▶科学と書いたのは、それが物的なモノとして経済と結び付けば身を持って体験できるという意味合いであって政治、経済にも個人的に体験できるということ、さらに憶測ができるということにおいてである。大手企業にいれば、政治動向もすぐさま地方にもその一端が反映されてきて、例えば、小泉政権時代、人材派遣会社からの人々が急に僕の組織にも入ってきて、そこでも国の方針とやらが身近に感じ、これからは年功序列ではなく会社の組織も、ピラミッド式の細かな階層ではなく、鍋蓋式の組織たる、つまり、途中の高い人件費は不要、高い儲けを出すという仕組みに変わって来ていることは身近に感じたものだった。無論、下請に抵触しない程度で、契約によりいつでも切れるようにしておく、よって、地方では安い人件費で、文句も言わない労組にしておくのだったが、いろいろ関わったが、成長と分配などということは、内容的に社会主義自由民主党などという方向に実質いかないとうまくいかないだろうが、大企業がどれだけ被雇用者と妥協するかにありそうだ。「キリスト教と社会思想」という本もおもしろくて、この手の本はいくらでもあるが、発行は古くても語ることはいつも今なお新しい。この手のものは歴史が現代を形つくって来ているので今でもいろいろ教えられる。なぜなら、無神論者と言え、宗教的でない人などいないからだな。神学用語がISOなどの標準に見られるようになっている。人の営みの気が付かないが通奏低音ごとき精神性がキリスト教には流れているから・・・哲学者ヘーゲルの「精神現象学」がひととおり、区切りをつけたように見えたんだけれど。▶電気メーカーの盛衰もなぜに起こりえるかなどは、一つところからの綻びから見えて来るものであることは、皆さんが購入するところの製品の故障一つの対応からも推測できうることでもあると思う。日本製は故障率が少なかったが、海外で生産、または一部、または部品生産したものを作るものだから、どの部品がおかしいなどということが推測でき、また○○製かなどと、値段の安価なものは、何年使用に耐えば元でをとったか、という思いで購入するだろう。あらゆるものが、費用投資対効果で耐久消費材も元手をとってなんぼの世界になっていくだろうな。結局、冷静に考えればSDG’sなんていっても、贅沢しないでお金をかけるなら長期的に見てインプット(投資)に対して、アウトプット(効果)で最も効率のいい、しかもそれが持続する生活をすることを心がける、ということになっていくのだろうか。効率の悪い人は淘汰されていくという方向に結局行ってしまうんではなかろうか・・・。