経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

        同性婚容認の判決への反論

2021-03-17 21:03:15 | Weblog
同性婚容認の判決への反論

 今日のネットミュ-スで札幌地裁が、同性婚容認の判決が出した。判決したのは女性の判事だった。別にそのことが問題なのではない。違憲か合憲か、法律判断は勝手にしてくれ。法律家など三百代言と言われるほど、屁理屈、理屈の為の理屈をこねる。ここでは婚姻に関する原理原則から意見を開陳する。
 同性婚は生産的ではない、つまり生殖による子孫を作らない。この事だけで極めて反社会的な判決だ。男女を問わず自然は、睾丸・陰茎・子宮・卵巣などの生殖器を人間に与えた。人類が集団自殺を臨まない以上、生殖は義務である。
 次に同性婚(ここで「婚」という言葉を使う事すらいやになる)では財産の宗族が極めて不分明になる。あるいは恣意的になる。通常の結婚では配偶者(もちろん正式の)と直系の子孫(つまり息子か娘)である。極めて判然としている。同性婚では誰が相続者か解らない。自由につまり恣意的に相続者を選びうることになる。私有財産は保証されず社会は不安定になる。もっとも私有財産を否定する人たちには歓迎すべきことになろうが。
 同性婚では資本の蓄積ができない。子孫のために資産を残そうという動機がなくなってしまうからである。資本蓄積がなければ経済は発展しない。つまり貧乏になる。
 婚姻・結婚生活というものは結構難しいものなのである。不平不満、利害の相違、習慣の差、言葉遣いに気分などなど次第で喧嘩トラブル、つまり摩擦葛藤はしょっちゅう起こる。通常の結婚では子供があるから我慢もできるのである。「子はかすがい(鍵)」という諺は今でも真理なのである。同性婚ではこの歯止めはなくなる。従って離合集散は激しくなる。
 そして人間が社会生活を営むためにはこの葛藤の経験は絶対必要なのである。親子の関係も夫婦関係もある意味でこの人間間に必ず生じる葛藤を経験させ経験しあう場・練習所なのである。親も子も、夫も妻もだ。この練習がなければ社会生活はできない。一定の拘束がなければ自由もない。あるのは混乱と破滅のみだ。
 だから同性婚は社会の単位である家庭、したがって社会を破壊する。同性婚はフェミニズムの一分枝だ。フェミニズムの狙いは家庭と社会そして国家の破壊にある。現在のアメリカがいい例だ。フェミニズムが猖獗を極め、父親と家庭はなくなり、婚姻年齢は低下し、子孫に伝える物は無くなりつつある状況だ。
 同性婚とかフェミニズムとかは、欧米の社会の発想だ。60年前まで欧米では同性愛は犯罪か罪過だった。逆に日本は同性愛には極めて寛容であった。欧米が180度右を向いたからと言って我々日本人が、右向け右とする必要はあるまい。日本は日本なのだ。
 繰り返す。同性婚容認の札幌地裁の判決は極めて犯罪的だ。  2021-3-16

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