瀬戸内寂聴さんが99歳でお亡くなりになった。◆瀬戸内晴美さん時代に著した「ひとりでも生きられる」という本を読んだのは大学の3年生のころだった。僕は哲学や心理学や宗教のことに関心があったので(と書いてもこの時代、暗く不安だらけの青春であったのがその理由なのだが)、当時この女性の生きざまに関心が何故かあったのです。こんな人生を歩んでひとりでなんか生きられるものではない、と思っていたら尼さんになりました。やはりなぁ、と思ったのを強く覚えています。このことは2020年11月28日ほぼ一年前のこのブログに書きました。◆数日前、BS-TVで93歳の時のドキュメンタリー番組が流れました。27歳で4歳の娘さんもいて不倫に走り家族を捨てて60年。作家になりたいと若い時には冒険を犯しその不安を抑えるために自己肯定化する言葉をひたすら探すものです。それが作家としての生きざまの原動力になっていることがあります。◆彼女の講和でも聴衆が集まり、自分の精神的によい意味でか悪い意味でか労苦を重ね、人生講和によって、尼さんとなったこういう方の苦労話を聞いて、そうかそうかと自分はまだましかもしれないと、自己安堵で一時の心の安らぎを得て、今日はいいお話を聞きましたと、拍手する聴衆。多くはむろん、女性が多数である。◆先のブログ以前に、同じ宗教的に関与しているキリスト教信者である作家の曽野綾子さんと対談させたら面白かろうと書いたが対談も初めから成立などしない。宗教でもキリスト教は答えが出ているから、むしろそこから与えられた人生をどう生きるかが人生のほとんどの意味を占めているのである。◆放映の後半でほとんど参ることなかった若き頃、逃避したご主人のお墓詣りの場面で、悪い事をした、罪の意識はあります、と口にする。言葉探し物書きは死ぬまでと、最後のテーマは「いのち」であるという・・・完成されたかどうか。尼さんとして毎日お勤めとしてお経をあげる。・・・さて、仏教の救いとは何なのだろうか、またもやそんなことを考えてしまった。・・・