記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

失われゆく近代資料の保存と活用

2009年12月31日 23時13分09秒 | 福博まちの記憶
 冬の訪れはユリカモメの鳴き声で感じる。自宅マンションの前は御笠川、北風
が強く吹き出す頃、ユリカモメは山王公園付近まで上がってくる。川では毎朝、
近くの人々が鯉に餌を与える。それを狙ってユリカモメが居着くようになったの
は御笠川の川幅拡張・護岸工事が終わった後である。2003年夏の大水害の後、川
底を2m以上掘り下げる浚渫工事が行われ、それまでは川の岩場には亀やサギ、
それに冬場は川鵜もユリカモメとともに顔を見せていた。

 先日、コウノトリの事を書いた時にマイタウンマップ・コンクールの話題に触
れた。今年もマイタウンマップ・コンクールは応募受付中!1月12日(火)まで
である。余力があれば「記憶探偵」を応募したいと考えていたが、さすがにその
時間は無い。教育コンテンツだけでなく地域コンテンツは歓迎される。

 本当は、今年5~6月にギンギラ太陽sが行った演劇ワークショップは、これ
に応募するとたぶん入賞候補だと思う。せっかく生徒たちがまちと商店の歴史を
調べ、お芝居として上演までした訳で、まさにこのコンクールにピッタリ、かつ
演劇での応募はこれまで無かったと思うので、作品になれば面白いのだが。
「第16回マイタウンマップ・コンクール」

 東福岡高校の旧校舎、玄関だけが遺りこれを活かしたアーチ形デザインの正門
工事も始まる。取り壊し前には福岡商業校舎時代に通学した方々が、大勢最後の
別れ&見学に訪れたそうだ。田中丸家、中牟田家、それに紙與の渡辺家(與八郎
の孫、與三郎会長は福翔会の顧問)と、通った方は博多近代化に名を遺す方々ば
かり。歴史と伝統ある旧校舎の玄関だけでも遺した学校に拍手を送りたい。

 なぜそこに拘るかといえば、自分の母校である築上中部高校はすでに統合で消
滅し、歴史ある校舎も跡形もない。わずかに正門と外壁だけが遺るのみ。跡地の
活用方法すら決まっておらず、校舎を遺して例えば市立図書館に転用するなどの
方策もあったのに、と残念な気持ちである。県や地元利権者の事情で壊すのが前
提だったことは仕方ないのだろうか。

 意識して昭和期の写真資料を遺す、それは10年来可能なことから続けてきてい
る訳だが、ここ数年の印刷業界や広告業界、出版業界の不況による倒産や事務所
閉鎖で消却処分となってきた資料も多い。また、地域の写真館の相次ぐ閉館で、
貴重な写真資料や絵葉書印刷機なども処分されてきた。そのうちの幾分かでも保
存しようと思い、譲り受けたネガやポジフィルムの整理を来年は行いたい。

 古いビルのリノベーション&活用を手がける吉原住宅さん。運営する冷泉荘の
事務所には、閉鎖された活版印刷所にあった活字などの一部が保存展示されてい
る。10月の「記憶探偵キノレオ」放送でも、放送翌々日に閉店する寺尾印刷さん
にカメラを入れて、記録撮影も兼ねて出演してもらった。設備の多くは、私と同
じように活版印刷の消滅を見かねた若いプランナー君が引き取り、活版技術を継
承すべく寺尾さんから指導を受けて営業を開始する。

 すでに寺尾さんのお得意様は息子さんが務める別の印刷会社へ業務を移してい
て、彼は営業については一から行わねばならない。苦労を承知でチャレンジして
いる彼にエールを送りたい。まずは名刺を活版印刷で改めて作ろうと思う。

今日の写真は、雑誌「うわさ」昭和27年7月号掲載のアサヒビール園(東中洲)
開店広告。のち日活ホテル~城山ホテルが建つ東中洲那珂川沿いの場所にあった
が、2年後には日活ホテルが建ちわずか1年ほどの営業に終わっている。川沿い
には戦前、同じくアサヒビール園があったが、これが福岡初のビール園だった。


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