Ken Funahashi Blog

NEXT DREAM 記憶と記録

酒船石

2009-05-29 22:11:09 | Weblog
今日も奈良に来ていて、いつものごとく時間的に余裕を持った、時間の中で先週に引続き『飛鳥』で散策。小学校か、中学の時に、この古代の遺物を見に来たような記憶があり、それ以降に国際交流の企画か何かで、この辺りに一度は再訪しているよう気もする・今日も中学生たちが班別に、レンタルサイクルを利用して大勢、行き来していたので、とても賑やかだった。

午後は、大忙し。荷物を満載して夕刻に帰宅。
沢の企画の連絡や、講習前の事前調査や例年と同じく、掃除の算段で連絡多数。

29日 キトラ古墳

2009-05-29 22:04:36 | Weblog
ニュ-スで見ていた、ずさんとしか言いようの無い調査、修復作業の現場。
そう言えば、責任の所在や問題点の、真摯な反省とか、その後は一体どうなっているのだろうか?
観光客、誘致で完全に公園化されて、標識や案内板が御節介なほどに整備された、ここ飛鳥の地で、何故だか?この『キトラ古墳』への道標だけは、やけに
見つけ難いし地味だ。

大月地獄谷 最後に拾ったゴミは重い。

2009-05-26 23:51:18 | Weblog
大月地獄谷を抜けて、終了点である『みよし観音像』手前の、潅木帯の山道、最後の登りで地面から浮き出ていた、鉄製の変った『ゴミ』なんで、こんな場所に落ちていたのかは不明?しかし、ずっしりと重く、持ち難い。終了点、手前でなければ回収は難儀だったろう。車道に出て、はて??どこに捨てれば良いのだろう?近くの、ゴミ収集場所に置いて来ました。

今日も、40Lザックの半分は、ゴミ袋でパンパン。

山で、拾ったゴミの中でも今日最後の回収品は、かなり変っていた。コレクタ-趣味の方には、ひょっとしたら価値があったのかも知れません。

大月地獄谷での、今日の回収ごみ

2009-05-26 23:35:15 | Weblog
源流部から、終了点までの普通の山道の途中に、ちょうど誰でもが目に入る位置の木の枝に刺してあった、腐食・錆びて穴のあいた空き缶。どうせ、拾ったのなら持ち帰れば良いのに・・・と言う訳で、吉備団子ならぬ、いつも山で気楽に遊ぶ時には腰に、ぶら下げている『ごみ収集袋』に、その後に拾った似た様なゴミと共に、放り込んで回収。

『みよし観音像』までの踏み跡は、昔は猛烈な藪でコ-ス選びにも盛夏は苦労した物だが、最近は一般登山道と変わらぬ、楽なコ-スになっている。最も古い石積み堰堤から、つる草、イバラの密生地の中のトレイルも今では、踏み均されてル-ト・ファインディング不用で、トンネル状態に道が広がった箇所も多くなって来た。源流部で迷うと言う事など、本当は余程の悪条件・気象や夜間以外は、そう起きそうに無いのに未だに、この辺りで迷う人が多いとか。

しかし、この辺りでも猪が自由気ままに活動しているようだ。
降雨後に、ザレや粘土質の緩い斜面で、人の痕跡と間違えてしまう人が、いるのかも知れない、それでも僅かな区間、距離の事なので間違えれば戻れば良いだけなのだが、強引に石切道の尾根に脱出した人達の情報を目にする。

ル-ト拓けますね。

2009-05-26 18:32:09 | Weblog
ここは私好み?芦屋川・大滝の巨大チヨックスト-ン裏側から、抜け出るタイプには適いませんが、ここは適度な水量時ならば、挟まった大岩と側壁にプロテクションが取れるかも知れないので、弱点突破で登れそうです。

ずっと前から、気にはなっていた滝ですが、側壁のカンテ部ばかり利用していたので、震災後に荒れてしまい『日本百名谷』の中にも、写真が出ていた大滝も今は崩れ去り、滝の登攀価値も失った現在では、ここが唯一・面白そうです。

さて、Tジジチヤンか、K君が付き合ってくれそうなら?キャニオニング・シ-ズン前にでも、取り掛かりたいものです。

大月地獄谷 (2)

2009-05-26 17:34:47 | Weblog
大崩落で滝ル-トとしての価値を、完全に失ってしまった滝出口に残された、ハンガ-・ボルトは震災前に私が、ル-ト内の支点整備を行なった時に打ったボルト。昨年は滝芯を水を浴びて、遊んで出口に抜け出たので、懐かしいハンガ-を見るのも数年ぶり、朽ち果て老朽化、激しいトラロ-プが結ばれていた。
一人なので、レストするタイミングを逃して、次々と表れる堰堤を越えて、上流部の最後のA標識の上で、やっと休憩。
ここから、藪のトンネルを抜けて、昔は苦労?しんどかった最後の詰めを今は快適な一般ハイキングコ-ス並みに、歩く易くなった登山道を登り詰めて、みよし観音像の足元に抜け出して、車まで小走りに走って予定よりも早く終了。
12時、10分前。

写真は、今は滝の岩場を登れない人達が頼る、固定ロ-プを設置するのに重宝しているハンガ-・ボルト。終了点に打ち込んだ最後の1本だったが、壁中の設置したボルトは崩落後は全て、ガレの下に埋もれてしまった。40年前の、地下足袋履きでの最初の、入渓から数十回・・・もう、この谷はトレ-ニング・コ-スとしても、あまりに多過ぎる砂防堰堤の存在で、人に薦められるコ-スとも言えなくなったが、時折、懐かしくなって半日・時間に余裕がある、今日の様な機会に一人で遊びに入る。

大月地獄谷 (1)

2009-05-26 17:14:34 | Weblog
午後1時前までに芦屋で机上講習会の打ち合わせ、企画依頼の相談と共に降りて来る必要があったので、高山植物園の駐車場に車を停めて、午前8時40分にスタ-ト。2003年から時々、講習企画の時のみ横着?利用する『石切道』を、駆け下り、一般道から大月地獄谷の途中に下降するショ-ト・カット道を今日も利用した。谷筋に降り立つと、先行者が3人いて挨拶の声をかけたが、何か顔でも見られたくないのか?雰囲気も拒絶的だったので、格好?足回り等を一瞥して確認後に、さっさっと上流へ。職業柄、あまりに軽装備や沢に向かない足元・靴や、問題ありと感じれば一声、注意と言うのが習慣なので・・・トレイルラン・フアッションに似合わない大型ザック、腰に明らかに鉈か鋸?一人は首から、ナイフを紐で、ぶら下げて、黒い大きなゴミ袋が足元に幾つか・・・谷歩きを楽しむスタイル、雰囲気ではなかった、謎である。

チヨック・スト-ン滝、横のカンテの岩場は空身で登って、用意して来た8mm補助ロ-プ15mの端にザックを結んでおいて、終了点からゴボウで引き上げる、どこにも引っ掛からずスム-ズに回収して、次々と続く堰堤を越えて、そして下って。相変わらず面白味のない砂防堰堤である。
昨年より、滝に残置されている汚らしい固定ロ-プの本数が、増えているような?逆に残置されていた、標識モドキ?の立木に巻かれたゴミ類は、目に見えて減少しているようだった。さすがに?この辺りまで赤・他色のペンキ落書きは見ない。

写真はザックを荷揚げ中の一枚。

甲山裏『仁川渓谷・上流域』古い、入渓路から。

2009-05-25 17:55:48 | Weblog
数年前から、ビオト-プを含めて甲山、西側で大規模な公園整備事業が進行していたので、公園から北側に下った『仁川渓谷』上流域に遊びに入る機会が少なくなっていた。今日は、以前ならばバイク程度しか利用できなかった、駐車スペ-スの問題で気楽に近くに接近できなかったが、、散歩気分で、このエリアだけを歩きに足を向け難くかった範囲に、新しく設置された公衆トイレ施設と、そのトイレに併設されて最近、利用が可能となった駐車場に車を止めて、午後から降雨との感触だったので、朝のゴミ出しを済ませて、渓流を覗きに出発。自宅から、本当に近い場所で毎週、中国道・西宮北ICからの行き帰りに、この新しいトイレ施設を横目に見ていたのだが、駐車スペ-スを利用するのは今日が初めて、意外とスペ-スは狭くて5台ぐらいしかライン内には駐車できない。先客の4台の間に停めて、久しぶりに暗い登山道を渓流に向けて下る。以前と違って真新しい『道標』が完全・整備されていて、樹木の名前を説明したプレ-トは多過ぎると感じるほど設置。5年~6年、前とは登山道そのものも随分と広く、そして周囲の潅木も充分に整理されて歩き易くなっていた。数年前とは、渓流に下るポィントが変わっていたが、川を渡る箇所からのハイキング道や昔、キャンプ利用やアウトドア・クッキングの企画に利用していた広場も、何か以前よりも広く、そして綺麗になっている。特に川の渡渉地点には、すっかり飛び石が配置されていて、これなら増水時・以外ならば誰でも気楽に対岸コ-スを使えるだろう。

ここから、上流に特に大きな変化は見られないのだが、こんな場所まで落書きを残しに来る人がいるとは・・・ある種、呆れる。そして、かなり腹立たしい。前回、親子企画とは別のプログラムで参加者と、下流から継続して、この辺りまで登り詰めてきたときに、怪しい不法滞在者?の痕跡『コヤガケ』が残されていた、渓谷の狭まった岩場下には、朽ち果てた痕跡のみが残されていて、その辺りから残置されたゴミ類が増加。今期の増水で、少しは綺麗になる事を願うのみ。下流域での今期の企画に向けての、上流の汚濁物やゴミの調査と、シ-ズンに入っての水質の問題も合わせて、この上流域は定期的に観察しておく必要があった。しかし、汚れは改善されず、やはり沈殿物の汚れ具合にも問題は多い。

更に上流の、古い入渓路や岩場も震災・以降の荒れが目立つ。滅多に入渓者がいない山域、ポィントながら、この周辺の藪尾根の中にも、無用で他者を迷わすビニ-ル・テ-プや梱包紐を立木に、無意味に巻き付けている人達が、いるようだ。

ほんの1時間ほど、遊んで一端・帰宅して、今日は別の企画の為の整備で某所へ。
午後から、快晴になった。

豪雨の中を奈良へ

2009-05-22 18:36:20 | Weblog
梅雨時を連想さす、午前中の大雨の中を奈良へ向けて。
午後から、思わぬ晴天となり大切な待合わせまでに、余裕が生じた
時間を利用して、いつもの飛鳥へ。観光客の多い場所では、何故か?異常に児童、子供達が多い、石舞台・下の芝生の広場も大勢の子供達が遊んでいた。神戸、大阪の緊張感が別世界に感じますね。畝傍御陵前の福祉センタ-に立寄って、職員も殆どマスク着用者を見ない。飛鳥に集っていた子供達の団体は、きっちりマスク着用だったので、場としては少しばかり問題かも知れない。震災時にも強烈に体感したが、少し地域が離れると意識も行動にも、雲泥の差が生じるのが、この国の特色の一つのようだ。

用事を済ませて、阪奈道・経由で大阪から阪神高速に乗って西宮に、明るい時間帯に帰宅。自宅に戻るまでに、所用を済ませて、ついでに買い物をして帰宅。

そういえば、明日の『統一マダン』は、秋に延期されたとか。