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昭和50年白堊野球物語6 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月07日 | 白堊野球物語
センバツでも夏でもあと一歩のところで甲子園への夢を断たれたエース林とキャプテン金野は、各々東京六大学の立教、明治に進学する。すなわち林は城南小→下橋中→盛岡一→立教、金野は大船渡小→大船渡中→盛岡一→明治の球歴となる。

林は野手に転向、一年秋から代打で出場し活躍、江川とも対決した。金野は当時東京六大学最強の明治・島岡監督のもとで3年春の早明戦から出場、初打席初ホームランという快挙をやってのけた。そして昭和54年秋のシーズが終わると、各々、立教大学野球部主将、明治大学野球部主将に推挙された。

そして昭和55年10月26日、両教え子が対決する秋のリーグ戦立明2回戦に小山野球部長はバックネット裏観戦に駆けつけたという。春のリーグ戦優勝校・明治への立教の挑戦、延長にもつれこんだ熱戦は10回裏二死、立教キャプテン・林のサヨナラホーマーで決着する。これによって明治の3シーズ連続優勝は断たれた。両チームナイン整列して最後の挨拶、両チームの先頭にはキャプテンとしての林、金野の姿があった。

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