あの、震災から19年の年月が過ぎ、記憶が歴史と呼ばれだす20年に近くなり、震災の年の春に長年、通い慣れた穂高でのガイド山行が支援が得られて半ば、無理だろうと考えていながら常連参加者、達と稜線から山頂に立った、記憶が想い起こされます。
装備類の不足を、ICI石井スポ-ツの新大久保店からの多大で温情な支援で、ジヤケットから燃料類まで、無償提供を受けて『山』に戻れた記憶は幸運でした。最近はクリスマス時期から、正月を含めて随分と長期滞在でガイド・スク-ルを実施していた赤岳鉱泉・小屋ベ-スの企画を行わなくなり、単発企画でのアイス・クライミングでしか通い慣れたガイド・ル-トにも行かなくなってしまいました。最近、クライミングを通じて一種の師弟関係?講習的な企画で指導している仲間達と穂高方面と厳冬期の八ケ岳ぐらいには出向きたいと考えています。
『写真』 震災後、ポランティア関係の仲間達には遠慮が、ありましたが残雪期の穂高でのガイド復帰時の記録写真。
大きな怪我や、交通事故に震災体験、50年ちかく山を続けていると色々な事があるもので、これまでの数度、体験して来たリハビリ復帰でのクライミングを含めて、加齢やモチベ-ションの低下に逆らい?まだ『次ぎの夢』あり。