記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

49年の歴史に幕。最終日の珈琲舎のだミーナ天神店へ

2022年08月16日 03時02分18秒 | 福博まちの記憶

8月15日(月)朝、改装のために一時閉館する最終営業日のミーナ天神へ。

49年前の1973(昭和48)年、前身のマツヤレディス開業当時から入居してきた地下1階「珈琲舎のだミーナ天神店」は、この日が最後の営業日。1985年に初めて訪れて以降、待合せ・打合せを含めて、このお店で何杯珈琲を飲んだことだろう。閉店が決まって以降も7月・8月に2回、ここで打合せをした。

昭和薫るお気に入りの純喫茶空間で最後のアイスコーヒーを味わっていると、見慣れた顔のカメラマンが声をかけてきた。いつもFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」ロケでご一緒している方だ。この日放送するTVQ「ふくサテ!の取材とのことで常連客の一人としてコメントをした。

この日は企画をお手伝いしている16時台の「ひと駅ノスタルジー」は、お盆の博多駅スペシャル放送日。同じ時間帯にオンエアされたTVQ「ふくサテ!」は、ミーナ天神を含む天神北エリアのこれからを特集する内容で、放送では私もしっかり映り「全部カットしていいよ」と伝えたコメントも、そのまま放送された。

偶然ではあったが、37年通った思い出の喫茶店の最後の1ページにしっかりと関わった気がして、いい記念になった。ちなみに珈琲舎のだは1966(昭和41)年の創業で、私と同い年。勝手に親近感も持っているので、ソラリア店やサンプラザ店などにもよく立ち寄る。8月15日はミーナ天神店最終日で、常連さんが続々とやって来る。店長にお礼を言って急ぎお店を出ると、取材班はまだ店頭を撮影していた。

放送された映像は放送後、サイトに動画が公開。

【特捜Q】中心地になる?天神北の未来 「ミーナ天神」来年新装へ一時閉館

実は「ひと駅ノスタルジー」でも、珈琲舎のだミーナ天神店の歴史を取り上げ映像に遺したいと、ディレクターにお願いして取材を申し込んでもらったものの、昔の話ができる方がいないとのことで、コーナーでの取材は実現しなかったという裏話もあったりする。

改装後もミーナ天神の名称は遺るという。特徴的なレトロビルの外観やエレベーターも遺るらしいが、内装や階段はどうなんだろう。寸止まりな階段なども遺って欲しい。

ミーナ天神の前身、マツヤレディス(松屋百貨店)と珈琲舎のだについては、ちょうど1年前の西日本新聞meの拙著連載「天神の過去と今をつなぐ」で詳しく書いた。1973(昭和48)年の開業当時に喫茶店の店長をされていたぶんカフェ・吉留さんにエピソードの数々を伺い、手持ちの資料などを活用して書いたものだ。

(2022年5月で「天神の過去と今をつなぐ」連載はいったん終了し、6月末で記事公開も終了。海鳥社で書籍化の準備が始まっており、秋以降にアプリ版有料記事として再掲載される予定だ。)

以下写真は、手持ちの絵葉書から松屋百貨店開業時(左・1932年)と、まだ路面電車も走っていた頃のマツヤレディス(右・1977年頃)だ。

以下は1975(昭和50)年頃の福岡ショッパーズプラザ(マツヤレディス・ショッパーズ福岡・ショッパーズダイエー)の売り場案内。

デジタルカメラが普及して記録撮影が容易になった2000年以降、天神の風景をたくさん撮影してきた。定点(同じ場所・アングル)で撮影したものも多い。以下はソラリアターミナルビルとソラリアステージビルとを階上で繋ぐ、高速バスターミナル通路からのミーナ天神遠望(2008年)。

最終日、ビルを出る前にフロアガイドも記録撮影。個人的には、ショッパーズ専門店街にりーぶる天神やタワーレコードがあった1990〜2000年代のワクワク感が戻ってほしい。

これから約半年かけての改装、より魅力的な商業施設になるであろうミーナ天神の復活を楽しみに待ちたい。

 

拙著「美しき九州〜大正広重・吉田初三郎の世界」残数わずか!


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