marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(572回)<No.4 >親愛なるJへ (その1)韓国には一度きり、あの国は感情が先走り・・・

2019-07-22 08:12:49 | 日記

 親愛なるJ

 選挙が終わりましたね。選挙戦で思ったこと。皆さんもそうだろうけれど、マイクを持って良いこと言うだけなら誰でも言える、というところか。彼らは実績者というより、いい思いの延長維持、悪い思いの廃止撲滅という大衆の側の先理解の代弁者、そして実行者。それで、どのレベルでの意見の反映であるのかという大衆の数の論理で票は決まる。いろいろ僕なりに書きたいことはあるけれど・・・そういえばブログには政治や宗教ジャンルはカテゴリーになかったような、これは禁じられているのでしょうか。ヤジや罵詈雑言になりやすいから・・・。宗教オタクは、少なくともキリスト教に関心のある僕は、大衆と政治にも関心を持たざるを得ないのです。実は多くの神学者もそう、神がこの世界の支配者であるという基底があるから現実の目の前の生活、そのことから政治への無関心であることはありえないのです。それは、ある聖書の記事。

◆イエスという男に、実に多くの民衆がぞろぞろとついて行った。おびただしい数の病人を癒やされたとある。こればかりではなく、多くはパンをただで食えるものだと思っていたのです。それでこぞって御利益にありつこうとついて歩いたのが実情でした。男だけでも5000人と書かれたところもある(マタイ14:13~)。ところがである。そのイエスが、裁判に掛けられた時、十字架につけろ!と叫んだのがこの多くの民衆だったのですね。先導されていたとはいえ、まことの正義は大衆の思いにかき消されたのだ。大衆はいつの時代もドラマを求める(今のアメリカに近いか)。ローマ時代の「パンとサーカス」。奴隷健闘士など、人同士ばかりでなく猛獣と戦わせたり、兎に角、人命に関わることに享楽を見いだしていたのも事実ととても恐ろしい。奴隷戦士スパルタカスが募って反乱を起こしたのは有名。これもとても昔の話、カークダグラスという当時マッチョの俳優が主人公になって「スパルタカスの反乱」とい映画も見たなぁ。・・・で当初から脱線。

◆さて、韓国出張への写真はどこかに飛んでしまってないのですが、場所は南、日本に近い「馬山(マサン)」と呼ばれるところ。日本の「対馬」が、ここから来ているのがなるほどと理解された次第。対面(向かい)に馬山という街があったので、対馬と名付けられたのだろうという単純な理解。僕が訪問した会社はあのS▼△yです。

◇僕はQA(品質)を見ていたのですが、おまえのところ新製品は信頼性に欠けるとお叱りを受けに行ったのでした。(日本から受け入れている他社のものと比べると)午後1時から4時半まで先方の日本語が堪能な年配の課長さんとやらに延々説教をくらいました。・・・ということで、いまの政治やらに見られる人と言う生き物について回る感情の正当性の一方的な主張にこの国の気質はどうも特有なものだなと思った次第でした

◇なんて事はないのです。先方の評価の試験方法が親会社のS社に提示されていた試験方法と違っていたのですね。しかし、比較された他社のは、材質が堅いので評価回数に耐えていたということだけで、使われる用途からすれば逆にそれではいけないのです。S社が求める試験方法は、Rをつけた心棒に部品を載せ左右にしなりを掛けてその回数が規定の回数を保持できるかというもの。ところが、その工場では、部品に重りをぶら下げて左右に大きく揺らし、Rの心棒にぶつけて破断(断線)する回数がその回数をクリアーするかで比較しているものでした。重要なのは製品のしなりに如何に耐えるか、なのです。「柔は剛を制す」です。最終製品からすれば、当社の方がダントツいいのですが、その試験手段を持ち合わせていない。いくら話してもだめでした。何でも強ければいいのだと。この国の感情気質の先走りはどうも至るところに及んでいるなと思われたしだい

長くなりましたので韓国出張は一日で計2日間でしたが次回も少し書かせてください。・・・それでは 

 



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