記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多カレンダー2010年版の完成と酒宴

2009年11月13日 22時53分36秒 | 博多部
 12日夕刻、博多カレンダーの来年版の完成を祝して、委員の面々の反省会&
懇親会が櫛田神社そばの「博多あかちょこべ」で行われた。私は退院間もなく
で酒は控え、もっぱらウーロン茶と野菜系の一品を食しての参加。宮司さんを
含め或る意味、個性派揃いの最強メンバーでの楽しい酒宴となった。

 この酒宴を偶然目撃したのは、ギンギラ大陽'sのTさんとKさん。宴の途中
で「何やら見覚えのある二人」が、隣の窓際の席に座ったのに気づき、声をか
けさせてもらった(笑)。稽古帰りでお疲れのお二人さん、隣が騒がしくても
うしわけありませんでした!入院中、mixiにもお見舞いメッセージをくれた
Tさん、私はこの日、お酒は全く飲んでません(笑)。養生はしてます!

 宮司さんはギンギラをご存知ないようだったけど、よく考えれば宮司も神事
の際はカブリものや装束を身につけているし、それが「正装」だと思えば同じ
じゃないか、とか勝手な解釈をしたりする(笑)。2月の豆まき、歌舞伎役者
がゲストに登場することが多いけど、ギンギラの面々の豆まきも観てみたい気
がする。来年は結成12周年?年男年女は豆まきができるなぁ(独り言)。


 12日の西日本新聞夕刊、福岡市博物館で開催中の「碧眼(へきがん)が撮
ったフクオカ、1950」展の記事が載っていた。米兵が撮影した昭和20年代
後半の福岡市内の街角風景が、カラー写真中心に展示されているもの。新聞
紙面には天神交差点(当時は天神町)の光景。1953年の写真として紹介され
ているが、あれは明らかに1954年6月末頃の写真である。
西日本新聞夕刊記事

 理由は2つ。ひとつは背後に映っている西日本ビルが完成直後であること。
天神地区で戦後最初に完成した高層ビルである同ビルの完成は1954年4月。
建物の外観の完成は同年1月頃で、半袖姿の人々が行き交う様子からして、
初夏の光景であることは間違いない。

 さらに、交差点にある映画「おとこ大学」の看板。同映画の公開は1954年
7月、看板には「14日公開」の文字もはっきり読める。さらにこの時期、市内
電車の集電装置がポールからパンタグラフへ切り替えが行われており、他の写
真にはカラー塗装の「海へ」号などが映ったものもあって、明らかに1年違い
である。

 たった1年であるが、この時期の福岡の一年は大きな変化のあった時期。少
し調べれば判ることだけに、「せっかく良い展示、良い資料の公開に携わるこ
とができるのだから、本気で解説も書いてほしいな」と個人的に思う訳だ。こ
ういう資料は、私のような市井の市民研究者ではなかなか扱うことができない
だけに、正直羨ましいなと思う。それだけにひとつひとつの資料を大切に調査
解読してほしいと思うのである。

今日の写真は、11日の音二郎忌での余興。各団体の「オッペケペー節」大競演!


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