『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

佐藤忠能(さとうただよし)

2017-06-21 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
佐藤忠能(さとうただよし)

〔現代仮名遣い〕さとうただよし

※下線部は信長公記以外の記事によります。


紀伊守。美濃加治田城主。

1564年7月加治田城主佐藤忠能・右近右衛門

    父子は岸良沢を使いとして、丹羽五郎

    左衛門長秀に「信長を頼る」旨申し入れる。

1565年織田信長の美濃攻めに際し内通したが、

嫡子右衛門を失ったので、斎藤龍興の弟長龍を

養子として隠退した。



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