marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

介護施設での殺人、放火事件を霊的に思う:世界のベストセラーを読む(947回)

2021-12-30 15:03:19 | 日記

巷でニュースになっている介護士は、空気注射で今までに何人かを死に至らしめているという。女性介護士は、血管に空気を入れたらその人は死ぬということを思わなかったのだろうか。そんなことはないだろう。放火殺人はなぜ、また起こったのか。悪霊は人に入り込み、無意識のうちに殺人者にしてしまう。悪魔は飲み尽くすべき人を探して歩き回っている、と聖書にある。

◆ルカ福音書にイエスが語ったこととしてこんなことばが載っている。「汚れた霊は、人から出ていくと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、「出て来た我が家に戻ろう」と言う。そして、戻ってみると、家は掃除して、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分より悪い他の七つの霊を連れて来て、中に入り込んで住み着く。そうなると、その人の跡の状態は前よりも悪くなる。」(ルカによる福音書11:24~26)さらに イエスはこう明言する。「悪魔は人殺しである。」(ヨハネによる福音書8:44)と。

◆霊と肉、天地創造において人は創造主である神から霊を吹き込まれ、万物創造の最後の完成品として人を創造されたという。地上で悪霊に介入され、錯乱し命を消滅される運命となった人類の歴史の中で、光と希望を求める人々とその命を消滅しようとする悪霊との今も続く長い歴史の戦い。神からの霊の受像器に欠陥を持ってしまった人類に、イエスはこういう厳しい言葉も言い放つ。「自分を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ伝12:25)これは生前のイエスの言葉だ。しかし、復活のイエスに会い、第三の天にまで導かれたというパウロは、エフェソの信徒への手紙でこのように記す。「我が身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわる者です。わたしたちは、キリストの体の一部なのです。」(エフェソの信徒への手紙5:29-30)僕はそのような、上からの聖霊としての神の言葉と地上での100%死亡率のある肉体を持つ人が解釈する言葉との意味するところの齟齬に、天上への異界の扉の入り口が見えてくるように思われて仕方がないのである。

◆新約聖書の、この地上の僕らには不可解な、矛盾しているようにも思われる聖書の言葉。それは、次元の異なるその人の真の霊を神の霊に結びつけようとするまで求めつづけた言葉であり、この地上で、すべてのしがらみから解放されて、あなた自身として真に生きる者となることを心から願う言葉でもあったのだということになるのだろう。自分では選択肢のないDNAを持つこの肉体と、あらゆる霊的障害からの解放と聖霊との繋がり。ここにおいて真の自由があると言われるのである。・・・