塩河国満(しほかはくにみつ)
〔現代仮名遣い〕しおかわくにみつ
伯耆。現在の箕面市の住人。
1575年7月入洛してきた信長のもとへ出仕し、
馬を拝領する。
1578年11月信長の荒木成敗に参戦。
1578年12月古池田に取手を造営し布陣。
1579年4月信長から銀子100枚下される。
1579年4月稲葉貞通の河原口の取手に伊丹の
敵が足軽を出して来た時、軽く懸け
合う。
1579年4月賀茂取手の城番をつとめる。
1579年9月織田信忠の尼崎進軍に同行。信忠
は七松に取手二つの造営を命じ、一つ
に塩河国満・高山重友を、もう一つ
に中川清秀・福富秀勝・山岡景佐を
おく。
1580年2月信長は織田信澄・塩河国満・惟住
長秀の三人に、花隈城に向けて取手を
造営し、池田父子(恒興・元助・幸親)
を入れておくよう命ずる。
1580年3月取手造営が終わり、伊丹の信長のもと
へ引き返す。
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〔現代仮名遣い〕しおかわくにみつ
伯耆。現在の箕面市の住人。
1575年7月入洛してきた信長のもとへ出仕し、
馬を拝領する。
1578年11月信長の荒木成敗に参戦。
1578年12月古池田に取手を造営し布陣。
1579年4月信長から銀子100枚下される。
1579年4月稲葉貞通の河原口の取手に伊丹の
敵が足軽を出して来た時、軽く懸け
合う。
1579年4月賀茂取手の城番をつとめる。
1579年9月織田信忠の尼崎進軍に同行。信忠
は七松に取手二つの造営を命じ、一つ
に塩河国満・高山重友を、もう一つ
に中川清秀・福富秀勝・山岡景佐を
おく。
1580年2月信長は織田信澄・塩河国満・惟住
長秀の三人に、花隈城に向けて取手を
造営し、池田父子(恒興・元助・幸親)
を入れておくよう命ずる。
1580年3月取手造営が終わり、伊丹の信長のもと
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