現在 由比ヶ浜は国道134号が通っており、浜辺の古来からの景観を想像したくても、国道134号の構造物で遮られた状態です。では134号の出来る前の空中写真を見てみましょう。 国土交通省の終戦直後の空中写真です。
昭和30年代の写真と考えられます。赤点のある写真は立体写真です。
右の写真は、崖をオレンジ色のラインで書き込みました。
写真の右は北で、八幡様の方向です。
川は滑川でその上に在る砂山から防塁が出土した場所です。
滑川の下は材木座です。
このオレンジ色の砂丘の崖が注目して欲しい地形です。
現在 由比ヶ浜は国道134号が通っており、浜辺の古来からの景観を想像したくても、国道134号の構造物で遮られた状態です。では134号の出来る前の空中写真を見てみましょう。 国土交通省の終戦直後の空中写真です。
昭和30年代の写真と考えられます。赤点のある写真は立体写真です。
右の写真は、崖をオレンジ色のラインで書き込みました。
写真の右は北で、八幡様の方向です。
川は滑川でその上に在る砂山から防塁が出土した場所です。
滑川の下は材木座です。
このオレンジ色の砂丘の崖が注目して欲しい地形です。
戦前の滑川の由比ヶ浜へ注ぐ川口の状態は、、、
その写真です。
海岸より八幡様に向けた写真です。
画像左には、、11mの砂山が有った訳です。
滑川のこの状態の土手ならば、、元寇に対抗する効果が望めると考えます。
これが現在の河口です。
この新旧の比較からしても、鎌倉時代の波打ち際と現在は大差ないと考えて居ます。
肩書を持って鎌倉の研究をされた方々が、、
鎌倉の故事を自ら検証もせずに伝言ゲームの様に他の研究資料を受け売りで新たな研究書を発表し、鎌倉の歴史を歪めてしまった!
寂しい限りです。