『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

佐治新太郎(さじしんたらう)

2017-06-09 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
佐治新太郎(さじしんたらう)

〔現代仮名遣い〕さじしんたろう


不詳。信忠の小姓衆。

1579年3月頃佐治新太郎と金森甚七郎が口論

    を起こし、佐治が金森を刺し殺し、

    佐治は切腹して死ぬ。


 ※奈良時代からはじめて、戦国時代、江戸

  時代を通して現代まで、日本では喧嘩が

  いつの世にも上層部を困らせています。


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