モアイのためいき

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1990年イースター島*その7*民宿

2009-05-18 23:42:13 | イースター島*1990年

~1990年3月*イースター島2日目~

ラノ・カオからのんびり戻ってきて、ハンガロアの小さなマーケットで、

夕飯を調達。日持ちしそうなラスクと果物とヨーグルトなど。

友人のクミちゃんも私も、学生で、バイトして貯めたお金で来ているので、

どうしても食費を節約することになってしまいます。

夕飯を民宿で用意してもらうと1泊25US$。朝食だけなら15US$。

10US$(約1500円)の差は大きいのです

泊まっている民宿は、おじさん、おばさん、20代前半の息子さん、

そして、10歳くらいの息子さんがいて、

お部屋は新しくはないけど清潔な感じで、

おじさんが優しく接してくれたので、居心地はよかったです。

朝食時に食堂に行くと、我々のほかには欧米人の年配のグループと

個人で何人かが泊まっていたようでした。

おじさんの方から、「明日、車でラノ・ララクへ行きたがっている人がいるけど、

一緒にいかが?半日で3人で50US$だけど」とお誘いがありました。

ラノ・ララクとはモアイが作られた石切り場のような所で、

地図では15km以上ありそうですが、「地球の歩き方」では、

徒歩での行程が書かれています。

当初はクミちゃんと徒歩で行くつもりでいましたが、

ラノ・カオに行く途中で会った日本人学生の情報では、

徒歩ではやめたほうがいいとのことでした。

そんな時、おじさんからの提案は願ってもないことで、ラッキーでした

もう一人の同行者はイギリス人の30代くらいの神経質そうな男性。

「3人で50US$」という割り切れない数字に対して、

何の相談もなく「16US$」出してきました

ちょっと「え~っ?」と思いましたが、言い返す語学力もないしな・・・。

さて、その日の夜、民宿の我々の部屋に意外な訪問者が

イースター島に入国する時荷物検査で念入りに調べられていた、日本人青年です。

我々がここに入って行くのを偶然見かけた様子で、訪ねてきたのです。

彼は個人旅行を何度かしているそうなのですが、それにしては、

バックパッカーには程遠く、出張っぽい雰囲気を醸しだしていました。

この民宿を訪ねる前、一人で島のディスコに行ったらしいのですが、

日本人ということで、ちょっとボラれたらしい・・・

おおよそディスコが似合うとも思えないのに、チャレンジャーなのはあっぱれ

でも、ボラれたことを日本人に慰めてもらいたかったのでしょうか?

年上だけど、「大丈夫ですか~」と心配になりました

我々にとってはイースター島で話した2人目の日本人。

ひとしきり雑談して、「日本の味が恋しくなったらどうぞ」と、

インスタント味噌汁を置いて、帰っていかれました。

青年とこのあと出会うことはありませんでしたが・・・お味噌汁ごちそう様。

旅の途中でとってもおいしくいただきました ~続く~


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