こんな写真が在ったとは!
写真の題は「坂ノ下海岸海嘯跡」(関東大震災直後の写真 )鎌倉市中央図書館蔵 。
写した場所の想定は、国道134号線坂ノ下信号したの砂浜。
山の形と極楽寺坂の切れ込み及び、V字に切れ込んだ切通から見える陣鐘峰より、、この場所が特定される。
問題は、
砂浜から急に四角い石が散乱する土塁の光景が見える。
四角く切り出した鎌倉石で作られた元寇防塁が地震で崩壊した状態と考えられる。
一部地震に耐えた石組の防塁も見えます。
更に現状の同じ場所(google地図)です。
新田義貞は、極楽寺坂攻めで陣鐘峰に陣を置いた意味が理解できるでしょうか?
七口の峰の外から 唯一鎌倉の中を見れる場所がこの陣鐘峰で有り、浜に雪崩れ込む新田軍を鐘で指揮できる場所で有った訳です。
私は、鎌倉の花火をこの場所で「高見の見物」の予定でしたが、、今では木が生い茂り安易には見えない。
マサカ、、、 崩壊した元寇防塁の写真が在ったとは、、思いもしませんでした。
元寇防塁の際迄家が立ち並ぶ状態となり、、地震や津波の怖さも知り同じ場所に家屋を守る為の土塁を作り直したのが現在残る土塁と考えられ、使われた石も風化に弱い鎌倉特有な砂岩では無いが、脇の路地には鎌倉石が使われている場所もある。