『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

左介(さすけ)

2017-06-11 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
左介(さすけ)

〔現代仮名遣い〕さすけ


池田恒興の被官。

1558年12月、池田勝三郎恒興の被官左介が

    織田造酒丞信房の家来甚兵衛の家に

    夜盗に入る。

実は左介と甚兵衛は仲が良い。また、勝三郎は

信長の乳母の子息で、造酒丞は織田家一門である。


両者、尾張守護武衛公(義銀)に申し立て火起請

となる。左介取り落とすも家来衆がかばう。丁度

通りかかった信長自ら火起請を取り左介を成敗した。


 ※“信長公の火起請”という有名なエピソード

  に出てくる人物です。御鷹野の帰りに立ち寄

  った信長公が、「どれほど熱したカネをとら

  せたのか、同じようにカネを焼いてみよ」と

  命じ、赤熱のヨキを手に取り三歩先の棚に

  置いた・・とありますが、冷静に考えて素手

  で持てるわけがない。作者の太田牛一が源平

  盛衰記の“源頼朝/義経、手水のエピソード”

  に比した部分と見ます。


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