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 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

オペラと文楽

2007年12月26日 | masudaizumi.com
今日はすごく勉強になったことがありました。

主人が世田谷パブリックシアターの発行する対談インタビューの雑誌「SPT」です。
演技ということを、多角的に「言葉」に表現してあって、その舞台を観ただけではわからない奥深さがとても繊細に生き生きと語られていて、毎号とても勉強になっています。

そのなかでも、文楽とオペラの共通点があまりに多くて、とても具体的に書かれていたので、改めて面白いな、と思ったのでした。

私も、随分前、オペラの演出家や、師匠の伊藤京子先生に注意されていたことと、全く同じことを、文楽のお稽古でお師匠さんから注意されている様子が描かれていたので、嬉しいような、驚いたような、あの頃の苦しさを思い出して懐かしいような、わかりやすく説明を聞くと、ますます文楽の浄瑠璃語りがおもしろくなってきて、すごく特をした気分でした。

悲しいとき、悲しく感情を込めて歌うと、違う!と怒られたし、小細工しないで、演技もしないで、もっと音に忠実にシンプルに歌いなさい、とはよく言われた言葉でしたが、そうやって歌うと、とっても味がない気がして、困ったものです。
同じようなことが、その雑誌の対談の中で語られていました。

譜面にある「私は、、、、、」と「私は」の違い。
つまり「点々」の部分が表現できてない、ってよく怒られたり
語尾に韻を踏んでるところは、ちゃんと解釈して、歌いなさい!とか、それはそれは細かい作業でした。


オペラの演出家で栗山昌良先生という現役の大先生がいます。
国立音楽大学の大学院で、オペラというものを初めて勉強したとき、それはそれは勉強不足で怒られまくりました。
オペラ科の生徒、といってももう22歳以上なわけですから、立派な大人です。もしその頃私が趣味が良かったら、しっかりと歌舞伎も能も文楽も劇場に足を運んでいたでしょう、、、、が、私は宝塚に憧れて、そのままオペラの道へ没頭していったので、日本の伝統文化というものに、全く興味がなかったのです。

今考えると、非常にもったいないことです。

栗山先生は、まったくオペラのスコアを読めない、美しい動きが出来ない私たち生徒に向かって、「君たちは浄瑠璃を聞きに行かんのか?理屈はいいから、文楽にいきなさい!!歌舞伎じゃないよ、文楽だよ!美しいということが、君らはまったくわかってない」と言われて、皆できょとんとした記憶があります。


今、こうやって、文楽を身近に感じるようになって、文楽は「聴く」ことでイメージを膨らませるという意味で、オペラによく似ています。といっても、お人形さんの演技が、非常に美しいということでは、文楽のほうがオペラより遥かに芸術的に確立されているのでしょう。日本人として、誇りに感じます。

ラジオとテレビの違いも、ちょっとだけですが、似ていませんか?
ラジオから流れる声で、どこまで想像力を膨らませられるか、という点において、映像がダイレクトなテレビより、ラジオのほうが、私も好きなメディアです。



オペラでは舞台で歌手が一応舞台上で演じてはいますが、メロディで、全部作曲家が既に感情を作っていて、音楽で意図的に表現してあるので、歌手はその記述やト書きを解釈して「具体化する」という作業、演技では、その音楽を邪魔することはできず、とっても制約が多いのです。それで、成立はするわけですから、演技抜きの音楽会、つまり、文楽では素浄瑠璃、オペラではコンサート形式の演奏が可能なのですね。

なるほど~~~~

もちろん、それを補足としてではなく演じた、希有な女優タイプのマリア・カラスまたは、最近は映画をとるような歌手もいますが、非常にまれです。師匠の伊藤京子先生も、現役のときはそのようなタイプだったそうで、全国で様々なファンの方から、「あの方は指先まで女優でした」という話を聞かせていただくことがあります。私が習っていたときは、すでにオペラの舞台から退いて日本歌曲の方向に突き進んでいたときだったので、その舞台をみれなかったのは、非常に残念です。

それにしても、太夫さんの語りは、どこまでも奥深いのですね。

来月の新春公演が楽しみになってきました。