<初出:2012年の再掲です>
巻三の四 信長、力をためること
永禄六年(一五六三)の夏、織田上総介信長とそ
の家臣団が小牧山城へ城替えを行ってから、尾張国
内の対抗勢力は於久地から犬山城へ逃げ延びた織田
信清のみとなっている。「敵対」とはいえ、信清は
信長の父信秀の弟信康の子であり、信長とは従兄弟
同士の間柄である。信長は、
「できれば無条件で服従してくれるか、あるいは他
国へ逃げてくれるか」
くらいの態度である。ちなみに、信清は美濃勢から
の支援を期待しているようだが、丹羽五郎左衛門長
秀の水面下での調略により、木曽川の河上関所に当
たる八百津町錦織の綱場の元締めなどから、
「表向き美濃のいうことを聞くが安全と金を保証し
てくれるなら尾張の物資も運ぶ」
という暗黙の了解を取り付けている状況である。
柴田勝家・丹羽長秀らとの打ち合わせでは、家臣
団は今にも美濃に攻め入りたいくらい士気が盛り上
がっているのだが、慎重派の信長はここでも力をた
める。永禄六年(一五六三)十二月、信長は尾張瀬
戸の陶業の保護に着手する。松平家康が発端を作っ
た三河一向一揆の余波で、尾張国東部の瀬戸地域に
三河勢が乱入してきたため、陶業の保護は当然のこ
と国境警備強化をも目的としていた。信長による保
護を喜んだ瀬戸の陶業家たちは、当然しかるべき租
税すなわち瀬戸焼を進んでおさめたので、織田勢に
とっての安定した貴重な収入源が、また一つ確保さ
れた。
巻三の四 信長、力をためること
永禄六年(一五六三)の夏、織田上総介信長とそ
の家臣団が小牧山城へ城替えを行ってから、尾張国
内の対抗勢力は於久地から犬山城へ逃げ延びた織田
信清のみとなっている。「敵対」とはいえ、信清は
信長の父信秀の弟信康の子であり、信長とは従兄弟
同士の間柄である。信長は、
「できれば無条件で服従してくれるか、あるいは他
国へ逃げてくれるか」
くらいの態度である。ちなみに、信清は美濃勢から
の支援を期待しているようだが、丹羽五郎左衛門長
秀の水面下での調略により、木曽川の河上関所に当
たる八百津町錦織の綱場の元締めなどから、
「表向き美濃のいうことを聞くが安全と金を保証し
てくれるなら尾張の物資も運ぶ」
という暗黙の了解を取り付けている状況である。
柴田勝家・丹羽長秀らとの打ち合わせでは、家臣
団は今にも美濃に攻め入りたいくらい士気が盛り上
がっているのだが、慎重派の信長はここでも力をた
める。永禄六年(一五六三)十二月、信長は尾張瀬
戸の陶業の保護に着手する。松平家康が発端を作っ
た三河一向一揆の余波で、尾張国東部の瀬戸地域に
三河勢が乱入してきたため、陶業の保護は当然のこ
と国境警備強化をも目的としていた。信長による保
護を喜んだ瀬戸の陶業家たちは、当然しかるべき租
税すなわち瀬戸焼を進んでおさめたので、織田勢に
とっての安定した貴重な収入源が、また一つ確保さ
れた。