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武士道の考察(63)武士と僧侶 死に直面せざるを得ない者

2021-05-18 19:02:07 | Weblog
 武士道の考察(63) 武士と僧侶 死に直面せざるを得ない者

(武士と僧侶、死に直面せざるをえない者)
武士と僧侶には少なくとも二つの共通点があります。死に直面せざるをえない者、そして制外者(にんがいしゃ)である事です。制外者とは、制度の外の者、通常の社会の中に入れてもらえない者、異邦人あるいわ被差別賎民、と言われる人たちです。僧侶と武士は潜在的に制外者です。最大の理由は両者が死に直面せざるをえないからです。僧は死を見つめ死に対処して死者を取り扱います。古代の日本では死は忌まれ嫌われ避けられました。この伝統は寺院社会にまで浸透し、平安時代の正式僧侶の衣の色は白色です。黒衣は堂衆と呼ばれた非正規の下級職員の衣の色であり、彼らが実際の埋葬を取り扱います。僧侶が黒衣となるのは、鎌倉新仏教の興隆により仏教が民衆化したからです。それほど死は忌まれました。
 僧は死に直面します。せざるを得ません。他者の死を慰め弔い、その死の意味を考え、葬り、死の彼方の世界を予見し指示します。なによりも自らが死に際してそのモデルにならなければなりません。僧とは死の世界に没入せざるを得ない存在です。死の祭壇に捧げられた供御です。だからわが国では僧侶はどこかで忌まれました。穀つぶしであり、口減らしであり、乞食であり、世捨人・無用人であり、人口調整装置とみなされました。枕草子の著者は、僧は木の切れ端、と言います。役に立たないと言っているのです。貴族や豪族のちゃんとした家の嫡男を僧にすることはありません。十歳前後で寺に入り厳しい修行をします。俗世の欲望、人なら皆持つ欲望を捨てるためです。厳密に言えば一種の人間廃業です。死への準備です。源氏物語宇治十帖の中で横川の僧都は、僧侶という者は時には泣き叫びたいことがある、と言って浮舟の出家に反対します。修行がうまく行って、僧侶としての在り方にそれなりの満足が得られればともかく、そうでなければまさしく木の切れ端であり、半端者もいいところです。僧たちが僧位にあこがれ儀式を重視した気持ちが解ります。成道解脱と言っても所詮は懐疑と隣合わせ、集団で相互に自己を確認し一定の向上段階を自覚しないと虚無に落ち込みます。僧とは死に直面しつつ虚無の淵を歩かねばならない存在、モデルであり犠牲です。このような特殊な立場ゆえに僧は尊敬されつつどこかで軽蔑されました。
 武士も死に直面します。一所懸命、命をかけて戦わねばなりません。財産のゆえに戦闘することは、人間である以上だれでも遭遇しかねない運命です。しかも武士はその社会的出自が半合法的存在であり、歴史に出現した時から戦わねばなりません。他の階層の運命を煮詰めたような生を武士は生きねばなりません。私富を護る、奪うために奪われないために戦う、戦うから殺す、殺すがゆえに殺される、という業を背負った存在が武士です。殺人の上手、殺しのプロでした。彼らが他の階層から尊敬されていたとは思えません。武士が自己の存在に誇りを持てるようになるのは江戸時代に入ってからです。公卿達は武士を地下(じげ)・侍(仕える者)としてあからさまに軽蔑します。支配下の農民からは略奪者・狼ともみなされ、屠膾の輩(とかいのやから、生き物を殺し解体し喰う者)と言われ嫌われます。平和な時でも盛んに狩猟し獲物を殺して食べるからです。武士は容易に盗賊になります。常時武器携行者とは危険で恐ろしいものです。なによりも武士達自身が自らをそういうものとみなし、強い罪業観を抱いていました。
 僧と武士は、死を自覚し共有せざるを得ない存在です。両者の最大の共通項はここにあります。死を共有する者は原則として平等です。この平等性を基礎としてのみ、集団あるいは社会は形成されます。                   63

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社

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