本当にノドカナ、、、田舎の風景です。
田舎にだって、こんな踏み跡みたいな道は、、ザラニあるもんではない。
その後ろには、歴史に裏付けされた古道があります。(画面中央の踏み跡道も街道ですが、、)
鎌倉の奥の深さですね。
あの、、桐生六郎が武蔵大路より、梶原氏の案内で腰越に向かいこの道を通ったであろう、、800年前から在ったと考えられる道です。
地形から言って、大船から腰越に抜けるにはこの場所以外に良い抜け道はないのです。
大仏から鎌倉に行けば、洒落たカフェがあるし、腰越に行けば、海を見ながらフライドチキンや、イタ飯がある!金を掛けなくても、上質な楽しみ方ができます。
2012/9/20 追記
注:『吾妻鏡』巻2 養和1年9月16日の各条
養和元年(1181)九月十六日:桐生の六郎俊綱が首を持参す。先ず武蔵大路より、使者を梶原平三が許に立て、案内を申す。而るに鎌倉中に入れられず。直に深澤を経て、腰越に向かうべきの旨これを仰せらる。
田舎にだって、こんな踏み跡みたいな道は、、ザラニあるもんではない。
その後ろには、歴史に裏付けされた古道があります。(画面中央の踏み跡道も街道ですが、、)
鎌倉の奥の深さですね。
あの、、桐生六郎が武蔵大路より、梶原氏の案内で腰越に向かいこの道を通ったであろう、、800年前から在ったと考えられる道です。
地形から言って、大船から腰越に抜けるにはこの場所以外に良い抜け道はないのです。
大仏から鎌倉に行けば、洒落たカフェがあるし、腰越に行けば、海を見ながらフライドチキンや、イタ飯がある!金を掛けなくても、上質な楽しみ方ができます。
2012/9/20 追記
注:『吾妻鏡』巻2 養和1年9月16日の各条
養和元年(1181)九月十六日:桐生の六郎俊綱が首を持参す。先ず武蔵大路より、使者を梶原平三が許に立て、案内を申す。而るに鎌倉中に入れられず。直に深澤を経て、腰越に向かうべきの旨これを仰せらる。