モアイのためいき

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1990年イースター島*その9*

2009-05-21 21:16:11 | イースター島*1990年

~1990年・イースター島3日目・夕方~

ラノ・ララクのミニツアーから戻ってきて、少し休み、

ハンガロアへ散策&買出しに出かけました。

ところでイースター島に来る時にはUS$しか持っていなかったけれど、

町での買い物はペソ(P)です。着いた日も翌日も銀行は閉まっていたので、

とあるお店で両替をお願いしたのですが・・・。

使えないコインが混ざっていたよ~

日本人だから文句を言わないと思ってなめられたのか・・・

若い女性の店員さんだったけど、パスクア人ではなかったような。

私たちは大体、1US$=300P=150円で計算していましたが、

売っている食べ物などは、日本の物価とあまり変わらない印象でした。

後に出会ったチリから来た日本人に聞いた話では、

チリより物価が3倍くらいしているようです。島なので、仕方がありませんね。

民宿の朝食は、パン、クッキー、日本のマドレーヌのような物、

ジュース、インスタントコーヒー(ネスカフェ)でした。

パンが2種類あって、そのひとつが私にとってはどうしても口に合わず、

(まるでダンボールを食べている感じ・・作った方すみません)

こっそり持ち帰って、クミちゃんに食べてもらっていました。

クミちゃんに言わせると、「重曹が入ったパン」ではないかと・・・。

好き嫌いはあまりないはずの私ですが、飲み込めなかったです。

こういった食生活で、昼も夜も節約食事の中、この日はハムを買ってきて、

「リッチだね~」と喜んでいました。

民宿に戻ると、おじさんが、お友達となんだか陽気なご様子。

「一緒に軽く飲みましょ~」と持ってきたのは、ピスコというお酒とコーラです。

コークハイのように割ってくれて、乾杯・・・するとおじさんが

「イ~ッキ、イ~ッキ

と踊りだすではありませんか

そのころ、日本では確かに「一気、一気」の一気飲みがはやってはいましたが、

地球の裏側の絶海の孤島まで浸透しているとは!

今のようにインターネットも普及していないしね。

日本人の我々を喜ばせよう(驚かそう?)としてくれたのかな。

おじさんがあまりに陽気すぎて、とまらなくなったらどうしようと恐れて、

クミちゃんと私は軽く調子を合わせるにとどめ、部屋へ退散することにしました。

おじさん、ありがとうね、でもちょっとついていけなかったョ ~続く~


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