5月1日、平成から令和へ・・・
御代替わりを神聖な気持ちで、見守りました。
驚いたのは、新元号の由来が大宰府の地にあったこと。
大宰府政庁跡の周辺は時々、訪れている場所だったからです。
人出も落ち着いた6日、由来の地へ足を運んでみました。
政庁跡の北側、新緑の美しい道を歩くと、小さな神社がぽつんと佇んでいます。
知らなければ、気づかずに通り過ぎてしまいそうな坂本八幡宮。
この辺りが奈良時代、当時の太宰府政庁の長官であった
大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅であったとされています。
旅人は歌人であり、天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)に
自宅に役人たちを集め、梅花の宴を開きました。
そこで詠まれた三十二首とその序文が万葉集に収録されていますが、
その序文に書かれている美しい文章から令和ということばが選ばれた・・・
そんな由来が心に残りました。
万葉集『梅花の歌三十二首并せて序』より、
宴を始めるにあたって述べられた前書き(序文)の初めの部分を
書き留めておこうと思います。
〔原文〕
天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃(あつま)りて、宴會を申(の)ぶ。
時に、初春の令月にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、 蘭は珮後(はいご)の香を薫す。
〔現代語訳〕
天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)に、太宰府の長官、大伴旅人の家に集まり、梅花の宴を開く。
季節は初春のよい月で、大気もよく風も穏やかになり、
梅の花は鏡の前に座る美女たちが化粧に使う白い粉のように白く開き、
蘭は身にまとう装飾品の香りのように薫っている。
序文はまだまだ続き、「園の梅を題材として短歌を作ろうではありませんか」と結んでいます。
ひゃ~~難しかった!
今日も会いに来てくれて、ありがとう!
御代替わりを神聖な気持ちで、見守りました。
驚いたのは、新元号の由来が大宰府の地にあったこと。
大宰府政庁跡の周辺は時々、訪れている場所だったからです。
人出も落ち着いた6日、由来の地へ足を運んでみました。
政庁跡の北側、新緑の美しい道を歩くと、小さな神社がぽつんと佇んでいます。
知らなければ、気づかずに通り過ぎてしまいそうな坂本八幡宮。
この辺りが奈良時代、当時の太宰府政庁の長官であった
大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅であったとされています。
旅人は歌人であり、天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)に
自宅に役人たちを集め、梅花の宴を開きました。
そこで詠まれた三十二首とその序文が万葉集に収録されていますが、
その序文に書かれている美しい文章から令和ということばが選ばれた・・・
そんな由来が心に残りました。
万葉集『梅花の歌三十二首并せて序』より、
宴を始めるにあたって述べられた前書き(序文)の初めの部分を
書き留めておこうと思います。
〔原文〕
天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃(あつま)りて、宴會を申(の)ぶ。
時に、初春の令月にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、 蘭は珮後(はいご)の香を薫す。
〔現代語訳〕
天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)に、太宰府の長官、大伴旅人の家に集まり、梅花の宴を開く。
季節は初春のよい月で、大気もよく風も穏やかになり、
梅の花は鏡の前に座る美女たちが化粧に使う白い粉のように白く開き、
蘭は身にまとう装飾品の香りのように薫っている。
序文はまだまだ続き、「園の梅を題材として短歌を作ろうではありませんか」と結んでいます。
ひゃ~~難しかった!
今日も会いに来てくれて、ありがとう!