佐藤忠能(さとうただよし)
〔現代仮名遣い〕さとうただよし
※下線部は信長公記以外の記事によります。
紀伊守。美濃加治田城主。
1564年7月加治田城主佐藤忠能・右近右衛門
父子は岸良沢を使いとして、丹羽五郎
左衛門長秀に「信長を頼る」旨申し入れる。
1565年織田信長の美濃攻めに際し内通したが、
嫡子右衛門を失ったので、斎藤龍興の弟長龍を
養子として隠退した。
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〔現代仮名遣い〕さとうただよし
※下線部は信長公記以外の記事によります。
紀伊守。美濃加治田城主。
1564年7月加治田城主佐藤忠能・右近右衛門
父子は岸良沢を使いとして、丹羽五郎
左衛門長秀に「信長を頼る」旨申し入れる。
1565年織田信長の美濃攻めに際し内通したが、
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