<初出:2007年の再掲です>
巻二の十一 松平元康、清洲に参上すること
とりあえず清洲城の障子を開け放った本殿下の様
子をながめ、信長に呼ばれていた丹羽五郎左衛門長
秀・柴田権六勝家・松井友閑・木下藤吉郎の四人は
膝から崩れ落ちそうになった。あれほど「勘弁なら
ぬ不届き者につき、徹底的に詰問してやれ!」と言
っていた信長本人が、目の前で松平元康とひしと抱
き合い涙まで流している。
「お会いしとうございました、三郎兄者!」
「儂もじゃ、竹千代殿!」
感動的な対面をしているのはこの二人だけで、回り
の者たちは、口をあんぐりあけてその様子を見てい
る。
永禄五年(一五六二)一月十四日、柴田勝家と水
野信元の手配により鳴海城に宿泊した松平元康は、
一月十五日の午前中出発し当日午後清洲城に到着し
ていた。当初の予定では、「信長から呼ばれた全員
が清洲城本丸で待機し、元康が着座したところでお
もむろに清洲北矢倉から信長が出座。元康の桶狭間
以来の無作法を徹底的に追及する」という段取りで
あったが、鳴海から刻一刻と入ってくる『飛び馬』
からの情報に、そわそわして待ちきれなくなった信
長が北矢倉から降りてきてしまい、皆が外の騒々し
さに障子を開けたところ、階段の下で信長が参上し
た元康とひしと抱き合っていたという次第であった。
元康も元康で、普通ならば城門の前で輿から降り、
門番に到着を告げて待機するのが礼儀作法なのに、
清洲が『飛び馬』のために常時門を開けているのを
よいことに、勝手に門から「三郎兄者!三郎兄者~
~!」と叫びながら入り、御供の者と一緒に本丸ま
で走っていってしまったのである。かりにも対面す
る相手は尾張国の実質上の首領であるから、この日
元康は正式な装束『折り烏帽子に直垂』を身につけ
ていたが、走るときに股立ちをあげそこない何度も
何度も地べたにころびながら、「三郎兄者~、三郎
兄者~~!」と叫びながらそれでも前へと進んで行
ったのであった。
現在尾張国の実質上の経営者であるから、信長が
自分で決めた決まりを自分で破っても、『構わない
といえば構わない』ともいえるが、このままでは元
康を清洲まで呼び寄せた意味がなくなってしまう。
長秀が一度本丸から下におり、大声で呼ばわる。
「皆の者、三河岡崎城から松平次郎三郎元康殿の参
着である!」と、つじつまが合うように元康到着の
場面から始める。わざとらしく怒鳴り、信長と元康
のほうをギロリとにらむ。元康も長秀の言わんとす
るところを察し、「織田上総介殿にあられてはご機
嫌麗しゅうございます」と儀礼を尽くして申し述べ
る。信長は一度威儀を正し、「うむ。松平次郎三郎
元康殿、岡崎からの参着大儀であった。ささ、上の
座敷へ!」と手招きし上ってゆく。
本丸の御座所へ入り表の障子をつっと閉めると、
切り替えのはやい信長は先ほどの涙顔はすでに消え、
いつもの(機嫌が悪いときの)重たい空気を発し始
める。元康は信長の顔色の変化に一瞬で気づき、後
ろにずれた折烏帽子をきちんとなおし、涙と鼻水を
懐紙で拭き直垂の裾を真直ぐ後へはらい、当時では
珍しい『正座』で相対する。表情はやさしい笑顔に
して信長に対峙する。『氷より冷たい目線の信長』
と『爽やかなすました微笑の元康』のやり取りはこ
うして始まった。
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<JR岐阜駅前の黄金の信長公像>
巻二の十一 松平元康、清洲に参上すること
とりあえず清洲城の障子を開け放った本殿下の様
子をながめ、信長に呼ばれていた丹羽五郎左衛門長
秀・柴田権六勝家・松井友閑・木下藤吉郎の四人は
膝から崩れ落ちそうになった。あれほど「勘弁なら
ぬ不届き者につき、徹底的に詰問してやれ!」と言
っていた信長本人が、目の前で松平元康とひしと抱
き合い涙まで流している。
「お会いしとうございました、三郎兄者!」
「儂もじゃ、竹千代殿!」
感動的な対面をしているのはこの二人だけで、回り
の者たちは、口をあんぐりあけてその様子を見てい
る。
永禄五年(一五六二)一月十四日、柴田勝家と水
野信元の手配により鳴海城に宿泊した松平元康は、
一月十五日の午前中出発し当日午後清洲城に到着し
ていた。当初の予定では、「信長から呼ばれた全員
が清洲城本丸で待機し、元康が着座したところでお
もむろに清洲北矢倉から信長が出座。元康の桶狭間
以来の無作法を徹底的に追及する」という段取りで
あったが、鳴海から刻一刻と入ってくる『飛び馬』
からの情報に、そわそわして待ちきれなくなった信
長が北矢倉から降りてきてしまい、皆が外の騒々し
さに障子を開けたところ、階段の下で信長が参上し
た元康とひしと抱き合っていたという次第であった。
元康も元康で、普通ならば城門の前で輿から降り、
門番に到着を告げて待機するのが礼儀作法なのに、
清洲が『飛び馬』のために常時門を開けているのを
よいことに、勝手に門から「三郎兄者!三郎兄者~
~!」と叫びながら入り、御供の者と一緒に本丸ま
で走っていってしまったのである。かりにも対面す
る相手は尾張国の実質上の首領であるから、この日
元康は正式な装束『折り烏帽子に直垂』を身につけ
ていたが、走るときに股立ちをあげそこない何度も
何度も地べたにころびながら、「三郎兄者~、三郎
兄者~~!」と叫びながらそれでも前へと進んで行
ったのであった。
現在尾張国の実質上の経営者であるから、信長が
自分で決めた決まりを自分で破っても、『構わない
といえば構わない』ともいえるが、このままでは元
康を清洲まで呼び寄せた意味がなくなってしまう。
長秀が一度本丸から下におり、大声で呼ばわる。
「皆の者、三河岡崎城から松平次郎三郎元康殿の参
着である!」と、つじつまが合うように元康到着の
場面から始める。わざとらしく怒鳴り、信長と元康
のほうをギロリとにらむ。元康も長秀の言わんとす
るところを察し、「織田上総介殿にあられてはご機
嫌麗しゅうございます」と儀礼を尽くして申し述べ
る。信長は一度威儀を正し、「うむ。松平次郎三郎
元康殿、岡崎からの参着大儀であった。ささ、上の
座敷へ!」と手招きし上ってゆく。
本丸の御座所へ入り表の障子をつっと閉めると、
切り替えのはやい信長は先ほどの涙顔はすでに消え、
いつもの(機嫌が悪いときの)重たい空気を発し始
める。元康は信長の顔色の変化に一瞬で気づき、後
ろにずれた折烏帽子をきちんとなおし、涙と鼻水を
懐紙で拭き直垂の裾を真直ぐ後へはらい、当時では
珍しい『正座』で相対する。表情はやさしい笑顔に
して信長に対峙する。『氷より冷たい目線の信長』
と『爽やかなすました微笑の元康』のやり取りはこ
うして始まった。
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