◆「全人類の救済」と大きな題を書いてきました。この当時、モーセが率いた出エジプトにはへブル人の他に多くの奴隷の身から脱出したいと願った人々が賛同して大集団となって紅海を渡ったのです。その集団はその後、導かれた神を12部族に分かれていきます。壮年男子だけでも60万人であったこの集団はユダヤ人とはまだ呼ばれていません。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教なども無論、まだなかったのです。全人類の救済のひな型。誰でも人は地上に命を受け、必ずその生涯を終えるのです。イエス様を信じた人々をパウロは、「天地創造の前に神はわたしたちを愛してご自分の前で聖なる者、穢れの無いものにしようとキリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1:4)と述べています。天地創造以前から神様は、今日礼拝を捧げているおひとりお一人をも覚えておられるのです。壮大なる救済のファミリーヒストリーです。そのことを再認識しましょう。
◆世界のベストセラー聖書の中心に貫かれて書かれていることは創世記が土台になっています。そこには、全人類の救済のドラマの予型、ひな型が描かれています。無論、全人類ということはいわゆる選民族だけではなく、天地を創造し人に命を吹き込んだという神様の歴史を知らない人々も含まれています。それは見える肉の異邦人に係わらず人が生きて死に天に帰るまで永遠の霊の故郷に選ばれた人々が、地上で過ごす救済の予型が、そのひな型がヨセフの生涯によって示されていることを知ることです。そのように、ひとり一人を導いておられ生きておられる神様が主体なのであって、日々それに応答するひとり一人に祈りと霊的なつながりを求めておられるのです。「神様がわたしが必ず連れ戻す」とヤコブに語られたように天におられる神様というお方は、第一にこういうお方であられるということです。・・・続き
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