記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

日本最初の都市遺跡の基準水準点&マンホール蓋、水準点めぐり

2017年01月09日 23時46分00秒 | 福博まちの記憶

独立前、ゼンリングループ在籍時は通常の広告デザインの他に観光マップや福祉マップなどの企画地図の製作を多数担当。独立後、ゼンリン地図の資料館が開館してから5年ほどは特別展などの企画も担当していました。独立後も絵地図を製作したりワークショップや授業を担当したりと地図に関わる事が多かったのですが、最近は執筆や写真アーカイブが主となって地図から離れているのが残念です。

地図といえば測量、測量といえば水準点・三角点なので、新年になって17年ぶりに福岡市内の水準点の現状を確認しておこうと少しずつ巡っています。

明治以降に配置された国土の基準水準点、福岡県にはただ1つ(山王公園内)しかありません。ここは「日本最初の都市」である那珂・比恵遺跡の一帯の台地、まさに都市測量の原点的な場所だと私は思っています。

あとは1級から3級の水準点、その中には私が現地へ出向き把握している福岡市内の水準点でひとつだけの「デザインマンホール蓋」があります。デザインは旧建設省時代のもので測量士と日本地図、マンホールの中にはもちろん水準点があります。

残りの水準点の多くは、昭和初期に開設された国道3号線沿いと、明治期のメインストリートであった旧唐津街道沿い(202号沿い)に唐津まで点在。

そんな中で少し離れた場所にある上牟田公園の水準点が以前から気になっていますが、ここはすぐ目の前が福岡空港国際線入口で、戦時下の席田飛行場〜米軍板付基地〜福岡空港への進入路そばなのでその絡みでしょうか。

写真は1枚目から山王公園/馬出三丁目/上牟田公園/高須磨町/中洲中島町。

あと国道3号線沿いの水準点は「不明」になっているものが複数。上の写真はコカコーラウエストの本社前にある「門司まで75km」ポスト、このポストの周辺にも以前は水準点があったはずですが、 R3・75.0KP道路基準点しか見つからず。

さらに九大野球グラウンド横の国道沿いにあったはずの水準点も見つけられず。

2005年の福岡県西方沖地震の際はこの付近の道路は大きく波打ち、幾度も改修されているのでその際に撤去されたんでしょうか。道路に埋めるタイプも増えているそうですが、その痕跡は見つけられず残念です。全国の測量基準点(国土地理院地図ベース)サイト上(2014年版)には基準点表記が見えるので、最近の改修で撤去されたんでしょうか。

さらに現在工事中の出来町公園、九州の鉄道発祥碑の脇にたしか水準点があったと思うのですが、工事にともない碑は仮移設され本来の場所付近は掘り起こされて水準点の痕跡は無し。中洲中島町を除けば博多部で唯一の水準点、おそらく九州の鉄道発祥・明治22年開通時の起点に設けられていたものなので、これは出来れば復元してほしい気がします。とりあえず頃合いをみて国土地理院に尋ねてみたいと思案中です。

 

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