左介(さすけ)
〔現代仮名遣い〕さすけ
池田恒興の被官。
1558年12月、池田勝三郎恒興の被官左介が
織田造酒丞信房の家来甚兵衛の家に
夜盗に入る。
実は左介と甚兵衛は仲が良い。また、勝三郎は
信長の乳母の子息で、造酒丞は織田家一門である。
両者、尾張守護武衛公(義銀)に申し立て火起請
となる。左介取り落とすも家来衆がかばう。丁度
通りかかった信長自ら火起請を取り左介を成敗した。
※“信長公の火起請”という有名なエピソード
に出てくる人物です。御鷹野の帰りに立ち寄
った信長公が、「どれほど熱したカネをとら
せたのか、同じようにカネを焼いてみよ」と
命じ、赤熱のヨキを手に取り三歩先の棚に
置いた・・とありますが、冷静に考えて素手
で持てるわけがない。作者の太田牛一が源平
盛衰記の“源頼朝/義経、手水のエピソード”
に比した部分と見ます。
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〔現代仮名遣い〕さすけ
池田恒興の被官。
1558年12月、池田勝三郎恒興の被官左介が
織田造酒丞信房の家来甚兵衛の家に
夜盗に入る。
実は左介と甚兵衛は仲が良い。また、勝三郎は
信長の乳母の子息で、造酒丞は織田家一門である。
両者、尾張守護武衛公(義銀)に申し立て火起請
となる。左介取り落とすも家来衆がかばう。丁度
通りかかった信長自ら火起請を取り左介を成敗した。
※“信長公の火起請”という有名なエピソード
に出てくる人物です。御鷹野の帰りに立ち寄
った信長公が、「どれほど熱したカネをとら
せたのか、同じようにカネを焼いてみよ」と
命じ、赤熱のヨキを手に取り三歩先の棚に
置いた・・とありますが、冷静に考えて素手
で持てるわけがない。作者の太田牛一が源平
盛衰記の“源頼朝/義経、手水のエピソード”
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