経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

日本人のための政治思想史(8) 源氏物語  

2014-07-03 02:38:37 | Weblog
(8)源氏物語
 源氏物語は11世紀初頭に紫式部により書かれました。当時の世界に冠絶する大作品です。主題は光源氏という最高の地位にある貴族が経験する種々の恋愛です。ですから恋愛小説と言ってもいいし、遊蕩記といってもかまいません。話の概略から説明します。
 ある帝の御代に非常に寵愛された女性がいました。この女性、桐壺更衣は低い身分の出身でしたので後宮の他の女性達から妬まれ苛められます。更衣は一人の男児を産んだ後死去します。この子が光源氏です。光源氏の資質才能が素晴らしい。容貌美麗で女にもてます。単なる美貌を超えて、人の魂を虜にする魅力あるいは魔力をも持っています。学問、芸術、音楽などすべての分野において秀逸で群を抜きます。武芸にも優れています。帝はこの秀麗な貴公子に、母親の身分を考えて源の姓を与え臣下の立場に置き、同時に左大臣の娘と結婚させます。
 帝は桐壺の更衣が忘れられず、よく似た内親王を皇后として迎えます。この女性が藤壺中宮です。源氏は幼少期父帝と藤壺に可愛がられて育ちます。成長するに及び源氏は藤壺を愛し始めます。やがて源氏は人の眼を盗み藤壺と密通します。藤壺は源氏の子を産みます。藤壺への愛と併行して源氏は、藤壺によく似た藤壺の姪に当たる少女を自邸に引き取ります。この女性が紫の上です。やがて二人は結ばれます。源氏の女漁りは留まるところを知らず,遊蕩は激しくなり、禁忌に触れる行為も繰り返します。父帝の死後、庇護者を失った源氏は政治的に危険な立場に置かれ、須磨に流されます。
 源氏流刑後政界は思わしくなく、源氏は住吉明神の加護により、都に帰り復権します。政治は源氏と藤壺が二人の間にできた不義の子を新たな帝として擁立して押し進められます。源氏の地位は上昇しやがて太政天皇という帝とほぼ等しい地位にまで昇り詰めます。源氏の漁色は止みません。遊蕩は続きます。
 源氏が40歳になった時、異母兄である前帝の娘女三宮を正妻として娶ることになります。源氏の政治的地位をより強固なものにするためであり、また帝血をひく尊貴な存在への憧れゆえでもあります。女三宮を恋い慕う柏木という男性が彼女と密通し、女三宮は柏木の子を源氏の子として産みます。彼が後の薫大将です。女三宮は出家します。源氏は、おのれがした事はおのれにはね返ってくる、因果応報だと思いつつ、憂愁のうちに死去します。以上が源氏物語の本編です。
 本編の約20年後を時期として続編宇治十帖が始まります。薫大将は自分が不義の子であることを知らされます。薫は匂宮という友人と、落剥した皇族の娘三人を奪い合う形になります。最後の娘浮舟が薫と匂の間にはさまれ悩んだ末、宇治川に投身自殺を試みます。浮舟は横川の僧都という名僧に救われ出家を希望します。源氏物語は訪ねてきた薫との面会を浮舟が拒否するところで終わります。宇治十帖は源氏の葬送を意味します。源氏の葬送は本編の幻巻と雲隠巻で描出されていますが作者はそれをもう一度繰り返します。薫と匂は源氏の分身です。浮舟も同様です。浮舟が横川の僧都に救済されることは源氏が救済されることを意味します。
 源氏物語を恋愛遍歴の記録と読んでも構いませんし、因果応報の教えと読んでも構いません。しかしそれだけではこの物語に含まれる巨大な主題を見逃してしまいます。ではその主題とは何でしょうか。主題の第一は、性と政治、です。性愛あるいは恋愛は政治行為と密接不可分の関係にあるということを源氏物語は語っています。源氏物語において明瞭に描かれる内容の核心は近親相姦です。藤壺はあらゆる意味で源氏の母親です。桐壺更衣に似ておりそれ故に中宮になります。そして藤壺は父帝の正妻です。繰り返しますが藤壺は源氏の母親の立場にいます。その母親と、父親の眼を盗んで密通し、子供を産ませます。それ故に彼の立場は不利になり、懲罰として須磨に流されます。懲罰後夢で父帝の赦免を得て政界に復帰し栄華を極めます。源氏物語は源氏のこの不義遊蕩を非難していません。むしろ彼の魅力能力の証左として讃えています。恋愛の能力と政治の能力は等しいと言っています。その端的な例証が、源氏と藤壺の共同統治です。この共同統治を土台として源氏は栄進します。
近親相姦という禁忌を犯した故に、また犯すほどの能力があるが故に源氏は帝王とほぼ等しい地位に昇りました。源氏がおのれの栄華を顕示するために造った邸宅は六条院と呼ばれます。「院」とは帝王の住居にのみに用いられる称号です。源氏物語の第一の主題は、近親相姦が権力の源泉だ、ということです。ここで性愛と政治に関して考えて見ましょう。両者は酷似した関係様式です。性愛も政治も突き詰めれば物の体系を媒介とはしません。両者は純粋に人と人の関係です。政治行為は究極には、相互の人格が相互に操作し操作される関係です。政治とは操作し支配する意志の行使交換なのです。恋愛も同様です。愛するとは愛する相手をおのれの意志欲望に従わせることです。この作業を当事者が相互に行ないます。自己を愛するから相手を愛するのです。恋愛は政治と同じく、他者操作他者支配の相互交換です。この事実は我々の日常を見ていても容易に観察されます。一度性的関係を結べば、それに好きという感情が伴う限り、当事者は相互に操作しあいます。この支配と操作の相互応酬から免れられるのは両者の関係が断絶した時だけです。近年世間を騒がせているスト-カ-行為も、この恋愛に内在する操作性つまり支配する意志の行使という契機が露骨に表れた現象です。源氏物語はその機微を、近親相姦の能力すなわち政治行為の能力、と提示し描出しています。性愛と政治、両者の同質性が源氏物語の第一の主題です。ここまでこの主題を書ききった作品は世界中他にありません。全く大胆で明瞭な描出です。
 源氏物語の第二の主題は王権と摂関政治の弁証です。源氏が近親相姦で造った政権は柏木の行為により報復され崩壊します。源氏には柏木を処罰する権限はありません。ただ因果応報を感じて憂愁のうちに消えてゆくだけです。源氏の政権が崩壊することにより王権は源氏の存在を超えたものとして至上のものとして認知されます。源氏が真に統治権を持っていれば柏木を処刑すればすむことですが、源氏にその能力はありません。源氏がそれまで行なってきた行為は簒奪ともいえるものです。源氏政権の崩壊は簒奪の否定です。こうして王権はより超越的な存在、単なる権力の行使を超えた存在とされます。のみならず源氏が近親相姦で権力の頂点を極め、同じ近親相姦で報復されることは、近親相姦とは帝王のみに許されるのだという意味をも暗示しています。
 王権と同時に摂関政治も弁証されます。源氏の政治行為は帝王の父母による後見(うしろみ)です。これは摂関政治に他なりません。しかし源氏は藤原氏ではなく、帝血を継ぐ故に簒奪を試み敗れます。この事は帝血を継がない一族の後見ならいいという事を意味します。摂関政治の肯定です。摂関政治とは二つの家柄が婚姻同盟を結び、継時的に婚姻を繰り返してゆくのですから、これは一種の近親相姦行為です。摂関政治とは政治力の根源である近親相姦を首位と次位の二つの家柄に閉じ込める装置ともいえます。ただし近親相姦が暴発しないように楔は打たれています。帝王の女児つまり内親王は未婚を強いられました。内親王が臣下つまり藤原氏と結婚すれば、首位と次位の差はなくなり秩序は保てなくなります。摂関政治は血つまり血統の移動を一方向に限定して混乱を防ぎました。ではなぜ近親相姦は権力の源泉なのでしょうか。近親相姦においては血統とそれに伴う財産をある家柄にそれらを封じ込め、完全に守れます。なによりも近親相姦においては他者操作がより容易になります。自己の分身であり最も気心の知れた相手と交渉するのですから。同時に近親相姦は政治的無秩序を招来します。同格の者同志の争いが起こります。事実継体天皇以後摂関政治の確立までは、天皇家の内部での婚姻で皇位は継承されてゆきました。しかしその間幾多の流血を伴う争いが起こりました。摂関政治が確立されて政争に流血は伴わなくなります。権力の独占形態である近親相姦を肯定しつつ同時にそれに歯止めをかける制度が摂関政治です。次位の家柄を固定し、次位から首位へと血の移行を一方向的に制限する事により、権力の源泉である近親相姦を肯定しつつ同時にそれを制限することにより権力を安定させました。これが摂関政治です。源氏物語は光源氏の生涯を描くことによって摂関政治を意義を明らかにします。
 源氏物語は文学史においても頂点であり転換点です。源氏物語は古今集以後の和歌の伝統を引いています。物語の中に700首以上の和歌が出てきます。この和歌は物語の主要な場面でその場面を集約する形で使われています。更に引歌を含めると物語における和歌の比重は倍増します。引歌とはすでに歌われている和歌の一部を文章の中に取り入れてその和歌の内容を黙示的に物語に反映させる手法です。源氏物語は和歌が宮廷儀礼にとって必須の手段となった時点で書かれています。古今集の仮名序に記されているように和歌の編纂は王権の弁証ですから、思想的にも源氏物語は古今集の影響下にあるといえます。
源氏物語は光源氏の一代記として歴史書という性格も持ちます。日本書紀以来計六つの国史が編纂されました。政治の内邸化儀礼化とともに国史編纂は終了します。代って貴族の日記が出現します。儀礼を忘れないように貴族は日記を漢文で書きました。この延長上に私日記、つまり個人の生活や感情を描写する日記が出現します。紀貫之による土佐日記が第一号です。やがて私日記は女性の感情表現の手段となります。蜻蛉日記や和泉式部日記、十六夜日記などです。紫式部もみずから日記を書きました。源氏物語は歴史書という性格と同時に日記に伴う内面描写感情表出の手法をも取り入れています。
源氏物語に到るもう一つの系譜は物語です。日本で最初の物語は竹取物語です。ついで伊勢物語が現れます。そして宇津保物語と落窪物語が作られます。こういう物語の系譜の中にあって、主人公と筋書と文体をより洗練したところに源氏物語が現れます。源氏物語は奈良から平安時代にかけてのすべての文学ジャンル、和歌、歴史書、日記、物語の流れを集約し総括した作品として出現しました。源氏物語以後物語は多数出現しますが、源氏物語を超えることはできず、大同小異のものばかりが出て、衰えてゆきます。代って和漢混交文が現れ今昔物語のような逸話集そして平家物語のような軍記物が出現します。源氏物語は日本の文学の転機です。それまでの文学の、従って情操のすべてを集約してこの物語は作られています。源氏物語により日本人の情操は確立されました。
 源氏物語の出現が提示するもう一つの問題は、この時代における女性の活躍ぶりです。源氏物語を頂点として10世紀から11世紀にかけて女性作者による作品が続出します。伊勢、右大将道綱の母、和泉式部、清少納言、紫式部、赤染衛門、菅原孝標の娘、などなどの面々です。これら一群の女性作者による文学作品を称して平安女流文学と言います。これほど女性が文学で活躍した事例は世界史上ありません。
この時代女性は文学で活躍しただけではなく、政治においても大いに活躍しています。先に挙げた女性達は女房と言われ、女房層というれっきとした階層が出現しました。彼らは摂関政治により頂点を極一部の階層に独占され、地方官専業に追いやられた下級貴族受領層に属する家柄の女性です。彼らは父や夫が摂関家やそれに準じる家に家司として奉公するのと併行して、上級貴族の女性、彼女達はすべて入内候補です、に奉公しました。彼らを女房と言います。女房達の仕事はいろいろありますが、その一つに主人である后妃、候補者も含む、の教養を高めることと、もう一つ主人の相談役をすることでした。紫式部は彰子中宮の家庭教師でしたが、参謀のようなつまり政治向きの仕事もしています。なにしろ摂関政治の時代です。母后の役割は重大でした。母后には外戚である父親と、主権者であり夫または子供である帝、の間を調整する役目がありました。道長が権力の座につけたのも姉である円融天皇妃であり一条天皇の母親である詮子のお蔭でした。詮子の強力な後押しがあって道長は摂関、厳密には内覧する権利、の地位につけたのです。政治の表における男の争いは裏面での女の争いと併行していました。これほどの影響力を行使する后妃の参謀役でもありうる女房の力は絶大です。
後年になると女房層に加えて天皇の乳母が発言権を持ち出します。紫式部の娘大弐三位は後冷泉天皇の乳母として政治に隠然たる影響力を持っていました。もう少し例を挙げます。保元の乱を引き起こした張本人は鳥羽天皇の女御である美福門院でありますし、平清盛がどちらにつくかで重要な助言を与えたのは彼の義母であり女房乳母層にあった池禅尼です。総じて奈良平安時代における後宮で女性の果たす役割は非常に大きいものでした。ある研究者は平安時代の後宮ほど力をもった後宮は世界史上ないと断言しています。同時にこの人は、それほど実力があり権力闘争が激しかった後宮という場で全く流血事件が起こっていないのも日本の特徴だといっております。女房乳母という存在は男が表では取れない情報の探知役であり、女の情報は男の政界での活動にとって死活のものでした。いつの時代でも情報は力なのです。
 それではなぜ女がこの時代、だけではありませんが、に文学そして政治の世界で活躍できたのでしょうか。答えは、日本では女が丁寧に優しく扱われていることです。尊重されていると言っても構いません。ここで神話の世界を思い出して下さい。主神アマテラスの存在、アメノウズメの裸踊りで世界が開けたこと、コノハナヤサクヤヒメとトヨタマヒメによる婚姻秩序の確立などなど、日本神話では重要なところにはすべて女性が絡み女性が決定しています。まことに日本は女ならでは世の明けぬ国なのです。推古天皇の御代には、聖徳太子の時代でもありますが、天皇の意志は内侍という女官を通じてのみ取り次がれました。日本は部族制度が展開されて強固な家父長制ができ上がる前に、換言すれば母権性社会の名残が濃く残っている時代に仏教という融通無碍な宗教を取り入れました。仏教により柔らかく構成されまた解体された結果が摂関政治です。だから日本では他国に比し女性の地位発言力は強いのです。もう一つ日本の後宮の特徴があります。日本には宦官などいません。のみならず日本の後宮への男子の出入りは結構容易なのです。これもある意味では女性が尊重されていたことの証しです。宦官に監視される他国の後宮の女性はまるで家畜です。
 源氏物語は、支配への衝動は近親相姦願望に基づくものと喝破し、性愛と政治の密接な関係を暴きだしました。同時に露骨な近親相姦による政治を否定し、その緩和された形態である摂関政治を弁証します。天皇は摂関を超えた超越的存在つまり神としての権威を付与されます。源氏物語は日本語日本文学日本的情操の確立に寄与し、女の国日本を具体的に例証しました。

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