できる経路を持つ必要が有る。
戦いの時は、七口の内部と騎馬隊は連携して作戦をする必要が有りますから、連絡をを必要とする。
長窪谷戸は、円覚寺裏山やら建長寺の半僧坊を通り、八幡神社裏に出る道が有る。
状況から騎馬隊を収容する砦と考える訳ですが、、、、
此処に在る事は、恐らく他の七口にも有ると考えるのが、鎌倉の城を計画した時のパターンと思います。
以上より、、
通常言われる七口のラインが城と言う考えや、
七口が防御機能を持つ考えは、、
鎌倉城を理解していない専門家の考えである!
七口を繋いだラインは、鎌倉市内に入る事を阻止した城壁です。
戦う為の砦構造は、城壁の外にある山で大半は住宅地ですが、、
大企業の宅地造成でなければ痕跡は残る。
その様な広大な場所を、誰も調べた人が無い結果、、
「鎌倉には城が無い!」と言う結論を出した。
調べもせずに、、、
調べる時間、労力、古典を調べる能力、も無しに
結論を出す非科学的な城郭研究者が情けない。
写真上、「凸凹(でこぼこ)MAP」
写真下、「Bingマップ」