marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(186回目)ローマ人への手紙(第2章1節から16節)

2016-11-25 19:46:09 | 日記
◆神の正しい裁き◆
初めに第1章で、地球上の生き物、普遍的な意味合いで、造られしものはすべて神の息の基にあるという考えにあることばを書き残しておきます。少し脱線も交えて・・・。
(1:20)「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神聖とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」
◆通常、キリスト者でない一般人の方でもこの言葉は、なぜかすっきり、そうかもしれないなと頭に入ってくるのではなかろうか。現に、創世記に神は万物を創造され、最後にご自分の似姿に人を創造されたとありますから。それで、神様を知りたいということで、パウロの言葉からでもそうだが、被造物つまり神に造られたものを解析すれば、(パウロの言葉によれば)神の永遠の力と神聖は知り得るのではないかということで科学が始まったといっても過言では無いわけですね。むろんキリスト教以前のギリシャ、アジアでは歴史の長い中国などでは科学らしき物があったのはそうですが、僕が話したいのは秩序立てて根本からの理由付けで、一つの方向性を持った学問の形成というような意味合いでです。そこで、次回は脱線して、学生時代から気にかかっていた二人の人を取り上げたいので、こうご期待。
◆さて、パウロさんは、「信仰義人」という大前提、来年は宗教改革500年だが、M・ルターさんを大変身させた神からの啓示の言葉といったらいいか、このことをルターは、ローマ書の中にまたガラテヤ書の中に(3:11)、その他にその言葉(パウロさんの神学思想の中心)を発見し奮起する訳なのであった。パウロはそこで、パックス・ロマーナの首都、ローマには行かねばならないが、その前にと手紙を書くのです。パウロさんが神学思想たる論文めいた手紙をどのように理解させるために苦慮して書いたかを押し計るにいろいろなことを考えさせられるのである。
◆まず、手紙は読まれるために書き、読まれるためには相手も内容に少しでも理解を示している必要があり、いくらエルサレムとの人の交流があったとはいえ、そしてエルサレムで起こった事件、主の十字架がユダヤ人伝来に言われてきた救い主のその時であったことを理解しているとしても、はなはだ、異邦人の中に集うユダヤ人にとっては心許ない信仰であったであろうことをパウロは案じていた。まして、同調した異邦人(ここでは代表としてギリシャ人として書いている)に対しては、ユダヤ人の古来の民俗宗教律法を越え、普遍的な意味合い、天地創造の全人類という普遍的なもの言いでパウロは苦心をしていることが推し量れるのだ。
◆以上のことからパウロの書き方は、まず、一般論での異邦人にも訴える(これは天地創造来からの摂理<神の計画、神の恩寵を説く>)から、今の僕らでもすっと頭に入るが、その次は核心の人々、その神の摂理に選ばれしユダヤ人への訴えを書く。周辺から中心へ、一般論から核心論へ筆を進めて行くのである。そういう書き方をして、異邦人に対してパウロは神学論を展開するのであった。
◇「人類の罪」と小題の付いた(1:18)から(1:32)とそれに続く(2:1)から(2:16)までが、異邦人への一般論、次に(2:17)から(3:8)までがユダヤ人に対して、さらに(3:9)からまた、ユダヤ人もギリシャ人もと一般論、(3:28)から(4:12)までがユダヤ人に対して、(4:13)から(4:25)までが一般人(異邦人)に対してという具合に論理は展開していく。そして、第5章に入り、「信仰によって義とされて」という小題がついて、初めの人(全人類の祖)アダムが出てきて、最後の神から使わされたまことの人、キリストの登場があり、「こうして、罪が死によって支配されていたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。(5:21)」という展開となっているのである。・・・Ω