経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

武士道の考察(28)

2021-04-14 13:38:38 | Weblog
 武士道の考察(28)

(承久の乱)
 鎌倉幕府は頼朝の外戚である北条氏に受け継がれます。二代義時の時、朝廷は最後の抵抗を試みます。1221年、承久の乱を収めた義時は、幕府の力を飛躍的に強化する事に成功します。1232年、幕府を運営する独自の(律令制とは別個の)法律として、関東御成敗式目、通称貞永式目が制定されます。貞永式目を中心として新たにできた武家政権の性格を考察してみましょう。
 余談ですが清盛と頼朝は結果として見事な連携プレ-をしました。清盛によってがたがたにされた公家政権を脅しすかして、そこから採るべきものを取り武家政権の土台を築いたのが頼朝です。清盛が粗暴犯なら頼朝は知能犯です。もし二人の歴史への登場が逆になっていたら武家政権はできたでしょうか?愚管抄の中で慈円は、清盛が平治の乱で当然殺されるべき頼朝を伊豆に流した事を「歴史の妙」と言います。私も同感です。
(貞永式目)
 貞永式目は北条泰時により制定された初めての武家成文法です。それまでは律令かそれを補足解釈した式目のみが法律でした。制定者運営者は当然天皇を中心とした公家たちです。武士による武士の為の武士の法律が貞永式目です。法律の常として制定以来何度も追加訂正が加えられています。貞永式目は開幕以来40年、頼朝・時政・義時・泰時等の創業の雄たちが、当時の武士社会の慣習に基づき裁定し判断してきたことを基準とし、それを成文化したものです。これら基準となる判例は頼朝のカリスマ性に託され、右大将家御時之例と言われます。内容の大部分は御家人相互間および御家人や公家・非御家人である他の武士との間の、土地の所有管理をめぐる紛争処理とその手続きです。主たる特徴は次の点にあります。
・御家人の土地管理権が保証されます。その根拠は安堵、新恩給付および年来(20年以上)支配してきたという実績です。
・保護の対象は御家人のみです。彼らは武家政権の新しいエリ-トになります。
・上級荘園領主である公家は敬遠されます。武家政権の関与外にあるとされます。これは幕府が彼らを無視したからではなくて、幕府の管轄の及ぶ範囲を限定して政権を安定させようとしたからです。武士のものは武士のもの、公家のものは公家のもの、がこの式目の言わんとするところです。
・だから荘園領主(本所領家)の権利も護られています。むしろ幕府は後半になると、武士達が不法に公家の領地を侵害しないように公家よりの姿勢に転じます。
幕府が一番警戒したのはそれ以外で実力のある連中、つまり非御家人の武士や山僧悪党と言われる階層です。彼らから大事な御家人の所領が侵害されないように配慮されています。
・総じて幕府は、土地の占有管理の経歴が明確で、幕府に忠誠を誓った、一部の武士たちを御家人として登録し保護の対象としました。
・いたるところで土地支配の保証は、将軍や幕府の御恩であるから忠誠を尽くすようにと強調されます。しかり奉公しなさいということです。
・奉公の主たるものは軍役です。幕府の命令に従って諸国の謀反人の討伐に従軍し、また鎌倉と都には人数を出して警衛することです。直接の金銭米穀の提供はあまり言われません。幕府には幕府で別の収入源がります。ただし従軍にかかる費用は本人持ちです。
・武家階層内部の階層秩序が定められました。侍(御家人)、郎党、凡下の三階級です。
(御恩と奉公)
貞永式目は特定の武士の層を掌握し、彼らの土地支配を御恩として保証し、見返りに軍役奉仕を奉公と義務づけます。御恩と奉公の関係です。武士階層出現以来この社会に内在した契約関係を、貞永式目は明文化しました。式目の制定者である北条泰時は、契約関係を中心として展開する主従間のあるべき姿を「道理」と言います。武士社会の慣習とそこに内在する論理を「道理」として前面へ打ち出し、道理の体現者としての武士の姿を描くことにより、泰時は武士身分を経済的にも道徳的にも承認した、いや承認させました。
 明月の出づるや五十一か条(芭蕉)
同時期イングランドでマグナカルタ成立。なお泰時が用いた「道理」は同時期慈円が愚管抄で用いた「道理」と通底します。慈円は新しく出現した武家政権のよき理解者でした。
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「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社


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