経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

政情あれこれ

2010-10-11 03:27:47 | Weblog
   政情あれこれ

 1週間前の読売新聞の記事によれば、中国の温首相が、ギリシャ国債購入の意図を、明言した。この事について考えてみよう。原則としては明敏な行為であると思う。国内に溜まった余分な貨幣を外に投資し、ギリシャの購買力を増加させ経済を安定させ、景気を回復させ、長い目で見れば、自国の輸出をも促進させる、作業と言える。ただし裏は充分にありそうだ。EUを牽制し、EUの欧州諸国への影響力を削ぐ目的もある。ギリシャは公務員天国で一種の原始的社会主義に近いから、中国の影響力はいささかは強まるだろう。ただギリシャ危機が言われて、数ヶ月たってからのこの明言は、やはり政治的意図を感じさせる。困窮していればその時に明言すれば経済効果はもっと良いだろうに。近年次第に増しつつある、中国批判に対する措置でもあるのかもしれない。更に中国国内の経済がバブル化し行き詰まっている事も背景にはあるだろう。バブル崩壊を避けるために、いわば瀉血する(血を抜く)作業でもある。1年半前に中国は約60兆円の景気刺激策を施行した。中国の国内産業に成長への余力があれば、バブルは無い。バブルバブルと噂されるのは、それが無いからだろう。貧富の格差がひどければ、富者による購買力は伸びず、貧困者の需要増進のための投資は、経常収支の悪化を結果させかねない。貧困者向けの内需促進は中国にとって緊要な課題であるが、それを遂行するためには、現在のような輸出中心の経済の転換は避けられない。経常収支が悪化すれば、輸入は止まり、成長も止まる。ブランド技術を確立するという、break throughを達成していない国は、必ず外貨の壁にぶっつかる。中国はこの壁を、外資と外技の利用で、超えようとした。果たしてできるかな?できなければバブルだ。その意味では今回のギリシャ国債購入は、あくまで瀉血措置かもしれない。
 日銀がやっと重い腰をあげて、36兆円の追加緩和政策を打ち出した。あえて批判する。規模が小さい。100兆円でもいいのだ。更に言えば、菅内閣の対応がいかにも鈍い。金があるだけではいけないのだ。ばらまきに終始して使い散じられては効果がない。集中的に投資する領域を打ち出す、あるいは開拓すべきだ。日銀の発表に対して、それに即応する集中的投資が打ち出されていない。日銀は新たな感覚で、異端とする領域に踏み込んだと言う。なら政府もそれを受けて、明確な政策を打ち出し、態度を明らかにするべきだ。節目、節目での政府の対策は鈍く、切れ味が悪い。私は端的に、医療の無料化を提言する。医療のみならず教育でも新たな需要喚起は為しうる。人に役立つ作業は(サ-ヴィス)は便益であり価値なのだ。それを貨幣でもって裏付ければいいだけなのだ。
 菅内閣の動きはまことに鈍い。小沢一郎氏の起訴が決定した。これに対して菅首相はなんらの積極的措置をも明言していない。私は小沢氏の処分には興味はない。小沢問題にも対処できない逃げ腰の菅首相に、経済運営の責任を任しうるのか否か、と問いたい。
尖閣諸島の問題での、政府の迷走ぶりは記憶に新しい。菅首相は盛んに諸外国に、領土問題での理解を求めているが、この対応には疑問を感じる。下手に外国の判断に委ねることは、自国の領土である事に自ら疑問符をつけることになる。さらに他国の領土問題などに、関心を示してくれる奇特な国など、当事国を除いてあるはずがない。ウクライナ、モルドヴァ、ルーマニアの三国間には領土問題があるが、果たして我々日本人に、この問題についての知識や関心はあるだろうか?解らない、が正答だろう。黒竜江の中洲ダマンスキ-島は未だ中露の懸案事項のはずだが、どちらが正義なのか我々には判断できない。尖閣諸島に関しても、諸外国は同様の態度を取るだろう。日本にとって必要な事は、自力で領土を護る覚悟、つまり最悪の場合には最後の手段(ultima ratio)、つまり武力対決に訴える覚悟なのだ。その点では菅内閣はまことに頼りない。国際政治は市民運動ではない。訴えて理解されるというものではなく、極力先に引き金を引かぬように努力しつつも、ピストルの引き金に指をあてて交渉するのが領土問題の基本なのだ。
菅内閣の迷走無能ぶりを示す好例が、尖閣問題で海上保安庁が取った証拠としてのヴィデオ公開を見送った事だ。始めヴィデオを無視した態度を取り、ついで公表を検討すると言い、三転して、しない、だ。多分中国に脅かされているのだろうが、迷走もこれ極まれり、だ。理由は中国を刺激しないためとか。馬鹿馬鹿しくて話にならない。中国を刺激する事を恐れる、とは単に媚中・恐中というだけはなく、相手国の主張にも一理あると認め、従って自国の主張に自信がないと言っているのと同じだ。それほど領有にご自信がおありなら、堂々と主張されるべきでしたね、と言われたらどうするのか。ヴィデオ公開の中止は尖閣諸島の領有権を自ら放棄するに等しい、のだ。こんなことなら始めから、ヴィデオ公開せず、の方がまだましだった。領土意識が希薄すぎる。中国が最後の手段に訴えるか否かの判断もできないのか?あくまで中国とは話し合いで友好的にやってゆける、彼らも我らも同じ世界市民と、思っているからだろう。知らず知らずのうちに、菅政権は自分と中国を同一視している。つまり菅内閣と共産中国は同穴の狢(むじな)という事だ。
ノ-ベル平和賞が中国の人権活動家に与えられた。この措置が正当か否かはともかくとして、中国政府は国際世論をもっと考慮すべきだろう。中国政府は、平和賞は政治の手段だ、と非難している。当たっているかもしれない。しかし歴史を捏造して、それを政治の手段としているのはどこの国だ?中国政府に言う資格はない。

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