益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

益子で商売をする理由(わけ)・・・前回の続き

2006-12-14 13:19:55 | Weblog
 前回、益子における商業的価値について書きました。益子は本当にファーストフードやファミレス、大型書店など、チェーン展開しているお店が見事なくらいない田舎です。一応、観光地として紹介もされますが、だからといってタレントショップ(いまはどこにないですが)まがいのお店や、わけのわからないお土産物屋さんが立ち並んでいるわけでもありません。つまりは外資系(この場合は外国ではなく益子外のことをさします)の企業の進出がまったくといっていいほどないのです。
 東京近郊の観光地といいますか、リゾート地などはどちらかといえば地元より東京の資本により作られた感がありますが、益子は陶芸家さんは移住者が多くても、お店を営んでいる人はほとんどが益子の人です。益子は他所の、とくに企業から見ればやっぱり商業的な魅力がないのだろうなと思います。
 ではなぜ小生が益子を気に入っているかというと、まさにそこにこそ理由があり、観光地だけど観光地ではない、いわゆる俗された感じがしないところがとてもいいと思っています。かといってどこにでもある田舎町というわけでもないですし・・・。
 まずは観光地として考えると、先ほども書きましたが、一時代前どこの観光地にもあったようなタレントショップや変なアクセサリーショップのような「なんでやねん」とついついつっこみたくなるようなお店が益子にはないことです。昔10代の頃はそういう場所に憧れを抱いていた部分もありますが、この歳になるとそういうお店が立ち並ぶところへ行くとげんなりします。タレントショップはさすがに最近はみかけなくなりましたが、その代わりといってはなんですが、最近どこにいっても見かけるのが、かわった美術館です(しいていえばオルゴールとかトリックアートとか・・・)。それらは綺麗だし、楽しいし、けっして嫌いではありませんが、これまた「なんでそこにあんねん」とつっこみたくなるほど、観光地というだけで、その場所にそれが建っている意味がわからない美術館が最近はあまりに多いように思います。結論を言うと、つまりは益子に「たっちゃん漬け」ができたら益子は益子でなくなってしまうと思っています・・・(個人的にはたっちゃん漬けは好きですので)。
 観光地ではなく街としての益子を見ると、前述のとおりチェーン店がないなんとも寂しい街ですし、生活するものとしては不便を感じることも多いのが正直なところです。でもどこにでもあるチェーン店が立ち並ぶようだと、これもまた益子の魅力が半減するように思います。どこにでもある田舎町かもしれないけどどこにもない魅力が益子にはあると思います。
 いまはどこでも大型化・企業化が進められている世の中であり、個人経営は衰退していくばかりのように伝えられていますが、益子などは、もともと焼き物の街であり、個人作家さんが大勢いらっしゃるわけですし、最近では焼き物以外の作り手の方も増えてきました。それに伴い、作る側ではなく、売る側のお店も個人経営のお店が立ち並ぶ街になれば素敵なのではと思うのですが・・・(いまの益子はそうですが、これからもそうであってほしいという意味で)。これだけ大型化が進む世の中で、大型店の出店が少ない街は、逆にいまどきは珍しいくらいなのではないでしょうか。確かに現代社会の構図から、財政問題・雇用問題などを考えると、大手の企業が進出してくれば町は潤います。でもそうすればどこにでもある町に、そしてどこにでもある観光地になってしまい、まったくもって益子が益子である意味がなくなってしまいます。大手の企業やチェーン店がない町だからこその魅力が益子にはあり、そこにこそ益子独自の街づくりの可能性があるのではないでしょうか。
 ・・・と、気がつけば益子の選挙にでもでそうな勢いで、街づくりについての演説状態になってしまいましたが、何もそんな難しいことを考えているのではなく、何故、僕自身が益子を気に入っているのか、何故に益子で商売をしているのかということを、なんとなくわかってもらえればと思ったわけですので・・・。
 でも本音を言えば、大型ショッピングセンターやデパートになんかに買い物に行き、そこでお昼などを食べると人が多くて、うらやましいことこの上ないのですが・・・、と嘆いてもしょうがないので、益子の裏通りで、細々と地道に、これからも末永くお店を営んでいけたらと思います。