津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

内務省曳船の改造船

2012-07-03 | 尼崎汽船部
謎に包まれていた「此花丸」に出会えた。内務省曳船の改造船と見ていた船である。改めて前身を
探ってみたが、決め手に欠ける。
船舶や車両(特にバス)に関し、屡々聞く話として、官庁船や公営企業の所有した車両はメンテナンスが良く、
経年の割に程度は良いという。大正末期から昭和初期にかけ、内務省土木監督署の曳船を種船とした
改造船3隻が登場した。この3隻に共通するのは巾4.88m。

成功丸(貨)  31183 / TDBK→JMYE、1898(M31).04、内務省土木出張所(大津)
此花丸(客)  31548 / TDBQ→JMZE、1899(M32).05、内務省大阪土木出張所(大阪)
運輸丸(貨)  32756 / TMBG→JNCH、1904(M37).11、第四土木監督署(福井三國)

登場時の船舶番号や信号符字から、ほぼ同時期(同時並行?)の工事で、廃船船殻の再生と思われる。
手掛けたのは尼崎造船部に相違なかろう。

内務省の曳船とは何か。
1896(M29)第9回帝国議会において河川法が成立し、政府直轄事業として「淀川改良工事計画」が策定
された。翌年に事業は着手され、上流は瀬田川の掘削から下流は河口の新川開削に至る大プロジェクトが
推進され、現在の淀川の基盤は整えられた。
瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川のため、拡幅と浚渫が行われ大日山も切崩された。ここで使
用されたのは浚渫船3隻、土運船10隻、曳船2隻。淀川改良工事に係る「重要船舶土工機械購入調べ」に
「曳船用小蒸気船6隻(116,390円)川崎造船所製」とあった。
『川崎重工業社史』を紐解いたところ、「長柄丸同型6隻」として、船種:曳船、注文主:内務省大阪土木
出張所とあり、備考欄に「最後の2隻は組立後解体して引渡」とあった。引渡日は1899(M32).03.31。
『船名録』に見る6隻は次のとおり。

                   製造年月 / 製造地 / 製造者  船籍
第壹長柄丸 4566 / JCQK、 M31.04 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第貳長柄丸 4567 / JCQL、 M31.05 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第三長柄丸 4568 / JCQM、 M31.05 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第四長柄丸 4569 / JCQN、 M31.06 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第壹石山丸 4450 / JCMR、 M32.04 / 近江国大津 / 第五区土木監督署 石山
第貳石山丸 4451 / JCMS、 M32.05 / 近江国大津 / 第五区土木監督署 石山

「第壹石山丸」「第貳石山丸」は川崎造船所が建造し、第五区土木監督署により大津で再組立された船。
「長柄丸」4隻は、下流部の新川開削で活躍した。いずれも土運船曳航に使用された。
「第壹」は『船名録』M42版には見あたらず、M43版には、同名のまま11708 / LHKNとなり、那覇を船籍
として掲載される。遙か沖縄へ転配され、船体延長されたと思われる。
「第貳」も内務省所有のまま、1914(T3)に近江石山から大阪に船籍を移している。
日露戦争の影響により工期は延長されたが、各淀川改良工区事務所はM43~44に廃止され、続く淀川
下流改修工区事務所もT13.03に廃止された。工事の完成が活躍の場を失わせたと思われる。





この船影を見たとき、何という改造をしているのかと、目を見張った。まるで「新さくら丸」である。
船尾機関型貨物船に客室を載せたようなスタイルだ。記録されたのは多度津港。船名は微妙にぼけていて、
当初、画像から読み取れなかった。
急航汽船のリストを見ていて「此花丸」に気付いた。改めて文字のアウトラインを確認したところ「花」と読める。
前方に着桟している「日海丸」は、主機換装(1935)後の船影となっている。「此花丸」は1934(S9)に急航
汽船から尼崎汽船部に移籍されている。しかし、画像の煙突マークは急航汽船のままとなっている。1935
若しくはその翌年の撮影と思われる。1942(S17)滅失で抹消された。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする