『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

花蔵世界(けざうせかい)

2021-06-18 00:00:00 | 信長から細川藤孝への手紙(永青文庫所蔵)
花蔵世界(けざうせかい)

<現代仮名遣い>けぞうせかい


華厳に説く盧舎那仏の蓮華蔵世界。一切の宇宙を大蓮華

の中に包蔵するという。


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<JR岐阜駅前の黄金の信長公像>
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花蔵界会綺麗無元尽(けざうかいゑきれいむげんじん)

2021-06-17 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
花蔵界会綺麗無元尽(けざうかいゑきれいむげんじん)

<現代仮名遣い>けぞうかいえきれいむげんじん


毘盧遮那の浄土である蓮華蔵世界が玄妙美麗にして限り

ないこと。


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外相(げさう)

2021-06-16 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
外相(げさう)

<現代仮名遣い>げそう


姿・外形。「内心」に対する語。


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華厳宗(けごんしふ)

2021-06-15 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
華厳宗(けごんしふ)

<現代仮名遣い>けごんしゅう


「華厳経」の教説に基づく大乗仏教の一宗派。中国時代

の賢首大師法蔵が組織大成した。天平八年(736)道璿

(だうせん)が日本に伝えた。菩薩行を以って仏徳を荘厳

にするのを華厳といい、これによってなる。


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華厳経(けごんきゃう)

2021-06-14 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
華厳経(けごんきゃう)

<現代仮名遣い>けごんきょう


大乗仏教の基本経典の一つ。華厳宗の所依経典で、「一即

一切、一切即一」の世界観を展開。全世界は毘盧舎那仏の

顕現であるとし、一微塵が全世界を映し、一瞬の中に永遠

を含むと説く。漢訳に60・80・40巻の三種がある。

「大方広仏華厳経」の略。


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外現(げげん)

2021-06-13 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
外現(げげん)

<現代仮名遣い>げげん


神道における化現。垂迹神。


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加行(けぎゃう)

2021-06-12 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
加行(けぎゃう)

<現代仮名遣い>けぎょう


正修行に対する傍修行。あるいは天台宗で仏門に入った

ものが、受戒・灌頂を受ける前に行なう準備的修行。


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化義(けぎ)

2021-06-11 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
化義(けぎ)

<現代仮名遣い>けぎ


仏が衆生を教導感化する方式・形式。


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信長から細川藤孝への手紙:45織田信長朱印状 天正九年九月十日

2021-06-10 00:00:00 | 信長から細川藤孝への手紙(永青文庫所蔵)
【注意事項】

1)本記事は、吉川弘文館刊「永青文庫叢書

細川家文書中世編」を参照しています。

2)現代語訳は純野の“意訳”ですので、訳

し間違いがあるかもしれません。

3)カッコ内は、現代語に直した場合意味が

通じない可能性のある部分に純野が追記した

文言です。

4)現代の歴史書物と異なる表記がある場合

はなるべく原文のままとしました。

5)下線部がある場合は原文で"虫食い空欄”

となっている部分ですので完全に純野の推察

です。


45織田信長朱印状 天正九年九月十日 

(丹後国の)矢野(藤一)の知行で今回(差

出により)出てきた分について、(9月4日付

けの)手紙を長岡藤孝に送ったのだが、今現

在矢野藤一は因州(=因幡国)方面に在陣し

ているとのこと。(丹後国に)帰陣すること

がない間は、強いて(これらの内容を伝える)

上使を派遣してもどうかと思われるのでまず

は派遣は行わず、(当人が)帰国した時申し

付けるのがもっともかと思う。また、矢野に

本地を渡すこと、員数(=軍勢)が申し立て

に相違ないこと、などについて申す事もない

ようであるのは良かった。(矢野の)意を汲

むように願う。


天正九年九月十日 信長(朱印)

 長岡兵部大輔(藤孝)殿

 惟任日向守(光秀)殿

   ※天正九年=1581年


**純野のつぶやき**

前回の書状が9月7日付けでしたから三日後の

書状となります。

「一度は矢野の知行分について長岡藤孝に手

紙を送ったが、矢野本人は因幡国方面に在陣

中らしいので戻ってきてからでもよくはない

か?」

という内容です。信長公も細かいですね~!

ここまで心配性な主君も珍しいのではないで

しょうか?

 この前後の織田家の動向としては、

・9月8日

 信長、賀藤与十郎・万見仙千代・猪子高就・

 安西の4人に知行地を分け与える。また安土

 天主造営に携わった職人頭に小袖を下す。

・9月11日

 北畠信雄、伊賀平定。

・9月

 高山重友、鳥取から安土へ戻り、信長に現地

 の状況を説明。

などとなっており、信長本人は1575年11

月に嫡子信忠に家督を譲ってから全く軍に出向

くつもりがない状態が続いています。やはり、

1570年5月北陸攻めから京へ戻った信長が

千草越えで岐阜へ戻ろうとした時、山中で佐々

木六角義賢の命を受けた杉谷善住坊から二つだ

まの鉄炮で狙い撃ちされ、命は助かったものの

膝を撃たれたようなので、軍に出れるほどうま

く歩けなくなったんですかね・・

以上

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<明治神宮に向かう道>
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教令輪身(けうれいりんしん)

2021-06-09 00:00:00 | 源平盛衰記の蔵:スピリチュアル篇
教令輪身(けうれいりんしん)

<現代仮名遣い>きょうれいりんしん


邪悪を破砕する忿怒神の身。


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