『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

佐藤正秋(さとうまさあき)

2017-06-22 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
佐藤正秋(さとうまさあき)

〔現代仮名遣い〕さとうまさあき


六左衛門。岐阜県武儀郡上有智村鉈尾山城主。

1570年6月の浅井攻めに信長方として参戦。

1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し

    「川口」を守備。

1570年9~12月の叡山の浅井・朝倉攻めの時、

    穴太の在所を守備。

1574年7月信長父子の河内長嶋成敗に参戦し、

    信忠の軍勢として市江口を攻撃。

1575年5月長篠の合戦で、酒井忠次が別働隊

    として長篠城を救援したときの検使役。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする