お散歩日和 ♪

「山歩き」「街歩き」と「酒」の日々・・・

高取山(高取城)

2016-05-03 16:34:23 | うだつ会

 

2016年5月3日(火) Icon_walk_ss12.042km

累積標高(+)1007.159m(-)-1007.159m

G.W中の5/3、何時ものメンバーで計画していた「高取城攻め?」を決行。

今年のG.Wは4/29〜5/5のうち5/3以外はほぼ快晴。この日は天気予報通りの曇り空。何とも運が無いが、まあ雨では無いだけ良しとしよう。

近鉄南大阪線「壺阪山」駅に10:05に現地集合の為、「大阪阿部野橋」駅9:20発の急行に乗車すべくホームに行くとF君に出会った。電車が動き出した後、隣の車両にN君の姿を確認。

S君だけは姿が見えないが、おそらく西大寺経由の近鉄橿原線で来るのだろうと推測していると、S君からLINEが入る。「間違えて奈良行きの電車に乗ってしまいました????壺阪山駅着10:22になりますm(_ _)m」まさかの遅刻の連絡!

その後更にLINEが入り(本筋とは関係無い話だが)S君が奈良から引き返して西大寺で下車すると、偶然にも天王寺動物園に向うU君一家に遭遇したとの連絡。(この話には伏線があって、前日に私・F君・N君・U君の四人で「さいとう」さんで一杯やりながら、U君一家が動物園に行く話を聞いており、天王寺で合流しようと冗談を言っていた。その場に唯一不在だったS君が合流するとは・・。)こんな偶然もあるものなのだ。

予定通りに到着した3人は、同じ列車で到着した他のグループが誰もいなくなった駅のベンチで20分弱時間潰し。

暇なのでビールでも飲んでやろうと、駅前を物色するが、長閑な駅前にはコンビニも自販機も無く諦める。

そうこうしていると、我々が乗ってきた一般車両の急行列車とは明らかに違う、豪華な特急列車が到着し、S君が悪びれた様子も無く下りて来た。我々はお決まりの行動で、物陰に隠れていたが、呆気無く発見される。

しばらくはS君イジリの時間が続く。飽きて来た頃にあろう事か、F君が「今回の遅刻事件は六甲山カレー事件に匹敵する」と言う様な事を言い出し、私の方まで飛火しそうになって来た。

何だか前置きが長くなったが、メンバーが無事集合。気を取り直して駅前を出発する。

「高取町 観光とくすりの町」というアーチをくぐり、国道169号線を横断して土佐街道を右折。

ここで2つの疑問が現れる。1つは「くすりの町?」2つ目は「土佐街道?」。調べて見ると、まず1つ目は、この辺りでは飛鳥時代には宮廷行事の一つとして、「薬猟」が行われていた事に始まり、江戸時代には薬の販売、今も製薬・売薬が主要産業になるらしい。2つ目については、飛鳥時代、都造営のために連れて来られた土佐(現在の高知県)の人々が国に帰ることができずこの地に住まい、故郷を懐かしんでつけた地名と伝えられているとの事。近場でもまだまだ我々の知らない事が沢山ある事を思い知る。

ここから、城下町の風情が漂う「土佐街道」の緩やかな傾斜を登る。因みに、この城下町から城までの標高差は446mとの事で、この先楽では無い事が予想される。

街道沿いには、高取城の下屋敷の表門を玄関に移築した医院や「だらにすけ(陀羅尼助丸)」の看板を掲げた立派な漢方薬店などが建ち並ぶ。

また、奈良産業大学により作成された、在りし日の高取城のCG再現画像の案内板が目を引く。

程なく、観光案内所「夢創館」に到着。ここは大正時代の呉服屋の建物を改装した物らしい。

この案内所に「日本百名城」のスタンプが有るとの事で立ち寄る。実はN君は百名城巡りに取り組んでおり、この日もスタンプブックを持参していた。

それと忘れてならないのは、そもそも我々が「高取城」の存在を認識したのはN君のこの本のお陰で、恥ずかしながらそれまで認識がなかった。今回の「高取城探訪計画」の発端はこの本にあるのだ。

ここでF君が興味深い資料を発見して見せてくれた。

司馬遼太郎の「街道をゆく- 大和・壺阪みち-⑸城あとの森 」の中の一文だ。
司馬遼太郎もこの地を訪れ、印象を綴っていたと思うと感慨深い。一文を引用させて貰う。

「高取城は、石垣しか残っていないのが、かえって蒼古(そうこ)としていていい。その石垣も、数が多く、種類も多いのである。登るに従って、横あいから石塁があらわれ、さらに登れば正面に大石塁があらわれるといったぐあいで、まことに重畳(ちょうじょう)としている。それが、自然林に化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持がすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた。」

何だか本当に大袈裟な表現の様に思うが、この後この文章表現の間違いない事を身を以て経験する事になる。

案内所を出てしばらく歩くと幕末期に創業の歴史ある「金剛力酒造」と言う酒蔵が有る。本来ならここで日本酒を購入して、山頂で飲めれば最高なのだが、残念ながら休業日(事前に電話確認済)と言う事で念願は叶わなかった。

ここで、F君も「やっぱり百名城スタンプを貰う」と言って案内所に引き返す事になり、私はこの場で待つ事に。

酒蔵の前の道を挟んで向かい側、商家の屋敷跡「伊勢屋々敷跡」の石碑の階段に腰を下ろす。ふと見ると酒蔵の前にビールの自販機が・・・。さっき駅で飲もうと思って飲めなかった、一旦思った事はなかなか諦めがつかない物だ。

禁を犯してスーパードライの350mlをプシュ!

戻って来たF君とN君の軽蔑の眼差しを浴びながらも飲み干してスタート。

判読し辛いが恐らく「右 つぼさか よしの 道」と刻まれた石の道標が見えて来ると「札の辻跡」。ここから先は、かつて武家屋敷が建ち並んでおり、辻には門があり町人の居住地区と区切られていた様だ。

現存する旧武家屋敷の長屋門や、見事な「なまこ壁」の旧高取藩筆頭家老の屋敷などの前を通り抜ける。

長閑な田園地帯を進むと、舗装路が途切れて「黒門跡」(高取城第一門)に到着、ここから郭内になる。

「宗泉寺」との分岐まで進むと案内板が有り

「いよいよ山登りのはじまりです。・・・黒門跡から本丸までは高低差が約350mあります。・・・」

案内の通り傾斜がきつくなってきた。当然、山城だという認識は持って来ている。だがあくまで城なので遊歩道的な道を歩く事を想像していたが、登山道に近い様子になって来た。

「史跡 高取城跡」の石碑を通り過ぎ

「七曲り」と言う文字通り曲がりくねった山道を登る。

野面積みの石垣も見え始める。

息を切らして登って行くと「一升坂」の案内板が現れる。

「これから長い直線の上り坂が続きますが、この「一升坂」という名称は、築城の際に、急坂であるため石材を運ぶ人夫に米一升を加増したことによるといわれています。」

怖気付きそうになるが「リュックも重いが石よりはマシだ」と思い直して進む。

登り切ると分岐があり、「岩屋不動尊 120m」の標識がある。私は興味があったので、3人が休憩している間に1人見学に向かう。細い山道を歩いて行くと、森の静寂の中に、「不動明王」「文殊菩薩」「役小角」の石像がひっそりと佇んでいた。

分岐に戻り3人と合流、再び登り始める。しばらく進むと、飛鳥から登ってくるルートと合流する。

合流点には「猿石」と呼ばれる謎めいた異形の石像が鎮座している。飛鳥時代に作成された物と推測されており、築城の際に飛鳥の地から運び上げられたらしいが、この場所に安置した理由は定かではない。

ここからすぐの所に「二の門跡」が有る。

二の門の前には、山城には珍しい「水堀」が有り、現在も水を湛えた状態で存在する。

それと残念だったのが、「二の門」は現在も「壺阪山」駅近くの「小島寺」の山門として移築され残っているとの事。下調べ不足で見損ねてしまった。

さてここからが、いよいよ城内という事になる。

「二の門跡」を通過してすぐ、右手に「国見櫓跡 120m」の標識がある。如何にも眺望が良さそうな予感がする。寄り道して見る事に。

到着すると、予想通りの眺望で、「大和平野」が一望できた。

先客の西洋系外国人の方4〜5名が食事中だったが、日本語で「コンニチワ」と挨拶をされて、展望する事を快く許して下さった。

眼下に大和三山の「畝傍山」「耳成山」「天香具山」、遠く「生駒・信貴」の山並から「二上山」、更に遠く「あべのハルカス」まで見えた。案内板には天気が良ければ「比叡山」まで見渡せるとあったが、残念ながら今日は無理だった。

元来た道を引き返し、分岐に戻り天守跡を目指す。

この辺りからは、石垣も立派になり、道は迷路の様に曲がりくねる。

先頭を行くN君が、角を曲がる度に「オーッ!」と感嘆の声を上げる。後続の3人も遅れて角を曲がり、同じ様に「オーッ!」と思わず声が出る。それ程に、想像以上に立派な石垣が、次から次に目の前に現れる。

「矢場門跡」「松ノ門跡」「宇陀門跡」「千早門跡」と城門跡を通過。

我々が登って来た「大手道」に壺阪口からの道・吉野口からの道が合流する地点に、いよいよ城の中枢部への入口である「大手門跡」が現れる。

眩しい程の新緑の緑の中に、苔むした巨大な石垣が美しい。

ここから「二の丸跡」「十三間多聞櫓跡」「十五間多聞櫓跡」等々、圧倒的な石垣のオンパレード。

木々も立派で、スギ・ヒノキ・モミなどの巨木や、何よりモミジ・ケヤキなど落葉広葉樹が多い。秋の紅葉シーズンは、さぞかし見事な事だろうと想像される。

締め括りは「天守台跡」、ここまで来て、先に引用した「街道をゆく」の文章の大袈裟で無かった事を確信する(但しアンコールワットに行った事は無いのだが)。

かわいい熊のチェーンソー・アートに導かれて「本丸跡」から「天守台跡」に登る。

ここが高取山の山頂になっており、高取三等三角点(583.61m)がある。

これで前半戦は終了、そろそろお待ちかねの昼食という事にしよう。

広々とした「本丸跡」で適当な場所を探す。

「本丸跡」からは西に「金剛・大和葛城山」南に「大峰山系」の雄大な山容が望めた。「二の丸跡」を見晴らす辺りに陣取る。

丁度都合の良い切株が有ったのでテーブル代わりに使わせて貰う。

(本日のメニュー)


・マルちゃん正麺(しょうゆ味)
・(ラーメントッピング用)豚肉・ネギ
・焼豚
・(キングオスカー)オイルサーディン
・キリン ラガービール500ml
・アサヒ DRY PREMIUM 500ml
・月桂冠 210ml

それでは、無事な登頂を祝して乾杯!

焼豚は、先日の「一徳防山」で試作してみて美味しかった「ネギマヨ焼豚」に。オイルサーディンは以前から定番のレシピ、バーナーで温めて、しょうゆ・レモン汁・七味で調味。
その他、赤貝・イワシ・厚切りベーコンの缶詰や鶏唐等々。

皆が持ち寄ってくれた食材で豪華な食卓になった。

あと、珍しかったのがカップヌードルでF君が「トムヤムクン」(タイ現地版)、N君がフカヒレスープを持参。味見させて貰ったが、それぞれに美味しかった。

S君はお洒落に白ワインのハーフボトルを持参していた。

 

ここで一句

「杯交わす 山の古城の 石積みに しみるが如き うぐいすの声♪」

 

腹も満たされ、気分も良くなった所で、名残惜しいが下山に取り掛からなければならない。

「大手門跡」まで戻って左折、「壷坂口門跡」で城内を後にする。下って行くと一旦車道に出て、再び山道になる。ここからは、登りの時よりも更に山道らしい山道を下る。

標識に従って分岐を進むと、今回私が「土佐街道」「高取城」と共にもう1つ楽しみにしていた「五百羅漢」が現れた。

何時、誰が造った物かは諸説あるらしいが、岩の山肌に夥しい数の羅漢像が刻まれている。様々な表情の羅漢像の中には「大黒様」の姿もあった。

こう言う物にあまり興味の無さそうなS君は、思わず「気持ち悪るい〜」と罰当たりな事を言っていた。でももし一人で山中を歩いていて、予期せずにこういう物が眼前に現れる事を想像すると、あながちS君の気持ちも解らないではない。

ここから更に下り、車道に合流してすぐの所にも絶景ポイントが。

満開の藤の花が咲く森の中に、「壷坂寺・八角円堂」の瓦屋根が浮かび、遠くには「大和葛城山、二上山」の山並みが見える。まるで一幅の絵画の様な光景にしばし見惚れる。

この後、壷坂寺の門前を通らせてもらい、谷沿いの林道から、清水谷の集落に入る。歴史を感じる家並みの中を歩き、「札の辻跡」で「土佐街道」に合流。今朝歩いた道を戻り「壷坂山」駅に到着。

 

ここから「大阪阿部野橋」駅まで戻り、「湯処 あべの橋」で汗を流した後、目星を付けていた阿部野ルシアス地下の「恵美寿屋」さんに向かうが、行列が出来ており断念。ViaあべのWalkの1F「正宗屋」さんは休業。早く飲みたいので仕方なく近くに有った「赤のれん」さんに突入。しかしこれが大失敗で、品切れ続出だわ、トキシラズの刺身はペラペラな上に凍っているわ、アスパラサラダはアスパラが見当たらないわ、別に安い訳ではないわ、と言う事で早々に失礼させて貰う。結局、少し離れた「森田屋」さんへ。ここも満席だったが、気さくな店員のお兄さんが、嘘かホントか「長居してる客を追い出すわ!」との事で無事入店。2Fのテーブル席でやっと落ち着く事が出来た。今回はこれにておしまい。

 

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