藤沢市の遊行寺脇は、
東脇に江戸の東海道が北上しており、
西脇にはこの石塔のある2m幅の薬研堀状の道がある。
現在は、道幅を自動車が通れる幅に広げられて居るが、昔は2m幅であった。
鎌倉街道に見られる作りで有ったが、違和感のあるのが、方向的に鎌倉には向かわない道であることです。
その道の脇に石塔が有り、造られた時期は古く室町時代です。
この年代が問題です。
一、鎌倉滅亡直後の室町時代にこの道は有った。
二、鎌倉へ向かう道ではない。
三、よって、鎌倉時代に作られた道とは考え難い。
四、上記の条件から憶測すれば、鎌倉以前の道ではないのか?
五、鎌倉以前とすれば、六浦より東京湾の海路としての東海道とは別の陸路として、
この道が存在したと考えるのです、、、
六、だとすれば、この道は、上総の国は市原まで作られたと考えられる。
七、後世、江戸東海道を作る時の、下敷きに成った道と想像するのです。
更に北上すると、江戸東海道に沿って、この道の延長と思われる残痕が在る。
図は神奈川県迅速図2万分之1(明治13~17年)
赤く太いラインは江戸東海道。
ボヤケタ赤い破線は石塔の在る道。
東脇に江戸の東海道が北上しており、
西脇にはこの石塔のある2m幅の薬研堀状の道がある。
現在は、道幅を自動車が通れる幅に広げられて居るが、昔は2m幅であった。
鎌倉街道に見られる作りで有ったが、違和感のあるのが、方向的に鎌倉には向かわない道であることです。
その道の脇に石塔が有り、造られた時期は古く室町時代です。
この年代が問題です。
一、鎌倉滅亡直後の室町時代にこの道は有った。
二、鎌倉へ向かう道ではない。
三、よって、鎌倉時代に作られた道とは考え難い。
四、上記の条件から憶測すれば、鎌倉以前の道ではないのか?
五、鎌倉以前とすれば、六浦より東京湾の海路としての東海道とは別の陸路として、
この道が存在したと考えるのです、、、
六、だとすれば、この道は、上総の国は市原まで作られたと考えられる。
七、後世、江戸東海道を作る時の、下敷きに成った道と想像するのです。
更に北上すると、江戸東海道に沿って、この道の延長と思われる残痕が在る。
図は神奈川県迅速図2万分之1(明治13~17年)
赤く太いラインは江戸東海道。
ボヤケタ赤い破線は石塔の在る道。